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難しい問題は小さい単位に分解して考える

世の中って難しい問題ばっかりですよね。わかりやすいことでいうと「世界平和」とか、「地球温暖化」とか。

果たして何から手を付けていいのか、全体像すらよくわからないことも多いと思います。今日はそんなときの考え方の一つとして「小さい単位に分割して考える」という思考法について書いてみたいと思います。

実体験で考える

自分は大学時代卓球部に所属している中で、部活(規定練習)の頻度について、減らす、減らさないの議論をよくしていました。国公立大学でしたが、週5回部活があり、比較的練習量は多いほうだったと思います。その中で、他校の友人からこんな話を聞きました。

最近部内で、「みんなで練習していれば、"チーム"は強くなるのか」という問題について議論されている。

この議論の肯定派は「これまで強い弱い関係なく、みんなで一緒にこの練習量を頑張ってきたことによって、団結力がアップしてチームとしても結果が出ている。結果が出ている以上、みんなで一緒に行う規定練習の練習量は減らすべきではない」というようなものです。特にOBの方々にこのような意見の方が多かったようなイメージがあります。

否定派としては「卓球は団体といっても個人スポーツ。強い人が数名いればあとは初心者でも勝てるのだから、団体メンバー(ベンチ入りする人)は特に強化するとして、それ以外の人は自由練習でよいのでは。」というものでした。

前者は昭和的な気はしますが、練習量が多ければ単純に強くなれる可能性はあがるし、一緒にいる時間が長くなれば結束力も上がるというもので、シンプルでわかりやすい話だとは思います。

後者は極論なようにも聞こえますが、正論だし、非常に合理的な考え方だと思います。

他校の話で記憶がうろ覚えですが、当時は確か声の大きい人が後者の意見であり、最終的に部活(規定練習)の頻度を減らしたという話を聞いた気がします。ただ、後者の意見はやや乱暴な意見(弱い人を切り捨てるような側面もある)でもあるため、批判的な意見を持つ人も少なくなかったと記憶しています。

どうすればよかったのか?

この問題はどちらが良い、悪いを決める前に、ちゃんと前提条件・目的を決めたうえで、問題を分割して議論していれば、もっと納得感が上がると思っています。

肯定派の意見としては、「みんなで部活を頑張ること」が目的であって、その結果として「試合で勝つ」があるのだと思っています。

一方、後者の意見としては、「試合で勝つ」ことが目的であって、「みんなで部活を頑張ること」は要素の一部にすぎません。少なくとも「みんな」の意味合いとしては「(実力のある)みんな」だと思います。

みんなで練習していれば、"チーム"は強くなるのか」という問いに対しては、論点が複数存在していることとなり、捉え方によって条件が違うのだから、「部活」に求める意見が違うのは当然のことといえます。

このように意見が割れて収拾がつかなくなったときは、まず、この問いはもっと分割できないのか、分割できる最小単位なのか?を考える必要があり、分割できる場合はそれぞれに場合わけしながら対応を検討していく工程を踏むとよいと思います。

例えば今回の場合、肯定派の「みんなで練習する必要性」を汲むと
⇒規定練習を週N回設けよう

という対応方針となり、一方、否定派の「チームを強くするために特定の強い人をさらに強化する」を汲むと
⇒団体メンバー(ベンチ入り)は規定練習に"加えて"週N回練習をしよう

という折衷案を検討することが可能になります。どちらかに合わせる必要がなくなるということです。

まとめ

今日は「難しい問題は分割して考える」ということについて考えてみました。

ある問題に対し、意見が割れることは当然あると思いますが、その際にはそのままどちらかが折れるのを待つのではなく、そもそもの問題が最小単位なのか?どういう背景やポイントがあるのか?など、問題を切り分けしてみることを考えてみるとよいと思います。

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