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「普通」という異常

普通

日常会話の中でもよく使われる言葉です。
似たような言葉に「常識」というのもあります。
あまり気にせず使われると思いますが、この言葉に翻弄されてしまう方も多くいます。

カウンセリングの中でも「普通は…」と話されるお客様は多いモノです。
そこで私は訊きます。
「それって誰の『普通』ですか?」

誰もが守らなければいけない「普通」はあります。
例えば…
・人を殺してはいけない
・人のモノを盗ってはいけない
・赤信号では停まらなければいけない…

これらは法律や交通ルールといった「誰もが守らなければいけない」モノです。(それすら守れない人もいますが)
こういう事を指す場合は「普通」とか「常識」というコトバを使って良い場面です。

私は講座を開く時、参加者の皆さんにこんな問い掛けをします。
「あなたはバスタオルをどのタイミングで洗濯しますか?」
あなたはどうでしょう?

実に様々な答えが返ってきます。
使うたびに洗濯をするとか、一日おきとか、二日おきとか。
「使うたび」と答えた方などは、夏の暑い日、一日に二度シャワーを浴びると、その都度違うバスタオルを使う、という方も居ました。
その方にとってバスタオルは「使うたびに洗うモノ」なので、一日に二回シャワーを浴びた時には2枚のバスタオルを使い、洗濯をすることが「普通」なんです。(ちなみに私は2回使ったら洗うようにしています)

それぞれの答えが出揃った後、皆さんにそれぞれの答えについての感想を聞きます。
使うたびに洗濯する方にとっては、一日おきとか二日おきに洗濯する人は「信じられない」という感じになりますし、逆に二日おきに洗う方にとって使うたびに洗う人は「潔癖症過ぎ」と感じられたりします。

自分にとっては「普通」の事なんだけど、他の人からそれは「異常」と思われてしまうことって、実は結構あるモノなんです。

このように「普通」とか「常識」の多くは、それぞれ違うことをそこで改めて実感されます。
そう、普通とか常識って上記の法律やルール以外のモノって、人の数だけあるんです。

この「バスタオルいつ洗うか問題」はそのまま、その人が育った「家庭のルール」に基づいていたりもします。

例えばその人が生まれた家では、いつも両親がケンカをしていたり、コドモである自分が親から殴られたりしていても、その子にとってはそれが「普通」の家庭であり、常識になってしまいます。
最近よく聞く「宗教2世」という方々も同じですね。

これもやはり、周囲から観れば「異常な家庭」なんですけど、そこで生活している家族にとってはそれが「普通」になります。

問題はその「普通」を他人にも押し付ける人がいる、ということです。
それが「普通はさぁ…」とか「○○って常識だよね」という会話の中に表れます。

この2年ほどで「外出の際、マスクは当たり前」という「普通」が出来上がりました。
それが今、政府は「屋外で2メートル以上の距離が取れる場合、ウォーキングや散歩の際はマスクは必要ありません」と言い始めています。
子供たちも「登下校時のマスクは不要」と通達されています。

ですが私が見ている限り、子供たちはマスクをしたまま、暑い日も顔を真っ赤にしながらマスクをして自転車を漕いでいたりしています。
そこにはそれぞれの心理が働いていて、もしかしたら親から「学校ではそう言っているけど、あなたはマスクをしなさい」と言われているのかも知れないし、或いはその子自身が自らその選択をしているかも知れません。

これらのことから他の誰かが言う「普通」や「常識」が自分のそれと違っていても、それはその人の「普通」であると受け入れることが必要だし、その普通や常識を認めていくことがこれからさらに必要になると考えます。

皆さんの「普通」

一度見直してみませんか?(ちなみに私は意識してこれらの言葉を使わないようにしています)

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