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選択のとき


リクルートスーツ姿で家の中を闊歩し、次のオンライン面接に備えて軽い昼食をとる。
大学4年生の息子の就活はコロナ禍の真っ只中だった。

生きてきた中で例を見ないパンデミックに、誰もが前途に不安を抱えていた頃。
どうなるかわからない社会情勢の中で、私の子育ては間もなく終わりを告げようとしていた。

『空の巣症候群』という、子が巣立つ時に空虚感や喪失感が強まる親の状態を指す言葉があるらしい。

親という立場になると、自分のこと以上に子どものことが頭の中を占める。
ある日、急にそこにぽっかり空間ができたら戸惑いを感じるのも当然だ。
そうならないためには、親であることと並行して″いろんな自分″という「他の居場所」を持っていることが大切なのかもしれない。
家ナカ生活がいつも以上に長い今、「他の居場所」を見つけるのはなかなか難しい。

「早く就職が決まりますように。」
切に願う気持ちと同時に、自分の心の新たな糧を模索していた。  

「チャレンジの時が来たのかもしれない。」



数年前から漠然と決めていたことがあった。
「もう一度心理学を学ぶ」という目標。


学費や勉強期間、モチベーション、今の状況を考えると大学の通信教育が1番しっくりくる。

「うん、受験しよう!」

久しぶりに自分自身のためにした決断。

私は新たな扉の前に立った。


息子の内定が決まってすぐに願書を出した。
コロナ禍の不穏な空気を自力で打ち破った息子にあやかったかのように。

願書提出の直前に、家族に初めて話した。
主人も息子も応援すると言ってくれた。

これまで、妻、母として、代名詞で呼ばれることが殆どだった20年以上の時間。
このまま黒子のような、裏方のような自分だけでいる人生も悪くない。誰かの支えでいられることは十分幸せだ。そう思っていたこともあった。
しかし、誰かの支えでいられる期間はその″誰か″が居なければ成り立たない。その″誰か″によって左右される他力本願な状態。それは期間限定でもある。

私の人生は 私自身が主となって決める。
「自分自身を決める」のは私なのだ。


こうして2年間の「学び直し」が始まった。

子どもの頃からの「心についての疑問」を解決したくて飛び込んだ学びの場は疑問の答えに留まらず、今の心の在り方、これからの未来に向けての考え方にまでも新たな視点を得た有意義なものだった。

学んだ中で
『人生は選択である』という大きな気づきもあった。

人は亡くなるその日まで、日々の小さな選択から人生を変えるような大きな選択まで、常に岐路に立ち、悩み、迷い、決断を繰り返しながら生きている。
時には選択した後で、
「もしもあの時、こうしていたらどうなっていただろう。」など、別の選択をした状況を想像することもある。誰かのせいにしてしまうこともある。
正しい選択が、曲がった解釈から純度を下げることもある。

私の場合も、
「もっと早い時期に学び直ししていたら‥」
「コロナ禍でなければ‥」
など、別の想像や言い訳をしたらキリがない。

でも、息子の人生の重大な選択の時期に寄り添った時だったからできた選択だった。
コロナ禍だったからじっくり内観することもできた。


やはり、あの時にしかできない選択だった。

これまでの選択の理由は
″すべて自分の内側にある″ と肯定でき、すべて必要なことだったと思えた先に、選択を選び取る千里眼のようなものが幾重にも養われ、道が開けていくような気がする。

だからやはり、人生は自ら切り開く選択の連続なのだ。

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