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障がい・ココロの病を受け入れる

昨晩、「リエゾン こどものこころ診療所」の第2話を観ました。

今回のお話はADHDの子供とうつ病(後に双極性障がいと判明)の父親がテーマとなっていました。

精神疾患から自殺によって妻を失い、うつ病と診断され仕事も出来ない状態の父親と、ADHDを抱えるも医療機関や支援機関につながることが出来ていない子供。
父親は一日中寝てばかり、口をついて出る言葉は「死にたい、つらい」ばかり。
子供は学校に行きたくてもそんな父親を一人にすることが出来ず、やはり家に居る状態。

お話の詳細はここまでとしますが、今回のお話の中ではココロの病に対する医師の診断の曖昧さや子供の発達障がいを親が見逃してしまっていること、親が自分のココロの病を受け入れられずにただ苦しんでいる様子や児童相談所の現状など、様々な事柄がぎっしりと詰まっていました。

色々と詰め込んだ分、それぞれの細かなところまでは伝わりにくかったかな、とも思いましたが、これらの現実を描くこと自体が大切だとも思いましたので、その点ではやはり見応えがありました。

子供の障がいを見逃してしまうことはよくありますが、今は情報取得が容易になっている時代ですので、そこは少し改善傾向か見られるものの、我が子の障がいを認めたくない親というのもやっぱりいるものです。

○歳児健診とか就学前健診等で障がいを疑われてもそれを受け入れず、そのままにしてしまうことは子供がつらい想いをしてしまうだけでなく、その特性を理解しないままただ起こるだけとなる親にとってもそれはつらいことになってしまいます。

私が以前支援員をしていた福祉施設は知的障がいや精神障がいを持った方、身体障がいも複合的に持たれた方などがいましたが、特別支援学校を卒業した若い子もいれば、50代を過ぎて60代に近い方までいました。

通所施設でしたので保護者の方とお話する機会もあるのですが、多くの保護者は我が子の障がいが分かった時点からそれを受け入れる努力をし、その特性に合った支援を受けることを良しとされたため、もちろん様々な葛藤はあったとも思いますが、そこを乗り越えながら一緒に過ごしてこられていました。

一方で我が子の障がいを理解はしていても完全に受け入れられず、明らかに一般就労は無理であるにも関わらず「この子は障がい者枠で就職出来るはずだ」と訴え続ける方も居ました。
そのように思われる親の気持ちも分からなくはないのですが、それによって子供に対して常にストレスをかけてしまうような環境は…

どちらが親子、家族として幸せな生き方であるのか。
支援者はそこまで立ち入ることは出来ないので、歯がゆい思いをしていたこともありました。

一方で自分のココロの病を受け入れられないというのも、やはり同じような状況が展開されてしまいます。

今でも「自分がうつ病になってなるはずない」と思いながらうつ病になってしまい、診断を受けているのにそれを受け入れず無理をして悪化させてしまい方って多いんです。

また本人はその病気を受け入れても、家族がそれを受け入れないために悪化させてしまうケースもあります。

このドラマの中で子供が児童相談所の一時保護を受けるにあたって、いつも「死にたい、つらい」と口に出す父親と「一緒に居たくない」と子供が研修医に告白するシーン、それを父親に告げ「あなたのしていることは虐待です」と伝える医師。
すごく厳しくて、けれどもこの親子の事を考えての優しい思いが交錯する、やっぱり涙が流れてしまうお話でした。

自分や家族の障がいやココロの病を正しく知り、それを受け止めて受け入れる。
またその周囲を取り巻く人たちもそれらを受け入れて、彼らが生きやすい環境作りをそれぞれの立場で出来るだけ協力していく。
そして何より頼れる人、頼れる場所に一つでも、一人でも多くつながっていくこと、自分達だけで何とかしようとせず、使える支援はすべて使って、ストレスを減らすこと。

これらが結果的にみんなが幸せに生きていけるような状況を作り出すんだろうと思います。

SDGsの「多様性」という観点からもこれらの事を一人ひとりが考えて、行動していくことが大切であると、このドラマは訴えているように思いました。


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