「やりがい」=「奉仕」≠「賃金」

もちこです。
非常に暑い日が続いて出勤が嫌になります。
最近健康のために、歩く・自転車に乗るを心掛けています。
(節約のためでもある)今回の話は一般論と何の変りもない、私自身の過去と照らし合わせる内容です。何か特別なことを聞きたいという方は、お時間を頂戴し読んでいただいても有益な情報はありませんので、また別の機会でお会い出来たら幸甚です。

唐突ですが、驚くことに私は、今年で教員6年目になりました。大学院を修了して社会人になってからは4年目です。
最近、改めて考えさせられる出来事が多々ありました。

私の性格形成期

「やりがい搾取」って言葉を耳にしたことはありませんか?
私は、この言葉を初めて聞いたときに事を今でも鮮明に思い出せます。
大学へ通学する電車の中で読んでいた『逃げるは恥だが役に立つ』という漫画に出てきたのです。

この言葉を聞いて、衝撃でした。
私の語彙が少ないばかりに、どんな気持ちになったのかを皆様にお伝えするのが難しいのですが…
本当に後頭部を殴られたような衝撃を受けました。

振り返れば、私の人生記憶があるところから辿ると、言葉通り「搾取」されていたと思うことがたくさんありましたし、「やりがい」さえ感じていないことあったなと思うのです。

私は、2歳下に妹がいます。そうなると、お母さんからの「お姉ちゃんだから」カードが発動される場面があります。
私の妹は、誕生当時心臓を悪くしており、母も非常に心配し、気にかけていました。妹の入院で、1か月そちらに付き添い、私は祖母と一緒に生活していたことがありました。
そんな所以で、とにかくそのカードの発動が多発していました。

やりたくないのに、やらされる。
妹が何かやらかしたら連帯責任でその償いをする。

とにかくこんなことばかりで、幼少期の母のイメージは、妹しか可愛くない。抱っこされた記憶もなく、いつも怒られる、ひやひやということばかりでした。
(あんなことあったよねー、と今過去の話をしても、母は私にしたことは全く覚えていません。当時は隠れて泣いたほどしんどかったのに)

でも、そんな母は仕事になると、とてもお人好しで、子どもながらにそんなことまでやるの?と思うこともやっていました。

「お互い様だから」が口癖。
そんなことを耳に胼胝ができるほど聞いていたら、あら不思議。
わたしもそんな人間になってしまいました。

自分では気が付かなくて、母からはそのくらいやって当然。と育てられているわけですから…就職しても気が付くことなく、その言葉通りの生活を送るようになりました。

社会人の一歩目

社会人となり、1校目の学校。カトリックの一貫校でした。
学校の運営方針・思想ともに「奉仕の精神」
人に尽くすことは、自分のためにもなる。

その言葉通り、私は忠実に働きました。
非常勤講師ながら、頼まれたことは何でもやり、家から比較的近い場所に学校があったことから、時間に囚われず働きました。

メールの返事は1時間以内。(土日祝・長期休みでも除外されない)
空コマがあっても外に出られない。(拘束時間ではないのでそんな権限は本来であれば学校側にはない)
空きコマは、職員室かトイレしか居場所がない。
定期テストは1か月前に作成し、たとえ夜中であっても、OKサインが出るまで、訂正をし直す。
分割クラスや地理・歴史の先生で決める必要があることや成績付けなどは、専任の先生に合わせて6時半には出勤し、23時退勤。(遅くまで電気がついていると、周りの民家に不審に思われると言われ、懐中電灯を照らして作業したこともある)
テストや成績に関して、採点・配点ミスをすると始末書と校長先生からの説教。(テスト返却時に生徒からの申し出による採点ミスも対象)
異性の先生と2人で職員室で話していると、管理職からみだらだと注意される。
非常勤講師には有給休暇が存在しない。また、何十年働いてもコマ給は増額しない。(これは良くしてくださった長年勤めている先生から聞いた)
生徒がいる前(廊下や教室)で管理職から叱咤される。

もうね、今思い返すと恐怖。
なんでそんなことが出来ていたのか?完全に洗脳されていた。

その頃、SNSを見ていると、「教員(公務員)は労働時間を時給に換算してはいけない。」というような言葉が目に飛び込んできました。
やるなと言われると、やりたくなるのが人間。

