生きづらさ研究日記 000(プロローグ) 【中編】

先日、生きづらさ研究日記 000(プロローグ)【前編】と題して投稿しました。


2016年の熊本の震災後、休学中の旅を中断し住み込みで熊本でボランティアをすることを決め、その中で偶然見たテレビ番組をきっかけに、
被災地での孤独死を防ぐ」というテーマで復興支援に関わることを誓った、ということまで書いたかと思います。

さて、ここからはその熊本での数カ月の日々から、復学後の孤独な日々の中の学び、そこからなぜ「教育」「学校設立」という目標、生きる軸に出会ったのかについて書いていきます。

2016年の2月3月の2カ月間を熊本で過ごしたわけですが、
その間僕が何をしていたかというと、まずはFacebookやネットで調べて信用できそうなNPOなどの支援団体を探し、電話をかけ、事務所にお邪魔し、話を聞き、こちらの「ボランティアさせてください」という話を聞いてもらいました。

その過程で見つけた復興支援団体でお世話になり、平日はそこの団体で支援業務の事務作業を手伝わせてもらい(これは有償でした)、土日はその団体の方から紹介していただいた被災された農家さんの下でボランティアをする、という日々でした。

熊本と東北の地震には違いは多々ありますが、
その一つとして「みなし仮設」というものがあります。
東北でも採用自体はされていましたが、その数としては少なかったこのみなし仮設。
説明すると、仮設住宅というと、みなさんはだいたい平地にずらーっと並んだ「プレハブ仮設」というものを真っ先に思い浮かべるでしょう。
それに対して、「みなし仮設」は、既に存在する、被災を免れたアパートやマンションなどの賃貸物件を行政が借り上げ、地震で家を無くした人に住んでもらう、というものです。
住宅補助が出るのか完全な借り上げだったのか、その他入居基準等の詳細は失念しましたが、とにかくそういったものです。

この「みなし仮設」。確かにプレハブ住宅を一から作るより安上がりですし、行政としては予算を減らすことができる。
便利なシステム、ナイスアイディアな気がします。
しかしこの「みなし仮設」には問題があって、
要は元々住んでいたところから離れて近所づきあいもないところに移り住む、そして傍から見ればただの居住者なのか被災者なのか区別がつきませんから、「見守り」が機能しづらいのです。各支援団体からしても、〇〇仮設と名前がついていて、その一帯のプレハブを一斉に回っていけば、見守り支援は機能しやすいと言えます。
しかし、みなし仮設では、異なる物件に一軒ずつ被災者を訪ねていかなければならない。
当然人員や時間、予算にも限界はあるので、支援が行き渡らないことも出てくる。

その問題に切り込み、「みなし仮設」に特化して支援をされているのが、僕のお世話になった団体でした。

当然、実際に見守り支援に赴くのは福祉の経験がおありの方たちで、そういった資格や免許を持たれていたり、困窮者支援をやられていたりする方たちで、名もなき学生の僕は連れて行ってもらうことは叶いませんでした。というよりも言い出せすらしませんでした。

それでも事務所で一緒に仕事をさせてもらう中で「復興支援の最前線」にいる方たちと話をさせていただける環境で、多くの事を学ばせてもらいました。

被災者の生活相談などのイベントのお手伝いを熊本の大学生と一緒にさせてもらったりもしました。

土日に行かせてもらっていた農家さんの下でも、
地震から立ち直るどころか、これを商機と地域振興のチャンスと捉えてハングリーに頑張る社長並びに家族の皆さんのパワフルな姿勢にこちらが元気づけられる、励まされる日々でした。

農作業だけでなく、マルシェなどのイベント出店などにも連れて行ってもらい、こちらも地震から立ち直って地震以前以上の状態まで持っていこう、という方たちと接する機会をいただき、とても大きい学びの場とさせてもらいました。

そんな濃密な2カ月間を経て、僕は大学に戻りました。
冒頭に孤独な日々、と書きましたが、僕は大学4年の年に休学したので、復学するともうそこには同期たちはいませんでした。
熊本の畑で耕運機を走らせていたその瞬間に彼らは卒業式を迎えていました。

ということで、元々学部の友だちは少なかった僕ですが、仲の良いサークルの同期たちも卒業してしまったので、キャンパス内でつるむ相手のいなくなった僕は、孤独な日々を送っていました。

