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「好き」への嫉妬

好き好き、大好き!

そんなテンションで何かに取り組むことのできる人をみると、「素敵だなあ」といい気持ちになる。

けれどその一方で、その純粋な「好き」の気持ちだけで走れる人が、羨ましくて仕方なくなる。嫉妬の感情で、少し胸が痛くなる。

私の恋人も、同期も、同じ学生寮で一番の仲良しの子も、みんな「研究」というものが大好き。

知的好奇心の塊で、あれこれ興味を示しては、どんどん知識を自分のものにしていく。好きな物事に対してののめり込み具合は、文字通り寝食を忘れるレベル。
毎日、たいへんなこともあったり、落ち込むことはあれど、研究や学問に対する情熱は、ゆるぎない。

「はなは、研究、めちゃくちゃ好きってわけじゃないよね」

恋人の言う通りだ。研究は、そこそこ、好き。あくまで、そこそこ。

そんな自分に、引け目を感じている。「好き!」の純粋なエネルギーには、かなわないから。

「俺、好きじゃないことって全然できないなあ」

私の心を知ってか知らずか、のんきに言う彼。

「あんたはそうだよね」と、流すのが精一杯だった。

「すごいよね、あさぎちゃんって」

住んでいる学生寮の共同キッチン。一番の仲良しの子と、たまたまお昼ご飯のタイミングが重なった。
「もうすぐゼミ発表でさ〜」「私も!」と、互いに愚痴をこぼしあった後、彼女が何気なく言った。

「なにが?」

「だって、原動力が『誰かの役に立ちたい』でしょう。そんな気持ち、私にはかけらもなくて」

「まあ、私のやってる経済学って、社会をよくするための”社会科学”だしねえ」

そう言って、お茶を濁す。頭の中には、おんなじ経済学をやっているのに、「好き!」で生きている恋人の顔が浮かんでいる。

「本当はさ、『好き!』で動いている人たちが、たまらなく羨ましくなるときがあるんだ」

翌日、恋人の家で夕ご飯を食べながら、思わず口を開いていた。

「別に経済学が嫌いなわけじゃない。他にもっと好きなことがあるわけじゃない。いまの生活には、満足してる。『社会のために』って奮い立つ気持ちもある。でも、なんでだろう。『好き!』の人たちにはかなわないって思っちゃうんだ。うらやましいなって、嫉妬しちゃって」

箸を止め、彼がこちらを見る。

「なんか、ごめん」

「いいんだよ」

笑って、彼はゆっくりと話はじめる。

「ものをはじめる動機は、人それぞれだよ。そこに良いも悪いもない」

お茶を一口飲み、彼は続ける。

「俺はやっぱり、『好き!』でしか動けない人間だし、『好き!』で動くべきだって思っているけれど、でも、はなの思いやりからの行動を否定したりはしないよ」

「でも、綺麗事で、つまらなくない?」

「つまらなくない。はなは、綺麗事に聞こえようと、思いやりの心を本当に持って、『経済学が社会をよくする』と信じて、本気で取り組んでいるんでしょう。だったら、嫉妬したり、引け目を感じる必要はない」

「そうかな」

「そうだよ」彼は笑って続ける。「だって、もしはなが本気じゃなかったら、ここまで来れてないでしょ」

「うん」

「適当なこと言って、生き残れなくて去っていくやつもいたでしょ」

”大学院”は、場所にも分野にもよるけれど、競争社会だ。
意欲があって優秀な人は、容易に博士進学に至れる。けれど、安易な気持ちで博士課程に行こうとし、進学の権利をもぎ取った者を、私も彼も知らない。

「だから、はなははなの思うまま、進んでいけばいい」

「うん」目から落ちた滴が、ぽつんとみそ汁に落ちる。

何度も何度も言われてきた「あほやなあ」をまた、恋人に言われる。

「うるさいなあ」と返す。「でもありがとう」

「うん。わかったならさっさとご飯食べて、また研究室に戻って作業の続きしよう」

この人に何度、「あほやなあ」を言われなきゃいけないんだろう。

そんなことをちらと思いながら、涙をふいて、少しだけしょっぽさの増したみそ汁をすするのだった。


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