絶対温度Kのケルビン卿の言葉から学べること
皆さんは、高校の物理で出てくる「絶対温度K」という言葉を覚えているでしょうか。
僕は物理はサッパリだったので全く覚えていませんでしたが、
この絶対温度のKは、ケルビンさんという物理学者の名前から来ています。
絶対温度がピンとこない人は、
「あ〜よくある有名な学者さんの名前が理論の名前とか単位になってるあれね」
と思ってくれたらいいです。
今回の話は絶対温度の話がメインではないので。
メインはこのケルビンさんが残した言葉についてです。
ケルビンさんはこのような言葉を残しています。
If you can not measure it, you can not improve it.
─測れないものは改善できない。
何かの問題を改善、あるいは解決したいとき、
まずはその問題を質的、量的共に知ることから始めなければなりません。
自殺者の数を減らしたければ、
まずは自殺者数を知らなければならない。
日本の年間自殺者数や、その推移、性別や年代、他国との比較。
質的なところで言うと、どういった理由・背景で亡くなる人が多いのか。など。
例は1つだけに留めますが、要はその問題の本質がわかっていなければ、
その問題を改善することは不可能だということがわかると思います。
改善したい問題に対して深く知らずにとりあえず行動することもできますが、
全くの的外れのアクションを起こしてしまい徒労に終わる可能性は高いでしょう。
ケルビンさんが言うように、
「測れないものは改善できない」
とすると、何が必要になってくるかと言うと、
「モノサシ」ですよね。
何か解決したい問題が無くとも、
「なんとなく良い感じの人生を送りたい」
というような気持ちがあるのなら、
「あの人のように」
「昨日の自分より」
と言ったように何らかのモノサシは必要でしょう。
そしてその「理想のあの人」や「理想の自分」に近づくためには何をするべきか考え、自分の現在地を探っていくと思います。
僕は他人をモノサシに生きることには否定派ですがその論は置いておくとして、
とにかく社会問題の解決といったように高尚?に見られがちなものだけでなく、
日常の至るところにおいて、
モノサシの重要性はあるよ、ということです。
ですから、漠然と「何となく良くしたい」と思っていても、
色んな角度から比較したり、
色んなデータを調べてみたり、
当事者の話を聞いてみたり、
全然違うフィールドの人の話を聞いてみたり、
このような諸々の「モノサシ」が無ければ、
「彼女ができない」にしろ
「貧困問題を解決したい」にしろ
解決は難しくなってくるでしょう。
このようにここまで「モノサシ」の重要性について書きましたが、
この「モノサシ」にも弊害があります。
私達は3次元の世界で生きています。
それどころか、見えない人の心の内や人間関係などを加味すると、
4次元の世界で生きていると言っても良いでしょう。
先ほども書いたようにモノサシは重要なものです。
しかし、「モノサシ」を使って物事を判断すると、
それは一気にぺしゃんこにひしゃげて、
一列の線になってしまいます。
そうなると、焦点を当てたものに関してはクリアに見えてくるけれど、
目に見えないものは覆い隠されてしまう、といったことが出てきます。
偏差値なんてまさにそうですよね。
同学年の生徒たちの中で自分の成績がどの辺りに位置しているのかを明確にする上では、
偏差値は非常に便利ですが、
そのモノサシをひとたびその人の人格を判断する時に使ったり、
就職試験などに使ったりすると、
先ほど書いた弊害が顕在化することになります。
人の人格や人と人との間にある絆みたいなものをモノサシで測ろうとすると、
色々と無理が生じてきますよね。
そして最近は企業が求めている人材の特徴として挙げることの多い
「コミュニケーション能力」。
「コミュ力」と略されたり、「コミュ障」なんて言葉も定着しつつありますが、
このコミュニケーション能力というものも、
本来はモノサシで測れるものでは無いですよね。
評価基準にはなり得ないものだと思います。
なぜならコミュニケーションは1人でするものでは無いから。
コミュニケーションが複数人で行うものである以上は、
人材評価のモノサシとして機能するようなものには到底なり得ないはずなのです。
ですので企業側や大学生などが言うところの「コミュニケーション能力」と言うものはきっと、
「場の空気を察して動ける、話せる」
「気を遣える」
「自己主張を抑えて企業を優先する」
「相手の意図をすぐに汲み取れる」
などのことを指していて、
それはコミュニケーション能力というよりもむしろ
コミュニケーションにおいて労力を使わない、同僚の特別な配慮の必要ない、物分かりのいい、
ただの「便利な人材」ですよね。
4次元のものを2次元にペシャンコにしてしまう、一点をクリアにしたため他をかえって不明瞭にしてしまうという先述の「モノサシの特性」上、
1人だけで完結することのない「コミュニケーション」を能力として捉える
「コミュニケーション能力」を人材評価の基準として考えることは、
相当な矛盾を抱えていると言えると思います。
なぜモノサシの話から熱っぽく「コミュニケーション能力」の話をしたかと言うと、
その「コミュ力無いから」「コミュ障だから」が原因で苦しんでいる人がたくさんいるからです。
それっておかしいよね、って話をしたかったので話を逸らしました。
本稿の結びとしては、モノサシが無く問題が漠然としたままだと、
問題解決は難しいよ、
でも、コミュニケーション能力のように、測れないものもいっぱいあるよ、
だから注意が必要だよね。
ということです。
それではまた。
小野トロ
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