赤信号、みんなで渡っても最後尾の人は轢かれる?
家庭教師の仕事で、生徒のお母さんにこんなことを言われました。
「赤信号はみんなで渡っても最後尾のやつは轢かれるかも知らんやろ?」
僕はこの話に、「はあ〜、なるほど」と唸らされたのですが、
どんな話だったかというと、
始まりは生徒の読書についての話からでした。
学校の授業の一環で、週に一回「図書の時間」というものがあり、
その時間にみんなで図書室に行って好きな本を選び借りて帰るそうです。
個人的には強制的に子供に本を読ませたところでなんの意味も無いと思うのですが、
案の定その生徒は図書の時間で借りてきた本を全く読んでいないようでした。
本人曰く「面白そうな本がない」そうです。
そこでお母さんが、「なぜ本を読む必要があるのか」という話をされて、
その内容は多様な価値観、物の見方が身につくから、という特別珍しい話ではなかったのですが、
その多様な物の見方を知った後の話が、僕にとっては学びでした。
本を読んで、いろんな物の見方を知るとどうなるか。
あいついじめようぜ、万引きしようぜ、とりあえず大学は行っとこうぜ、
とりあえず就職しとこうぜ、など、
つまりは長い物に巻かれてしまいそうになった時に、
行動を変えることができるかどうかが変わってくる、ということだそうです。
自分の考え方や親しい人の価値観しか知らずにいると、
とりあえずみんなが向かっている方向に行っていればなんとかなりそうな気がする。
しかし、なんとかならない時は必ずやってくる。
ここで出てくるのが冒頭の「赤信号はみんなで渡っても最後尾のやつは轢かれる」という言葉です。
赤信号を先陣を切って渡る人は、そのまま逃げおおせることが多いでしょう。
その考えに賛同してついていった人から真ん中くらいの人までも、
何とか轢かれずに済むでしょう。
なぜならそういった人たちは、その考えの良し悪しはあるにせよ、自分の頭で考えているから。
しかし、みんなが渡ったからといって考えなしに、
とりあえず遅れをとるのは怖いからと急いで後列で渡った人は、
轢かれるリスクは高いでしょう。
赤信号はみんなで渡れば怖くないような気もするけど、
でも最後尾にいる自分は轢かれるリスクは高いよな。
みんな先に行っちゃったけど、いったん信号が変わるのを待とう。
後で追いつけばいいや。
という考え方を身につけるには、
あらゆる立場や層の人の考えに触れる必要があり、
読書はそのための有効なツールである、ということです。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」は、現代の日本社会に蔓延る空気を象徴しているような言葉に思います。
赤信号で考えなしに最後尾で渡って轢かれても、
「それはお前がついてきたから悪いんだろ」と自己責任とされる。
そこで渡るか一歩踏みとどまって考えるか、大きな分かれ道だと思います。
あなたは自分の頭で考えて、轢かれずに横断歩道を渡り切ることができますか?
みんなが先に行ってしまっても、それはそれでいいか、と思える自分がいますか?
小野トロ
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