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ボルタンスキー展、あと2日らしい【感想】

先日行った「クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime」の東京展が、2日後の9月2日(月)に閉幕を迎えるそうです。

■会期終了目前、良さを最後に伝えたい

とてもよかったから東京展の会期が終了してしまう前に良さを伝えたいと思い立ってnoteを始めました、初投稿です。
突然note始めちゃうくらい素敵な展覧会でした。
だからもう是非見てもらいたい。

■ボルタンスキー展はこんな展覧会

ボルタンスキー展は、国立新美術館(東京・六本木)で開催中です。
東京での会期はタイトルの通りあと2日、9月2日(月)までです。

フランスのアーティストであるクリスチャン・ボルタンスキーの大回顧展です。なんと日本で過去最大規模とのこと。

「空間のアーティスト」と自らを呼称するボルタンスキーがインスタレーションを手掛けています。

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■この世の誰も自分の死を知らない

冒頭の写真にある≪ぼた山≫(2015)が展示されている空間に、黒いコートを着たあの世の番人が佇んでいます。これは≪発言する≫(2005)という作品です。

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この黒コートたちは、近づくと「死ってどんなもの?」だとか、「ねえ、痛かった?」、「お母さんを置いてきたの?」だとか問いかけてきます。

そうやって何体かいる黒コートに順々に質問を投げかけられていくのですが、どれにも何にも答えられません。

自分のことだけれど、誰も知らない「自分の行く先」の存在あるいは非存在について痛烈に実感させられました。

■その光景は二度とない

空間芸術で私が好きなのは、2度とないその瞬間に立ち会うことなのかもしれないと、最近いくつかインスタレーションの展覧会を訪れてよく思います。

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≪幽霊の廊下≫(2019)は、骸骨の影が映る通路になっていた。

影を作り出すオーナメントはゆらゆらと常に揺れていて、見る瞬間瞬間で影のある位置だとか大きさだとかが変わって見えます。

この今目に見えている廊下は、きっとこの瞬間しか存在しない。そこにたまたまこの瞬間存在している自分が、自分の目で捉えている光景って、すごく自分にとって意味がある特別なものだなと感じます。

日を重ねていくごとに3つずつ電球が消えていく≪黄昏≫(2015)や、揺れる電球とエマージェンシー・ブランケットがつくりだす≪黄金の海≫(2017)など、作品の意を掴もうとしながら、その二度とない光景の美しさにただただ見とれていました。

■知らない誰かの人生が

展覧会の中では、聖壇を模した作品や、新聞に掲載された写真を切り出してつくられた作品がありました。

お写真はこちらに。

新聞から切り出された写真が用いられた作品については、「なにか悲しい出来事に関するニュース記事の写真である」とだけ解説がありました。

「なにか悲しい出来事か」とひとりひとりの顔を眺めていくと、だんだん「この人にはどんなことがあったんだろう」とか「この人はこの写真が撮られたときにはどういう人だったんだろう」という思いが浮かんできました。

その写真に写る誰か知らない人ひとりひとりの人生を想像していくうちに、今隣にいる誰かとか、そこに見える誰かとか、すれ違っただけの知らない誰かも、私に見えていなかっただけでこれまで膨大な時間をかけて生きていたのだと実感しました。「個人」というものの存在の大きさを、実感を伴って理解させられました。

ひとびとが日ごろあまり気に留めないことを美しさをもって伝える、強烈なインスタレーションでした。

■東京展まだ間に合う、長崎に巡回も

自分のこれまでの世界の見方をがんがんに揺さぶられた展覧会でした。

作品同士がその展示のされようによって意味を付加し合ったり共鳴したりして、会場全体がひとつの作品として完成されていた空間でした。

ぜひ実際にあの空間を訪れてみてもらいたいなあと、いち来場者ながら思ったりします。
美しくて、強烈です。

【東京展】
会期:2019年9月2日まで
会場:国立新美術館
開館時間:10:00-18:00(入場は閉館30分前)

【長崎展】
会期:2019年10月18日-2020年1月5日
会場:長崎美術館

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