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いじめの傍観者は神。観客はクズ予備軍。

また、賛否両論なタイトルにしてしまった。
デザイン関係ないし。
が、終わりのなさそうないじめ問題につて
この時代の代わり目に、そこはかとない希望を。

いじめは無くならないとは思うのだが、
如何やったら減らせるのか?
よく考えたり、子どもと話し合ったりする。

先生がたまに言っている事で、賛成しかねるのが
見てみぬふりをすれば同罪と言うのがある。

何と怠惰な事か。
自分ができてない事を生徒に託すんじゃないと思う。

いじめは、多数対一人の場合に定義される。
1対1だと、ただの喧嘩だからな。

然るに、観客が必要なのだ。

いじめをしている人にとって、
その自覚の有無に関わらず、
その行為の自己承認欲を満たすためには、
見てくれる人や見せつける人が必要不可欠だ。

学校はその舞台として打ってつけなのである。

屯して人をいじめているクズ集団は
お互いに見せつけあっているし、
外野にも見て欲しいのだ。

お互いを観客としているクズ集団はいなくならないであろう。
なのでここへのアプローチは無視するとして、
そのほか多数の学校の生徒が、
もし、このいじめに全く興味がなくなってしまえばどうだろう。

哀れんだり、面白がったり、自分が標的になることを恐れたり、
色んな感情を持つだろうが、
そんな舞台(学校)で演じられる
クズ集団の馬鹿げた劇(いじめ)に興味を示さず、
そんなのどうでもよくない?
みたいな、興味のない人が増えたとしたら。

一人一人が観客になるのをやめ、傍観者になったとしたら。


長女が小学生の時、先生から娘のおかげて助かっている事があると言われた。
何がと聞いてみると、
いじめにあってる子の机を掃除中に運ばない子が出てくるらしい。
そんな中、その運ばずに屯している子達を無視して、
スタスタと運んでしまうらしい。
娘は、早く掃除を終わらせたいだけである。他意はない。
他意がないのでいじめっ子には何も伝わらない。
娘にとって、いじめっ子もいじめられっ子も同じ生徒の一人なのだ。
傍観者なのである。

社会でも同様だが、
言い方を変えれば、
いじめをしている人を分け隔てなく扱ってしまえばいい。
いじめをしている側が強いわけでも何でもない、
いじめられている側が弱いわけでも何でもない。

傍観者を悪い捉え方で見るのではなく、
いじめに興味を示さない人として捉えた時、
もしも、その割合が80%〜90%と増えていったとしたら…

観客がいない中でグズ集団がやっている劇(いじめ)を想像して欲しい。
実に滑稽だ。

こんなに簡単にいかない事くらい、重々承知しているが、


傍観者の生徒に敬意を!!!
傍観者たる大人に敬意を!!!

全ての生徒が人々が傍観者になれる事を願ってやまない。


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