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■師事婚(シジコン)生活。■~上位3.6%の夫と平均嫁の日々~

|○○婚、と名付けるならば。

「さずかり婚」や「マッチングアプリ婚」、「格差婚」……結婚の様相を表す○○婚という名称は、別に誰も求めていないのに、さまざまなカテゴライズをされてきたものだ。まあ、確かに夫婦のイメージを分かりやすく伝えるためには得策なので、今回、私たち夫婦のエッセイを書くにあたり、私と夫の結婚スタイルも名付けてみることにした。
改めまして自己紹介。夫は「かっちゃん(仮)」、嫁の私は「ももちゃん(仮)」。都内に住む30代の夫婦である。学生時代から付き合って社会人になり、自然と結婚に至ったよくあるケースの二人だ。結婚生活は10年以上にのぼるが、振り返ると、ももちゃんはかっちゃんに常に教えを乞うている。かっちゃんは昔から地頭が良く、本質を突いた発言に定評があるからだ。かっちゃんの話は時に「俺分かってるっしょ」的な雰囲気で自慢に聞こえて腹立たしいし、喧嘩もするが、ももちゃんがかっちゃんに抱く敬意は絶えなかった。例えるなら「師事をしている弟子」のようだ。だから、ももちゃんはかっちゃんとの結婚スタイルを「師事婚」と名付けることにした。
「嫁が弟子なんて、上下関係があるようでおかしい」と仰る方がいるかもしれないが、ももちゃんは師匠の教えを全て聞き入れる従順な弟子ではない。怠け者でよく怒られているダメ弟子だ。言い換えると、かっちゃんより下なんて思っていない、ふてぶてしい存在である。
ももちゃんはかっちゃんとの考え方の違いが興味深く、よくアドバイスをもらう同士のような関係性でもあるのだ。諸葛亮孔明と劉備玄徳のよう、と言ったらさすがにおこがましいか。
そんなわけで、このエッセイでは、ももちゃんがかっちゃんの考え方にハッとしたことや、夫婦として互いの違いや価値観を認め合うことの面白さを拙筆ながら伝えていきたい。

|かっちゃん曰く。何事もPDCAを回してけ!

大手上場企業で部長職を担うかっちゃんの年収は約1400万円だ。この額を稼ぐ社会人は日本で3.6%しかいないと、2年前に美容院で流し読みしたファッション誌の記事に書いてあった。そう、かっちゃんは俗に言う「ハイスぺ男子」というヤツかもしれない。一方、中小企業に勤めるももちゃんの年収は約500万円。日本の平均年収443万円(※)よりも、少し高い位の額である。
(※)令和3年分 民間給与実態統計調査|国税庁 (nta.go.jp)より引用
本人曰く「自他ともに認める『デキる』ビジネスパーソン」であるかっちゃんは、家庭にもビジネス用語を持ち込むうさん臭さを発揮する。例えば、「日本酒の発注、段取りどうなってる?(=かっちゃんの晩酌用の日本酒はちゃんと準備できているか)」「そのお茶の運搬、移動コストと折り合いつけたの?(=節約のために水筒を会社に持っていくのはいいけど、移動中だるくないの?)」など。 「アジェンダがディレイしてるからASAPでリスケで…」なんて横文字の連打をされないだけマシだが、デキるビジネスパーソンたるもの、常に思考がビジネスマインドなのですね、と私はかっちゃんに敬意を払いつつ「歩くビジ本(ビジネス本)」と揶揄していた。
そんなかっちゃんのビジネスマインドが炸裂したのが、ある日の休日。二人でラウンドワンに出かけ、ビリヤードをしていた時のことだった。幼い頃からスポーツをたしなみ運動神経が良いかっちゃんは、ビリヤードも得意だった。一方、運動音痴なももちゃんは、大学生の頃に一度だけ経験したビリヤードの感覚を思い出すのに必死であり、キューを突く度に玉が明後日の方向に何度も飛んでいってしまい、爆笑していた。
初めのうちは共に笑っていたかっちゃんだが、繰り返し同じ失敗をし、中々上達しないももちゃんに徐々に怒りを抱いたようだ。 冷めた表情のかっちゃんは、ももちゃんにこうたしなめた。

