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「水平線」と「あの世」


逗子海岸へ行った。

靴の中に砂が入らないようにゆっくりと砂浜を歩き、視界に入る限りの海を眺め、「海は広い、大きい」と自分の語彙力の低さが露呈する感想が脳裏に浮かび、水平線をボーッと見つめる。

見つめ続けていると、水平線を「これは水平線だ」と認識しなくなる瞬間がやってくる。やがて、地球には生命体が自分しか存在せず「世界と自分」だけがこの世に残されたような錯覚が起きる。さらに、魂と身体が分離され「自分が自分である」という意識もなくなる。

この感覚を言葉にできるようになったのは、ある程度の語彙力を身に付けてからであるが、この感覚は幼い頃から感じていた。幼い頃の私は、水平線の向こう側は「あの世」に繋がっていると思っていた。

当時の語彙力で表現すると「うみとそらのまんなかにあるせんは、こわい(海と空の真ん中にある線は、怖い)」になるだろう。知らない世界をやたらと「あの世」に結びつけたがる子どもだった。
水平線の向こう側が「あの世」ではなく「世界」と繋がっていることを認識したのはいつだろう。

知識として認識したのは、当時家族で暮らしていた社宅の戸襖に貼られていた世界地図を見てからなのか、父がどこかでもらってきた地球儀をぐるぐる回して遊ぶようになってからなのか、『イッツ・ア・スモール・ワールド』の歌詞を覚えてからなのか、記憶にない。
一方、感覚として、水平線の向こう側と「世界」が繋がっていると認識した時期には心当たりがある。初めての転校を経験した辺りだ。


「来年からお父さんはシンガポールで働くことになったから。お父さんは先に単身赴任生活をして、3月の修了式が終わったら、みんなで一緒にシンガポールで暮らすよ。」

小学3年生の冬に、突然の母からの報告。
子どもには情報量が多すぎる。

そもそも「『しんがぽーる』って何?」

当時のシンガポールは、現在のように人気旅行先ランキングに入る国ではなかった。天空に浮かぶプールが有名なマリーナベイサンズもなかった。(私が本帰国した直後に完成した)
よくわからないけれど、アメリカではない国で、まれーはんとうせんたん(マレー半島先端)にある国で、せきどうちょっか(赤道直下)に位置するから一年中半袖で暮らす国らしい。

これが私の初めての海外経験だ。そして、初めて「世界」を知るきっかけとなった。
「世界」には、日本人以外の人種がいること、日本語と英語以外の言語があること、宗教上ある一定期間は食事が出来ない人がいること、ポイ捨てをしたら罰金を取られること。知識としては、知っていることもあった。

実際に生活してみると、中国語で書かれた飲食店のメニューが読めなかったり、両親がイスラム教徒のため、お弁当を食べる昼食の時間は読書をして過ごす友人の姿を目の当たりにしたり、隠れるように街路樹に向かってポイ捨てする人を目撃したり、知識が経験に変わる瞬間が訪れた。

当時は生活すること自体に必死で「世界」との繋がりを感じたことはなかった。時々、母国へ想いを馳せる瞬間があった。

そして、シンガポールの観光名所の一つにあたるセントーサ島のビーチを訪れた時。水平線を見つめ続けて、感じることが変わった。

「うみとそらのまんなかにあるせんのなかに、にほんがある」
(海と空の真ん中にある線の中に、日本がある)


私は5年間の海外生活を経て、知識としても、感覚としても、水平線の先に「あの世」ではない「世界」があること知った。しかし、海を眺めていると時々怖くなる瞬間が未だにある。幼い頃の感覚は、理性を超えて身体が覚えているようだ。

大人になり、自分の足で海外へ旅する機会も増えた。観光名所で過ごす時間、現地でしか食べることの出来ないご飯を食べる時間、お土産屋さんでジャパニーズ限定の定価以上の金額を提示された時間、海外経験の醍醐味をたくさん味わった。
「あの世」ではない、楽しい「世界」がたくさんあることを私は知った。それでも、私は海に行く機会があると、水平線を見つめてしまう。

まだ知らない「あの世」を想像して、「こわい」と思いながら。


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