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好きより嫌い。

僕、文章書くのとても好きなんですよ。

高校生の時に沖縄修学旅行の体験記をクラスの班単位で作成するっていう行事がありまして、皆は正直面倒くさがって書きたくなさそうだったので僕が一人で仕上げたんですよ。
これがね、自分で言うのもアレなんですが非常に面白い。
沖縄修学旅行で何をしたかって言うと平和学習みたいなことで防空壕見学やなんやらととにかく気が重くなるような見学ばっかりだったんですよ。
その平和学習とやらの体験記を作るなら「防空壕の中に実際に入ってみて、文献や資料だけでは得られないようなことを体験できました。」
こんなんでいいんですよね。というかそれが無難ですよね。
ただね、こんなこと書いても面白くないでしょ。
だから「せっかく書くなら高校人生で1度しかない楽しいはずの修学旅行をこんな気分が下がるようなイベントで埋め尽くした教師陣に向けてちょっと皮肉ってやろう。」みたいな発想がうまれてきちゃったんですよ。
1つ紹介すると
「霊感強い」的な女子いるでしょ。
そういうタイプの女子が、ガイドさんが戦時中の残酷な話してる中で何かを感じて泣き始めたんですよ。防空壕の中で。
僕はそういう時腹立つんですよ。「泣くなや。黙って話聞いとけや。」ってね。
結果ガイドさんの話が中断して、その霊感女子(笑)のせいで防空壕での滞在時間が延びるっていうイベントが発生したんですよ。
暑いし、ジメジメしてるし、みんなイライラしてたし。
このイベントは外せないなと思って
「突然泣き出す女子、勘弁してくれ。」って感じの内容を修学旅行体験記に綴ったわけです。
他にも皮肉マシマシで出来事を綴っていったんですけど、これがね、バカウケだったんですよ。
1班1ページでそれが冊子になって学年の全員に配られるんですけど、こんな皮肉マシマシ不満だらけのモノ、当然担任の許諾が下りるはずもなく訂正の支持が下るんですけど、僕の書いた原本が学年中に出回るんですよ。(恐らく僕の友達が面白がってばら撒いたと思います)

この一連のエピソードで何が言いたいかって。
ここでタイトルを回収するわけですが、好きなモノや、そのモノに対して良いイメージを持って文章を書くのってなんか、書いてて筆が進まないんですよ。
これって単に文章作成において「物事は批判的に書く方が簡単だから」なのか、「何かを皮肉っているときのほうが僕の心が躍っている」のか、「人間はそもそも何かを批判するのが好き」なのかわかりませんが、要するに「負の感情」の方がエネルギーが大きい気がするんですよ。
例えば僕はラジオがすごく好きで、有吉のサンドリなんかを毎週聞いてるんですが、このラジオで「アイツこんなこと言ってました」ってコーナーがありまして、これはリスナーが嫌いな芸能人の発言に対して暴言の限りを尽くして罵詈雑言をメールにするっていうコーナーなんですけど、兎に角エネルギーを感じるんですよ。
他にも例えばYouTuberがよくやらかしてそのコメント欄っていつもよりもコメント増えてますよね。こういう負のエネルギーって、好きなものに対するエネルギーを超える事ってよくあると思うんです。

まあこんな長々と書きましたが、何が言いたいかって言うと「嫌いは好きに勝る」こともあるよって話です。
そして僕は文章を書くのが好きです、と。
「嫌い」や「不満」といった負の感情を表に出す手段としての「文章を書く行為」が好きなんですから、変な感じですよね。
手段の目的化みたいな。

初投稿から自分の捻くれた部分が存分に滲み出ていて嫌になりますね。

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