「PDCA回してんの?」

「は?PDCA?」……曲がりなりにも社会人を10年以上やってきたももちゃん。無論PDCAという言葉の意味は知っている。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(確認)→ Act(改善)の4段階を繰り返して業務を改善する方法の総称である。ビリヤードできゃっきゃして楽しみたかったももちゃんは面食らった。ここでも「歩くビジ本」発動かと。

「ももちゃんは何で改善しようとしないんだよ。まずはどこに打つかを決める。試す。失敗したら次に生かす。これでできるようになるんだから。」
「はあ」

釈然としないももちゃんだったが、かっちゃんが冷酷な表情で自分を見守るのが恐ろしく、真剣に改善計画を練り、キューの打ち方を変えて試してみた。 適当に打っていた時よりも上手くなり、10回以上練習した後かっちゃんと同じ土俵に立って勝負ができるようになったのは言うまでもない。
「デキるビジネスパーソンは如何なる時もプロ意識を忘れないのだ。怖い怖い。面倒くさい」と震えたと同時に、「昔からPDCAを意識していれば、ももちゃんは運動が好きになっていたかもしれないな」と、今までの人生を恥じるような、切ない気持ちが溢れたのを覚えている。

|かっちゃん曰く。雨が降ったなら、降らない場所を探せばいい。

全力を出す人と旅行に行くと作られる思い出は180度変わる。そう実感したかっちゃんとの体験がある。
かっちゃんと私は旅行が大好きで、毎年夏や冬の連休が訪れる度、国内の温泉地に出かける。普段ほぼ休みなく働くかっちゃんにとって、愛する日本酒とおいしい和食に舌鼓を打ち、温泉につかってのんびりできる旅は、人生においてこれ以上ない至福の時なのだ。だから旅の間、かっちゃんは上機嫌だ。車中で歌い、冗談を言いまくり、変な顔をしておどける。「これが上場企業の部長職か」と驚くほどの醜態をさらしている。
そんな浮かれたかっちゃんの表情が唯一、一変する場面がある。「雨」である。雨はすべての計画を台無しにしてしまう。予定していたアクティビティは中止になり、スリップの危険があるため道路が通行止めになり、有名な自然の観光地に向かえないケースが多い。ドライブ中に車窓から見える景色は、晴れているときの鮮やかな光景と比較するとまるで絶望を感じさせる灰色の絵画のようである。事前に天気予報は調べるものの、休みが少ないかっちゃんが連休をとれる時期は限られているためリスケは厳しい。雨の日を長時間過ごすしか道はない。
昨年、T県のとある地域に行った際も雨が降った。呑気なももちゃんは「いいじゃん別に。旅館でゲームしたり、温泉入ったり、のんびりしようよ」と声をかけるが、希少な休日を全力で遊び尽くしたいかっちゃんには承服しがたい助言のようだった。逆らえない自然の脅威を前に、待ち焦がれていた遠足に行けなかった小学生のような苦悶の表情を浮かべていた。
ただ、その日の天気は雨がふったり、晴れたりしていた。現在地はどしゃぶりだったが、少し遠くのエリアに視線を移すと雲間が見えており、広大な自然が広がるT県の天気は地域によってまちまちのようだった。
すると、かっちゃんはおもむろに某天気情報アプリの「雨雲レーダー」を開き、雨の降っていない場所を調べた。
「X町なら晴れているし、この後も雨は降らなそう。ちょっと遠いけどここの観光地適当に調べて」と、グーグルマップと雨雲レーダーを駆使し、雨の降らない地域に行く作戦を打ち立てた。X町に向かうのは車でもまあまあ距離があるので普通なら面倒だと思ってしまうが、かっちゃんは貴重な時間を無駄にする方が嫌なのだ。その土地でしか得られない体験を放棄し、雨に濡れて不快な思いをしながら大人しくするなど、かっちゃんには信じられない行為だった。
結果的に、移動距離は少しかかったがT県の有名な観光地に行かれたし、晴れていたから景色も楽しめて、途中でドライブスルーに立ち寄るなど自由度高く行動できた。もちろん、部屋でのんびり過ごしたとしても思い出にはなっただろうが、かっちゃんは最適解をつかみとる。1分1秒を楽しみ尽くすために生きている。かっちゃんがいない人生といる人生では、私の経験値は全然違うものになっていただろうなという思いを馳せた旅になった。

