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「普通」に生きられてきた人たち

私の一番好きな言葉は、「沈(ちん)してからが一番楽しい」という言葉だ。

これは、川遊びをよくしている随筆作家、冒険家の方の言葉だ。

川でカヌーに乗って遊ぶ時、子供たちは一度転覆してしまってからの方がイキイキと楽しそうに遊び出すという話だ。

沈んでも大丈夫だ、沈んで川の流れに身を任せることも楽しいと、身体的に理解することが遊びの幅と自由さを圧倒的に広げてくれる。

本当は沈んだって良いのだ。

ただ、やはり人生においてある程度の能力を発揮して来れてしまった人にはその観念がないようである。

この社会で、まだ「沈(ちん)」できてないということだ。

それはきっと大人に守られてきたということもあるだろう。
ここのルートが安全で、ここの道から外れたら絶対危ない!!みたいな教育を社会からされてきたのではないか。

まあ日本で生まれ育つ限りはある程度皆そういう教育をされているものだと思う。

でもだからこそ、一度「沈」することが大事なのだ。

私は身体を壊してとてもまともな人間のふりをして社会生活をすることができなくなってしまった時期がある。

”普通”に生きられないことにそれなりに悩んだし、なによりも”普通”の道から外れるという恐怖心は絶大だった。

でも実際外れてしまえば、まあこれでよかったとも思えるようなものだった。

外の世界は怖くなかった。
川の中もそれはそれで良いものだ。

沈したら、しばらく漂って必要なところでカヌーを揚げてまた漕ぎ出せば良いのである。

沈んだって大丈夫。普通の道を外れても大丈夫。みんなで楽しく沈して、遊んでいきましょう。

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