やってしまいました。時給換算。
知らなければよかったとは思いましたが、これが働くってことか…となぜか当時は納得していました。

周りから異常さを指摘されても、とにかくそこの環境に染め上げられてしまっているので、おかしいのはそっちでしょ?レベルでした。

社会科の教員で、公民を教える立場にある人間がそんな働き方をしているわけです。
当然生徒からも突っ込まれます。
「先生は労働時間守ってないし、残業手当あるの?」

その学校の先生たちは、「奉仕」「やりがい」「生徒のため」「学校のため」に無償で労働する訳です。

でも、私は冒頭部分にもあるように、やりがいなどほとほと感じていないことがありました。
ただの搾取。お金もそうだし、人生の時間も搾取されていた。

教員になりたかったはずなのに、だんだん嫌な人間になっていく。
気持ちは沈み、毎日愚痴をこぼす。
SNSを見ては、人を羨み、また嫌な気持ちになる。
この気持ちを共有できる教員としか話さなくなり、どんどん友だちと疎遠になる。

だが、もともとの性分もあって、その環境がつらくても、周りも大変だから私も頑張らなきゃ。お互い様だ。と思い込み、暗示させ、毎日出勤を続けた。(ここからどうやって脱出したかは次の回で)

いいように使われる人

結局のところ、私は性格もあいまって、過酷な労働環境におかれていたらしい。
らしい、というのは当事者だったから、評価できないということです。
自己評価と他己評価は違うといいますが、それと同じです。

とにかく結論で何が言いたいかというと、一般論と同じで、やりがいや奉仕の気持ちと賃金は等しくはならないけど、それに気付ける環境になければ、そういうことにも気づけないということです。

そして、それを上手いこと利用して、ここまでは給与だから、ここまでは労働時間に含まれているから…周り見て?やっているよね?
と自分を囲って、追い詰めてくる人もいるわけです。

私には、その環境を脱する一つのきっかけがありまして、だからこそ今はその状態から抜け出し、恵まれた環境で働けていると思います。
何故抜け出せることが出来たのかは、次回のnoteでお話ししますね。(これもまた不本意ですが、尋常ではない長さになってしまうので)

ただ、ここまで言って断っておきたいことがあります。自己評価=給与、とはならないということです。
矛盾しているようで言語化するのは難しいのですが…自分で勝手に評価して、これだけの価値がある人間だから、もっと給与あげろ!給与少なすぎるだろ!と思ってはいません。

ただ、その好きで働いている気持ちを利用され、蔑ろにされるようなことがあってはならないというだけです。
最近Twitter(ではなくXなんですよね。まだ私のアイコンは青い鳥が飛んでいますが)で、もちことしてみているアカウントには、現役教員・教員志望・私に少しでも興味を持ってくれた人の3種類の方々の呟きが流れてきます。

その中でも、現役教師の「やめたい」の声は多さには驚愕しました。
私が狭い世界で生きすぎている可能性は否めませんが…
教師という道を、嫌々選択して職業にする人ってそういないと思うのです。
だって、選択する段階で大変だってわかっているし、教育実習にもいってわかっているから。
だからこそ、やめたいと思う人の気持ちになると、非常にやるせない気持ちになります。教員だけではなく、保育関係、介護関係、看護関係も同じだと思います。
人と接し、生活し、成長する過程を見る職業には、タイトル通り賃金、時間が見合っていないです。

人間同じ時間しか与えられていないのに、毎日鬱々と過ごすのも、好きな仕事が嫌いな仕事になるのも悲しいです。

今職業選択を迫られている人は、色々な媒体から情報を入手できるからこそ、有益なことも嘘っぱちなことも、目にしてしまうと思うのです。

このnoteもそうです。これは、私の経験に基づく、私の考えであるため、その点は充分ご留意の上、何かの参考になればと思います。

初noteでこんな重い内容で、どんな人間なんだと思われることでしょう。普段は、何の変哲もないただの人間として生活している者です。
また、ご縁がありましたら皆様とお会いできると嬉しいです。

長文に目を通して頂きありがとうございました。


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