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真実はたった一つでなくてもいい

中学生になった長女の子育てに悩み、ふうふう言いながら過ごしている。

思えば小学4年生頃から、兆候が見え始め、苛立ったり泣いたり、親のことばに思い切り突っかかってきては、「何もわかってくれない!」と部屋のドアを力任せにバタン!と閉めて閉じこもる。

注意されることはもちろん、教えてあげようと話したことに対しても過剰に反応し、すぐにやるかやられるかの戦闘モードに入ってしまうため、冷静に伝えたいことが伝わらない。もどかしい。なんてことはないことを伝えるつもりが、いつもでも終わらない言い争いに転じたことが何度あっただろうか。

そんなときにふと聞いたPodcastで紹介されていた本。
ドクターベッキー・ケネディ著「Good Inside」

「なりたい親になるためのガイド」という副題

臨床心理学者の著者は一般的に有効とされてきた行動中心、報酬と罰則による子育てのメソッドに疑問を覚え、愛着、マインドフルネス、感情のコントロール、家族内のシステムなどに注意を向けた独自の子育て理論を追求、「Good Inside」という親子の支援機関を創設した。

問題行動のある子どもをどうにか矯正するのではなく、問題行動を子供たちからの助けを求めるサインと受け止め、それを理解、手助けできる親になれるように、親をトレーニングをするのが彼女の活動の軸のようである。

全部は聞いていないが、内容を聞いていて、親としていろいろと耳が痛くなるというか、娘がこうなった理由は親の私なのかとなんだか辛い気持ちになるような内容がしばらく続いた。その一方で、覚えておきたいと思うようなメッセージも繰り返し出てきた。

まず一つ目、この世に悪い子はいないということ

いるのは、問題行動を通して助けて欲しいとサインを出している良い子だけである。問題行動はあくまでも「症状」であり、症状のでるのには原因がある。それは、小さいころからの家庭環境や、経験、トラウマなど様々な要因が絡み合って、意図的、無意識に関わらず、その子供のその時の年齢、理解力、成熟度による精いっぱいの理解、解釈の結果、心理に刻まれたストーリーによるものなど様々である。

そして、もう一つの重要なメッセージは、真実はひとつでなくても良いということ。

例えば、小学生の子供がゲームを1日の制限時間なしに好きなだけやりたい!と言うとする。でも親の立場からすると、そういうわけにはいかない。
それでは、子供は宿題もやらず、ご飯の時に食卓にもつかず、風呂にも入らず、寝る時間も惜しんでゲーム三昧になるのではないか?
学校の課題など、やるべきことをやって、食事や睡眠などの自己の健康管理まで考えて、小学生の子供が適当に区切りをつけてゲームをそこそこに終わらせるなど無理な話だ。親だって、子供に好きなだけゲームをやってもらって、楽しく過ごしてくれて困ることが無ければそうさせないこともない。

ここで、子供の立場で考えるとゲームに時間制限を設けられて、従わなければならないなんていやだ!となる。友達の家では、好きなだけゲームしている子だっているのに、などなど不満を言う子もいるだろう。

一方で親の立場からすると、ゲームに夢中で生活や学校のことがおろそかになってはいけないと心配しかない。一度緩めたルールをきつく締めなおすのは無理に等しいから、きっちり時間制限を設けて決まりにしておくのがいいに決まっている。

普通に考えると、親の方が大人の視点で物事の道理を理解したうえで判断していることだから、それを子供に理解させるのが正しいと思う。たとえ子供が納得できなかったとしても、自分の判断の方が正しいに決まっているし、子供だって大人になって親になればこのことも理解できる日が来るだろうと思う。だから子供に対して、「あなたはゲームをずっとやりたいって言うけど、決まりを作っておかないと勉強や生活習慣に影響がでるからルールは守らなきゃダメなのよ」という親の考えを子供が理解すべきだと思う。真実がひとつと考えるなら、こう思うのが普通だろう。