そんな中僕の心の友になったのが図書館でした。
空きコマや昼休みなどは図書館にこもって暇を潰す日々が続きました。

最初はテーマなど決めずに色んな本を読んでいたのですが、
ふとした時に、
熊本で2カ月間、実地で学んだことは、本にはどう書かれているんだろう
ということを思い立ちました。

そこで、図書館の「災害」コーナーや「東日本大震災」関連のコーナー、社会問題のコーナーなどを見て回ってみたのです。

そこでさらに、「そういえば僕が熊本で考えていたことは、『孤独死』だったなあ」と思い至り、検索用のパソコンなども駆使して探してみると、

孤独死」とタイトルに入っている本は思っていたよりもありました。

そして、「孤独死」と「地震」および「災害」を絡めて書かれている著作も数冊ありました。

考えてみれば日本は災害大国であり、少子高齢化や「孤立社会」などが問題とされている現代の情勢もあり、
それらについての本が存在していることは当然と言えました。

ボランティア元年」と呼ばれる阪神淡路大震災から、新潟中越地震東日本大震災まで、地震と孤独死、その支援についての過去の記録や想いの数々がそこにはあり、

孤独で暇を持て余していた僕はこの時「これだ!」と思ったのです。

せっかく実際に被災地で色んな人にお世話になりながら経験したことがあるのだから、
それだけで終わらせずに、しっかりと文献にも触れて学ばなければ、と。

テーマもなく好きなように読書をするのも楽しいものですが、
テーマが見つかると一気に火がついて
「孤独死」と「震災」に関する本を読み漁る日々が始まりました。

最初に出会ったのは阪神淡路大震災の被災地神戸の仮設住宅でプレハブの診療所を運営し、最前線で被災者の医療と見守り支援をされていた額田勲さんの著作でした。
タイトルは「孤独死」。
彼の医療と見守り支援を通して得られた、「孤独死」についての渾身のレポートです。

正直、このテーマの第一人者のような人の本に一発目から出会えたことは幸運でした。
加えて我が母校の蔵書量に感謝です。

一冊ずつタイトルは挙げませんが、他にも色んな孤独死と震災関連の本も読みました。

実際にあった孤独死のケースについて書かれているので、
正直心が傷む内容のものが多く、この時期は僕の気持ちも重かったのを覚えていますが、
これが「孤独死ゼロ」にいつか繋がるのなら、と思い読み進めていきました。

そしてある日、一つの仮説にたどり着きました。

孤独死は、地震だけのせいではないのではないか?

地震は孤独死を引き起こすトリガーきっかけであり、最後のダメ押しをしただけであって、
社会やその人に災害以前から眠っていた問題が災害によって掘り起こされ、
表面化した
ということではないだろうか。

そのことは、僕が読んだどの著作にも共通して示唆されていたことでした。

そしてそれからすぐ、こうも思ったのです。
被災地に行って復興支援をするだけでは、この国の孤独死はなくならない
災害大国の日本ではいつどこで災害が起こるかわからないのだから、既に起こってしまった被災地だけでなく、全国各地に『孤独死予備軍』は存在しているはずだ

この発想の転換は僕にとっては大きいものでした。
もちろん被災地最前線での支援は必須である。
けれど、僕が実現したいのは、「孤独死を日本全国からなくすこと」であって、被災地だけに限定したことではありません。

傷口に絆創膏を張り続けることも必要だけど、外科手術だけでなく内科、内臓の事も考えていかないと、社会という一つの大きな「身体」は健康ではいられない

そう思い至ったのです。

要約すると、「孤独死」の問題は、被災地だけの問題ではなく、
日本社会全体の問題である、ということに気付いたのです。

そこから僕は図書館での読書スタイルも少し変え、考え方も被災地支援のみの思考から、日本社会全体へ向けた視野へと切り替えていきました。

前回の【前編】での予想通り、そうとうボリューミーな内容になってしまい、【中編】になってしまいました。

また近日【後編】で、ここからどのように「教育」「学校の設立」という方向に舵を切っていったかについて書いていこうと思います。

それでは今回はこの辺で。 

小野トロ

✔以前の記事をジャンルごとに分類して閲覧しやすいようにまとめましたので、良かったらここから飛んで以前の記事も読んでみてください。


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