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生きづらさ研究日記 000(プロローグ)【後編】

これまでに、どうして僕が生きづらさを研究しようと思うに至ったか、そしてその「生きづらさのない社会へ」というビジョンを描くに至ったかについて、
その軌跡を時系列で書いて行きました。

【前編】と【後編】のリンクを貼っておきます。


前回の中編で、大学の図書館で「孤独死」に関する本を読み漁り、
「被災地だけの問題ではなく、日本社会全体の問題である」という気づきを得たところまで書きました。

この「孤独」に関しては、コロナ禍によってその問題がさらに表面化し、
やっと国も重い腰を上げて対策に乗り出したところですよね。

学ぶだけで特にその対策のためにアクションを起こしてきたわけではない僕ですが、
この政府の対応を見ると、
「何を今更。コロナのせいではなく、もっと構造的な問題だよ」
と言いたくなる気持ちもあります。

それでもこの問題がクローズアップされて、いろんな人が知る機会になっていると考えればプラスなことですよね。

さて、再び僕の話に戻ると、
「孤独死」が「熊本や東北の被災地だけの問題ではない」さらに「過疎地や独居高齢者」だけの問題でもない、ということはわかりました。
だから社会ごとどうにかしないといけない、それもわかるのですが、
じゃあどうやって変えていけばいいかわからなかったのです。

いろいろ考えました。
被災地の復興支援だけでなく、困窮者支援のボランティアや仕事をしてみる?
特殊清掃の仕事?
行政にアプローチできる、協働できる仕事をする?
いっそ政界進出?

どれも「これだ!」とは思えませんでした。

そこで、そもそもの問題である「孤独死」についてもう一度考えてみました。

どうすればその問題が「解決した」と言える状態に至るのか。

現代、そして近い未来には、日本の高齢者の半数以上が「独居」になると言われています。

そうなると、それが「孤独死」かどうかは置いておいても、
「1人で亡くなる」という事態、それ自体は防ぎようがない、という現実がある。

高齢になってから結婚して看取ってくれる人を探せ、などとは言えませんし、
そもそも身寄りがあって子供や孫と暮らせる人は孤独死なんてしませんからね。

となると、同じ1人で亡くなるにしても、
「数週間、数ヶ月遺体が放置され、異臭に気づいた近隣住民の通報により、腐乱死体が発見される」
というような死に方をするのか、
「1人世帯で亡くなったが、地域のコミュニティに接続され、行政や民間の見守りサービスなどにも接続されており、すぐに周囲が異変に気付いて数日で遺体を発見することができた」
という死に方をするか。
ということになってくるはずだ。
そう思ったのです。

上の事例をコンパクトに変換すると、
「孤独死」か「自立死」かをこれからの生き方によって各人が選択していくことになるのでは、ということです。

誰にも看取られず、腐った死体で発見されるか、周囲に見守られながら、地域の繋がりの中で亡くなっていくか、
「孤独死」と「自立死」。
どちらを望む人が多いかは、火を見るよりも明らかではないでしょうか。

ここでとりあえずこの「自立死」を、
「地域のコミュニティとのつながりを持ちながら自立し、周囲と協働しながら生き、数日間など比較的短い期間で遺体が発見される」こととします。

「自立」=周囲の助けを借りずになんでも自分でやる、と捉えてほしくないからです。

ここで初めて、僕にとっての「孤独死問題の解決」は、
「自立死する人が大多数を占める社会であること」という考えに行き着きます。

次に、「自立死」する人がどうすれば増えるかを考えました。

その結果、
①自立死しやすい社会環境を作る
②自立して生きる人を増やす
この2つにたどり着きました。

ここで初めて僕は「教育」にたどり着きました。

単純に考えて、人は歳を重ねるほどに考えは凝り固まっていきます。
長年の経験から身についた価値観はなかなか変えられないものでしょう。

そうした「now」の高齢層には、①を整備し、見守り事業を手厚くし、かつ効果的な仕組みづくりを行うことで水際で食い止める。

そして僕が「教育」を問題解決の手段に選んだ理由はこの②にあります。

まだ確固たる価値観や自分の生き方というものが形成されていない子ども、つまりは教育段階から、改革を行い「自立」して生きることのできる人を育てる。

初めはなかなか上手くいかないと思いますが、
徐々にサイクルを回していき、
「自立」して生きるのが当たり前になった人たちが、
①における社会環境の整備や、家庭を持つ、企業で働く人になっていけば、
数字上でも「孤独死」多数から「自立死」多数に反転させることができるのではないか。

もちろん簡単なことではないですが、こうして
「学校を作ってモデルケースとして成功し、教育改革をすることで孤独死をなくす」
という青写真が出来上がったのです。

そして、その目標のもとで教育業界に入り、教育の仕事を始め、
改めて孤独死について考え、その「孤独」の共通因子はなんだろうか、と考えていった結果、
「生きづらさ」にたどり着いたわけです。

やっとこの「生きづらさ研究日記 000(プロローグ)シリーズも終われそうですね(笑)

全て読んでくれた方は少ないかと思いますが、ご拝読ありがとうございました。

そしてそろそろ、【生きづらさについてのアンケート】についても、分析、考察をして記事にしないといけませんね。

なんとか頑張ってやっていきたいと思いますのでもう少しお待ちください。
誰も待ってないかもしれませんが(笑)

それでは今回はこの辺で。


小野トロ

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