でもこの本で言っていることは、真実は一つでなくてもいいという。

子供にとっては、大好きなゲームを毎日たくさんやりたい!と思っているのに、親が宿題が、学校が、ルールがと言っては決まりを強制してきてなんとももどかしく、腹立たしい!それが真実だ。
一方で、親にとっては子供がゲームばかりで学校のことや生活習慣が乱れてはいけないし、心配だから、きっちりルールを決めておきたい!それも真実。

子供には子供の真実があり、親には親の真実がある。どちらも真実である。どちらか1つだけが正しくて、もう一つは間違いとして消し去られなければならないということではない、とこの本はいう。
2つの真実が同時に正しく、同時に存在することを許せたとき、親はこう言えるだろう。「あなたが大好きなゲームを毎日たくさんしたいって気持ち、そうだよね。わかるよ!ママも大好きなゲームをたくさんやりたいと思う。時間制限なんて決められたら、ゲームの良いところで途中で終わらせなきゃいけないなんて嫌だよね。あなたがそう感じる気持ちはよーくわかるよ。」

こうして理解を示す言葉がけが出来ると、子供は自分の中に沸いた感情を肯定できるようになるのだ。どんな感情が生まれたときも、そう感じている自分のことを受容できるようになる。自分の感じている感情は間違っていないのだと、自分を信用できるようになる。

そのうえでまた、親の立場の心情もまた、真実であっていいのだ。
「あなたの気持ちもよくわかるの。だけど、親としてママには責任があるの。あなたが楽しくゲームをすることも大事だけれど、学校の勉強もしっかり頑張って欲しいし、あなたがご飯をしっかり食べて、夜睡眠をしっかりとって、毎日元気で居てくれることもママにとっては大事なことなの。だから、あなたが毎日元気に過ごして、学校のこともしっかりできるように、ママはあなたのゲームの時間に決まりを作らなければならないの。」

最終的にゲームの時間制限のルールは譲らない。という確固たる決意を子供に示さなければならないことは変わらない。けれども、あなたの気持ちは良くわかる。それは間違いではないよ、と1クッションいれること。もし私があなたの立場だったら、きっとあなたと同じ気持ちになると思う。ゲームいっぱいやりたいよね。そういった理解を示すことが重要なのだという。

子供にとっての真実と、親としての私の真実と、2つが両方とも同時に真実であってもいいのだと思ったとき、私の中で何かがシフトしたような気がした。

子供にとって、その時に感じている感情はもっともなことなのだ。娘にしたら、娘が怒っているときも、苛立っているときも、そう感じている娘は間違っていないのだ。私には私の考えがあって、娘の反応の仕方は正直嬉しくないと思う。けれど、私が正しく、娘は考えを改めなければならないというのは違うのだと思った。娘には娘の真実があり、私には私の真実があり、両方が真実なのだ。

厳しいことを言わなければいけないときも、娘の思い通りにはしてやれない、そういう話をしなければならないときも、まずは、娘の気持ちを肯定してあげよう。いつも同調できるわけではない。でも「あなたは今こう思ってるんだよね」は言ってあげることができる。

真っ向から対立するだけでは、関係性は築けない。子供だって親と対立したいと思っている子はいない。子供はいつだって、ただ愛されたい。子供には親の気持ちがわかりえないのは当然だけど、私はこどもの立場だったことがあるのだから、わかってやりたい。

生意気な態度や口の利き方で親の神経を逆なでするのが得意になった娘だけど、娘だっていろいろな想いを抱えながら懸命にもがいているのだと思う。
そんな娘とどうにか心と心の繋がりを紡ぎながら、信頼関係を築けるように、私もできる限り支えになってあげられるよう努力しようと思う。
何よりも、自分のこと、自分の考えを信じて生きていける人間になって欲しい。

本全体は読み(聞き)終えていないけれど、親として、子供を通して自分という人間を鍛錬されてる毎日です。


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