|かっちゃん曰く。伝説を作るために仕事をしている。

自信にあふれる人は生きるスタンスが違う。夫婦と言えど共感し合えないことは山ほどある。そのうちの1つが、仕事への向き合い方だ。
ももちゃんは今の仕事にやりがいを感じているが、日曜日の夕方、憂鬱な気分になることもよくある。いわゆる「サザエさん症候群」だ。「会社がある日突然、犠牲者ゼロで建物だけ爆発して仕事ができない状態にならないかな」なんて、とんでもない妄想を抱く日もある。朝は「眠い。もう少し寝たい」。連休明けは「ネトフリ観たい。休みがもう少し欲しい」とぼやく。プレッシャーにまみれながら働くのが、とにかくしんどいのだ。しかし、ももちゃんは会社では一応10年以上のキャリアを持つベテランの部類にあたる。そんなダレた気配を出したら周囲の士気が下がることは重々承知だ。会社では疲れた素振りを見せず、真面目に出勤しているが、仮面を被っている反動か、家では「意識低い系社員」になり果てる。
反対に、かっちゃんは仕事の愚痴をほとんど言わない。唯一思い浮かぶのは、かっちゃんが「平成の蟹工船へようこそ」と先輩に歓迎されたという逸話を持つ、どブラックな今の会社に入社した一年目の時期くらいだろう。睡眠時間が毎日3~4時間ほどしかなく、年間休日10日ほどしかないような状態で身も心もくたくただったかっちゃんが「やめようかな」とつぶやいたことはあったが、2年目以降は聞いたことがない。
朝は私に冗談を言いながら生き生きして出勤し、夜は鼻歌を歌いながら帰宅し、おどけたポーズで私を爆笑させるかっちゃんを、この世のものではない化け物のように感じていた。だから、ある朝こんな質問をしてみた。

「ねぇ、かっちゃんてさ。会社に行きたくない。疲れたって思ったことないの?」
かっちゃんは堂々とこう答えた。
「肉体的に疲れたって感じることはあるけど、精神的に疲弊して会社に行きたくないって思ったことはないね。俺、毎日革命を起こすのが楽しいんだよね。

ビジ本を極めすぎてついに気が狂ったかと衝撃を受けたが、確かにかっちゃんの業務は話を聞く限り組織改善の業務がメインであり、変革を起こせる立場にいる。
仕事ってさ、できないことができるようになるから楽しいんだよね。俺は部下にそれを感じてもらいたい。俺が伝説を作って、組織を改善して、みんなを驚かせたい
笑顔で言ってのけるかっちゃんの姿を見て、ももちゃんとの姿勢の違いに茫然とした。実際にかっちゃんは数多くの課題を抱えた部署に次々に異動になり、組織改革を行いまくっていたようだ。本職ではないプログラミングの基礎を学び、社内システムも数多く構築したらしい。
かっちゃんはとにかく、毎日を楽しく生きたいポジティブ人間なのだ。ネガティブで周りを巻き込んで仕事をすることが得意でないももちゃんにとって、かっちゃんの姿勢はレベチすぎて共感できなかったけれど、「できるようになると仕事は楽しい」は真実だ。私も愚痴を吐くものの、前を向いて取り組んで楽しくなる努力をすることにした。自信に満ちて、仕事が好きなかっちゃんのような人が会社に一人いたら周囲の人は大いに影響されるだろう。ひいてはこの国の経済も、めちゃめちゃ発展しそうだな。

