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2024年でカメラマン活動10年になるからnoteやってみる。

ごあいさつ

はじめまして、埼玉県のフリーカメラマン、持田カメラです。
よろしくおねがいします。

ざっくりと職歴

なんでカメラマンになったのか、きっかけになった時期は2009年春に入職した、地元長瀞町の観光協会が法人化されるタイミングで滑り込んで、観光イベントの企画/運営や観光情報の集約、情報発信などの仕事をしていました。

これまでは高校卒業後、土木作業員、ホテルの清掃や配膳のバイトなどをしていました。
当時は就職氷河期。やりたい仕事もなかなか見つからずなかなか大変でした。

当時、自腹で購入したRICOH R10という、コンデジの割にはとても写りが良いカメラを購入したのち、出版社やテレビ局などに情報提供する際、ちょっといい画像でないとダメだろうなと思ったときに、これまた自腹で購入したキヤノンEOS Kiss Digital X4という、上位機種のEOS 7Dと同じ1800万画素のセンサーを積んだ初心者向けのカメラがどうやら「名機」らしいということで購入し、練習しまくりました。

これが2010年~2014年ころ、約10年ほど前のできごとです。

いっぽう、プライベートでは、この職に就く前にバイトをしていたCD店の先輩社員がクラブでDJをするからということで遊びに行くことになったイベントで先輩社員やDJの先輩などをスナップし、時にはオーナーやオーガナイザーに叱られながら撮影しまくっていたら、ある大物アーティストのFacebookから「いいね」されたことがきっかけで、調子づくようになりました(笑)

この、観光関係の仕事はとてもおもしろく、「きつい仕事か、キッツい仕事」かのどちらかしかなく、上司も部下もなく、できることが増えてきた割には仕事をふる人もいなく、だんだんモチベーションが保てなくなり退職することになりましたが、この1年半後に、大手旅行会社の方からの連絡により、緊急雇用対策事業として、秩父地域でなにかと話題の「横瀬町」の観光ガイドブック制作の仕事に従事することになったのですが、このときの給与が半端なく良かったのでEOS 5D MarkIIIとズームレンズ、モノブロックストロボなどの撮影機材を買い漁り、写真の楽しさをわかってくるようになりました。

両親の面倒をみることをきっかけに始めることになった。

この事業が終了する頃、2015年の秋~2016年のはじめ頃に、母親の体調が崩れ、その次の年には父親も体調が良くなく、月に1、2回は通院をしなければいけなくなってしまい、就職活動もままならない状態になってしまったので、アルバイトを探すことになったのですが、観光ガイドブック制作の仕事でお世話になった横瀬町の役場職員の方から「この仕事募集してるけど、やってみない?」と、仕事内容が記された町の広報誌を指した指の爪の先は白く、力強かったので応募してみたところすんなり通していただき、2016年、平成28年の春から、横瀬町の非常勤職員として働く傍ら、副業がOKだったのでカメラマンとしての道を少しずつ歩むことになりました。

ブライダルカメラマン

初めて挑戦することになったのは、結婚式場のカメラマン。
The・英国紳士のイギリス人フォトグラファーを師として仰ぎ、いろんなことを学習させていただきました。

「モチ、ダイジョウブデスヨ」

この言葉でだいぶ救われました。

情報発信

カメラマンとして自分は何者であるかを発信するために、当初Adobe Creative Cloudサブスクリプションのソフトの中に「Muse」という、HTMLのコーディング知識がなくてもWebサイトが作れてしまうソフトに、クリック一発でWebサイトが解説できてしまうBusiness Catalystというものがあったので、InstagramやFacebookページで情報発信することに。
七五三やコスプレ撮影などの仕事がちょくちょく入るようになりました。

雑誌や巻頭グラビア写真の撮影が入るようになる。

地元の子育てサークルの集客のために利用していただいたり、これらの情報発信がきっかけで雑誌の編集プロダクションからお声がかかるようになり、雑誌の巻頭グラビア(グラビアは印刷方法のひとつであり、オフセット印刷に変わってしまいまい、グラビアという名前だけがのこっているようなもので、決して性的欲望を満たすためのコンテンツを撮影していません)をおこなったりして、「秩父のカメラマンといえば、あいつかな」と、ありがたいことに言われるようになりました。

スタジオ勤務もフリーランスへ再転身

こうして2021年の秋にスタジオ勤務をすることになったのですが、かなり浮いてしまって、そのうちに父が亡くなり、さらに浮いた存在になってしまったので4ヶ月ぐらいで退職。再びフリーランスへ再転身することになりました。

個人受けから、BtoBへ

これまで個人受けの BtoC の仕事が大半を占めていたのですが、 BtoB (広告や商品撮影)の仕事が増えてきてたいへんありがたいことに「写真で食っていける」用になりました。
まだまだ、ですけどね。

これからやってみたいこと、夢。

フォトスタジオ開設

わりとひらけた住宅街(のようなところ)にフォトスタジオを解説したいです。
白ホリ、黒ホリ、今流行りっぽい北欧系の?ボタニカル的な?アンティークを基調とした地域唯一の写真スタジオ兼自身の活動スペースを作りたいです。
今は実家ですからね。いわゆる「こどおじ」ですわ。

コミュニティの醸成

秩父のフリーカメラマンは私を含めて…数え切れるぐらいしかいないのですが、彼らをまとめて仕事を一緒にやる。みたいなことをやってみたいですが、それぞれ方針もやりたいことも違うので、多分ムリでしょうけど、彼らと仲良く情報交換してみたいですね~笑

専門性を持ちたい

例えば「料理写真専門」「ブライダル専門」とか、専門性をもってその道を極めたいとも思っていますが、田舎で活動するカメラマンはいわゆる、街の小さな写真店をやっている「写真屋のおっちゃん」。いろんなものやことをソツなくこなして行かなければいけません。
専門性を持ちたいですが、私は何でも、人命に大きなリスクが伴うジャンル以外の撮影できます。

皆さんあってこその私。

令和6年、2024年はカメラマン活動10周年。ここまでやってこれたのも、これからやっていくのも皆さんあってこそのことです。
これからも少しずつ、いろんなことに挑戦し、成長してまいりたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。

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