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映画『悲しみに、こんにちは』を見た。

監督のカルラ・シモンの自伝的映画。

幼くして母親を病気で亡くした女の子のひと夏の話。


若い叔父の家族に引き取られて

田舎のカタルーニャに来た主人公のフリダ。


母親の病気の時にも、蚊帳の外で詳しい説明がなかった。

そして母親が死ぬ時にも、立ち会わせてはもらえなかった。

ただ、自由にさせてもらい

多くの人形を買ってもらえてはいた。

子どもに対しても自分の母親であるなら、

十分に説明することが大切だと思う。


子どもが母親の病気について理解することが重要なのではなくて

子どもでも人として扱ってもらうことが重要なのだ。

理解ではなく

子どもでも十分に、いや、大人以上に感じることができる。

・・・

多くの孤独を感じている寂しい子どもがするように

その叔父さんの家族が

信頼できる人たちなのかを試す行為を

フリダは重ねていく。

叔父さん家族を振り回す。


叔父さんたちの幼い子どもであるアナに

たくさんの意地悪をする。

フリダは森の中の木の間にアナを閉じ込めて放っておくこともした。

それでもアナはフリダのことが好きという。

・・・

誠実な人柄であった叔母であったが

生理で体調がよくない時には

そっけなく対応することもあった。

・・・

毎週訪ねてくる祖父母や親せきの対応にも

苦心していた。

・・・

いつもは優しかった叔父さんが

アナが川でおぼれそうになったとき

「アナが死んでもいいのか」と

フリダを理不尽に責めた。

・・・

その夜

フリダは家を出ようと荷物をまとめて出かけたが

道が暗く諦めて家に戻った。

その時

叔父さんたち、アナも心配してフリダの名を呼んでいた。

本当に心配していた。

そのことがフリダにも分かった。


そして

フリダが眠っている時

叔母さんが来て

優しくフリダの頭や体を撫でで

キスをして

抱きしめて眠ってくれた。


本当に必要だったのは

そんな家族として温かく抱きしめられること。

健康管理も躾も必要だけど

一番必要なのは

心からの愛情の表現だった。

フリダはその愛情を感じることができた。

・・・

カタルーニャに来てからの新学期の準備。

叔母さんは苦手なのよと言いながら

一緒にしてくれた。

にこやかになっていったフリダの表情。

そして

お祭りの旗持ちの役割を楽しそうにするフリダ。

・・・

お祖母ちゃんからもらっていたアナとおそろいのパジャマを着る。

(叔父さんはパパ)

(叔母さんはママ)

一緒にパパとアナとベッドではしゃぐフリダ。

ベッドが壊れるからジャンプは駄目だといいながら

一緒にはしゃぐパパ、アナ、そしてフリダ。

・・・

すると

突然

フリダがあふれ出るような涙を見せる。

今まで心に鎧を付けていた。

フリダはこの家族と生きていけると本当に感じることができた。

そのとき

溜まっていた気持ちがあふれ出たのだ。


良かった。本当に良かった。

鋭い感受性の持ち主であるフリダが

苦しむことから解放されたように感じた。


そして成長して

この映画を作った。

母親に捧げると最後に書いてあった。

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