不登校の子を持つ親御さんへ ~不登校経験のある僕が20代半ばを過ぎて思うこと「条件付き」で子どもを愛していませんか?~
子どもの自殺が最も多いのが9月1日とその近辺。つまりは学校に行かなくていい夏休みが終わり、学校が始まるタイミングと言われています。
そしてその次に多いのが、入学式や始業式のある4月と、ゴールデンウィークのこの時期と言われています。
そこで、中学時代のほとんどを家で過ごした不登校経験者として、僕の実体験で言えることは限られていますし、
役に立つことは少ないかもしれませんが、
今日は子供の側ではなく、親目線で(僕は未婚の子どもなしですが)書いてみようと思います。
そんな今日のキーワードはこちら。
「条件付きの愛を子どもに与えていませんか?」
これです。随分強烈なテーマになってしまいました。
「ウチはそんなことないです!」という方はそっとページを閉じてください。
この「条件付きの愛」とはつまり、
「いい子でいれば」
「成績が良ければ」
愛してあげますよ、ということですね。
そんなこと意識的にしている親は少ないかと思います。
しかし、大人になってからはともかく、身近な大人が親と先生くらいしかいない子どもにとって、親から愛されるか否か、親に認められるか否かということは死活問題です。
親は直接的には条件付きで愛を表現していないとしても、
褒め方や普段の接し方、家での兄弟との接し分け、先生方との会話、ママ友や近所づきあいの中で、
子どもは敏感に察していくものです。
努力の過程や挑戦の姿勢ではなく成果だけを褒めると、
「結果を残し続けないと僕は/私は親から見放されるのでは」
という不安に駆られる可能性が生じます。
兄弟の学業成績や習い事の成績を褒めて暗に奮起を促す、
そうでなくとも頻繁に比較するなんてこともマイナスに作用することは多いはずです。
不登校が続いて近所づきあいの中で息子や娘の状況を恥ずかしく思うことも、
子どもは敏感に察知し、更に自己肯定感、自己評価を下げ、
立ち直る気力を失っていきます。
大事なのは、「無条件の愛」を与え、存在を認めてあげること。
こちらから言葉に出さずとも、これまでの接し方如何では、
「学校に行っていない僕なんて誰も愛してくれないし認めてくれない、もしかしたら親でさえも…」
と思ってしまうことは充分にあり得ます。
しかし、今からでもきっと間に合うはずです。
もしかしたら今までは、無意識に「条件付きの愛」を与え続け、
「成績」や「元気に毎日学校に通い続ける」という条件ありきで愛する、
または子どもにそう感じさせてしまうような接し方をしてしまっていたとしても、
「大丈夫だよ。学校に行っていなくても、いじめられていても、どんな状況だってお父さんは、お母さんはあなたを愛していますよ」
「生きていてくれるだけでいいんだよ」
という、直接的な言葉じゃなくとも、そう心から思い、それを子どもに感じさせてあげること。
これが一番大事なことだと、僕の経験からは言えます。
上記のことを子どもにしてあげるためには、まず親の方が、
「子どもが不登校であること」や
「子どもがいじめられていること」を事実として受け止めなければなりません。
※不登校=いじめと紐づけているわけではありません。実際僕はいじめには遭っていませんが不登校でした。
※受け止めるのであって受け容れるではありません。許せ、といっているわけではありません。
まず真っ直ぐに事実を受け止め、ママ友や近所の目や先生、学校側のことなんか気にせず堂々と、
「不登校だろうがいじめられていようが私はこの子をどこまでも愛する」
と心の中で宣言してください。
そして同時に
「学校に行っていない子を持つ親」「いじめられている子を持つ親」
という自分がいることを受け止める。
そしてその時に
「世間的に恥ずかしい」「どこで育て方を間違えたんだろう」
といった思いが少しでも生じてしまった瞬間があったならば、
それもまずは認めてあげる。
その気持ちを抱いてしまうことは、自分にとって許しがたかったり、
後ろめたかったりするかもしれませんが、
その感情を否定するのでなく、これも真っ直ぐに受け止める。
これをせずして子どもに対して「無条件で愛する」なんて綺麗事を吐いても、
きっと子どもはお見通しです。
まずは「不登校の子を持つ親」「いじめられている子を持つ親」としての自分の存在を認める。
「この子のために何がしてあげられるだろう」と思い悩むのはそれからだと思います。
そうして初めて、果たして私は
「子どもが生み出す成果とそれに付随する自分の自尊感情の向上」抜きにしても、この子を愛することができるだろうか、
という問いに向き合うことができるのではないでしょうか。
そうやって子どもの困難を「自分事」に置き換えて、
「この子のためになにがしてあげられるか」という姿勢ではなく、
「子どもの困難は親の困難」と一緒に向き合い考えていくことができれば、
新たな発見や、立ち直りに向けた一筋の光が見えてくるのではないでしょうか。
今回は以上になります。
僕の不登校時に親に実際にしてもらったと僕が感じている、20代半ばを過ぎてやっと振り返ることができることから書きました。
きっと僕以上に複雑で壮絶な不登校経験をした人はいるでしょうし、
僕くらいの年齢になって今もなお苦しんでいる人もいるでしょう。
加えてまだ子を持ったことのない僕にこんな偉そうなことを言われても響かないかもしれません。
生意気な、お前も親になったらそんなに簡単にいかないってわかるから覚悟しておけよ、という言葉もありましたら甘んじて受け入れます。
ですが、一握りでも、今悩んでいる人にヒントになることがあれば、と思い書きました。
それではまた。
小野トロ
以前の記事も見やすいように過去記事のリンクを貼った記事を作りました。
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