|かっちゃん曰く。「資本主義社会が正解かは分からない。でも、資本主義社会で生きていることは自覚しないとね」

3月のある夜、かっちゃんが「ボーナスが200万円だった。ももちゃんはいくらだった?」と私に高慢ちきをかましていた。ももちゃんのボーナスの額はかっちゃんの額と比べると雀の涙程度であったが、それでも、ももちゃんにとっては頑張った証だったし、ボーナスをもらえるだけありがたいと常日頃思っていた。かっちゃんのおどける姿に「マルクスが唱えた資本主義社会の構造に染まり、金がすべての価値だと思い込む守銭奴が」とイラついたももちゃんは「確かにかっちゃんの功績は素晴らしいけれど、あくまでこの時代の価値観での評価にすぎないよね。お金を稼ぐことがすべてではないし、その人の価値を表す指標ではないからさ。そんなに自慢することなの?」と冷ややかな目で伝えた。怒りが収まらぬももちゃんにかっちゃんはこう切り返した。
「ももちゃんが言うように、お金を稼ぐことが素晴らしいと感じてしまうのは、資本主義のこの時代のみ通用する価値観かもしれないね。でも一方で、『俺たちは資本主義の時代を生き抜かなければいけない』という事実も忘れちゃいけないよね」
……かっちゃんのこの台詞は、特段尖ったことを言っているわけではない、既知の事実である。ただ、かっちゃんは、資本主義社会で生きるのを嫌がり目を背けるももちゃんに鋭いナイフを刺したのだった。「その考え方は間違っていないけど、この資本主義社会で大変な思いをして働いてもお金を稼げないももちゃんは今幸せなの?」と。
かっちゃんは、よくももちゃんに「ももちゃんは出世争いも他人と競争するのも嫌いだし、今の営業会社の仕事は向いていないよ」とアドバイスをくれていた。でも、ももちゃんは今の仕事が好きで、頑張りたい気持ちがあった。だから、かっちゃんの指南を聞かずに約10年間、同じ職場で働き続けていた。でも、ももちゃんは時折、「会社がつらい、しんどい」と愚痴を吐き、もやっとした気持ちを抱えながら日々生活していた。それをかっちゃんは心配していたのだ。お金がすべてではないけれど、時代は簡単に変えられなんてしない。この時代で幸せに生きるために、今の仕事は自分にマッチしているのか、自分の強みを生かせているのか。見つめなおして、工夫をして生きていかねばならぬのでは?と。
かっちゃんの言葉から示唆を感じたももちゃんは、「そうだね…」と素直に頷いた。今後のキャリアを見つめなおすきっかけになった夜だった。

|かっちゃん曰く。予想ができないから面白い。

足るを知る。己を知る。夫婦が長く続く秘訣はこの言葉かもしれない。

ももちゃんは小さい頃から不器用だった。成績は中の上くらいだったけれど、スポーツは得意ではなかったし、陰キャでコミュ障だし、女子ヒエラルキーの上の人たちとは緊張して仲良くなれなかった。かっちゃんは小さい頃から頭が良くスポーツ万能。机のまわりにはいつも友人がいて、クラスを盛り上げる人気者だったらしい。こんなにも正反対な二人なのに、大学の頃に同じクラスで仲良くなったとはいえ、夫婦としてそれなりに長く続いているのは不思議の極みである。
ももちゃんがかっちゃんに学ぶことは星の数ほどある。人間性も考え方も、仕事の姿勢も、あらゆる知識をかっちゃんから学んだ。その点、かっちゃんがももちゃんに学ぶことなんて一つもないだろう。かっちゃんなら、ももちゃんよりも遥かに美女で聡明な、素敵な人と結婚した方がおかしくないよね。その思いをストレートにかっちゃんに伝えてみたら、かっちゃんはこう言った。

「ももちゃんは、予想ができないから一緒にいて楽しいんだよ」
「どういう意味?」
「ももちゃんが前、もち(飼っていたハムスター)がカーテンをよじ登ってレールの上で佇んでいた時に『もちは予想外の行動をするから、目が離せなくて可愛いよね』と言っていたでしょ。それと同じな気がするな」
…私はペットか?と首をかしげそうになったが、なるほど、ももちゃんがかっちゃんをレベチと感じるように、かっちゃんにとっても、ももちゃんはある意味、レベルが合わず行動予測がつかない人間で興味深いのだ。

ある時は窓を全開にしてクーラーをつけるともっと涼しくなると、謎のデマを信じて実行し、かっちゃんに怒られた。
ある時は歯磨きをしながらなぜか爆睡し、かっちゃんに動画を撮られた。
ある時は話しながら白目を向いている点をかっちゃんに指摘され、直すよう訓練した。

謎の生物としてかっちゃんには見られているのだろうが、かっちゃんはももちゃんを見下さないし(馬鹿にはしてそうだが)、ももちゃんの行動から例えば女性の悩みだったり、仕事で悩む部下の気持ちだったりを学ぶことも少なからずあるようだ。
ももちゃんは自分を虚飾することを辞めている。不器用な自分を認めて、かっちゃんに教えを乞うている。かっちゃんも、ももちゃんを「考え方の違う人」として認識して観察する。相手の考えを学び合い、分かち合う師事婚。ぶつかることもあるけれど、かっちゃんとももちゃんは笑いの絶えない毎日を送っている。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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