見出し画像

【障碍者雇用】② 潜在能力を引き出し、その人のらしさに着目!「ジーニアス」〜ジーニアス誕生まで〜

■最初に

こんにちは!サイボウズのもっちーです😊

前回は、ジーニアスの活動についてお伝えしました。

今回は、ジーニアスがどのようにできたのか、代表の西村さんの人生観も含めてお伝えします。

いろんなことがあって今につながっているんだな〜と感じました。

〜ジーニアス〜
Webサイト:https://geniusart.jp/
インスタ:https://www.instagram.com/suminasu.genius/
アートのオンラインストア:https://geniusart.base.shop/
オリジナルブランド「fa」:https://fafafa.jp/



■ジーニアスができるまで

代表の西村さん


・代表西村さんの生きづらさ?


「僕、いろいろな背景があるんですけど」
そう、今までのことを振り返る西村さん。


音楽が好きで、詩を書いたりバンドをやったり、
表現をしないと生きてこれなかった
と思います。


高校卒業後、芸術系の大学に進みましたが、
人見知りが激しくて3回ぐらいしか行かなくて、中退しました。


その後、拠点を福岡にうつして、営業の仕事をしていました。
営業の仕事は割と自分にあっていて、賞を取ったりもしていました。

でも、ある日アポからアポの合間で車走らせるときに
「俺何やってんだろうな」、
こうやって生きていくのかな、って思ったときに
「これはあかん」と思いました。


そこで、海外で暮らそうという気持ちが出てきて、
お金貯めるために、愛知県の工場で働き、
カナダのトロントに飛びました。

カナダのトロントでは、
1年半レゲエっていう音楽を歌ってたりとかしていて、
DJ仲間と、週1でUstream配信をやっていました。

そんな、ふらふらしてきた人間だったので、
生きづらさっていうのは僕の中にはずっとありました。


生き苦しさとか、社会の枠にはまれない自分がいて、
ずっとはみ出してるところで生きている感覚があって、
人と同じようにできないみたいなのがすごくありました。


働くっていうことにも、すごく課題感を感じてきて、
遅刻するし、できることなら働きたくないなと思う。


そんななか、母親が倒れそうになってるから、
日本に帰ってこいと話があったんです。

とはいえこのまま歌って生きていくわけではないなと思った時期でした。


・アーティストということ


表現することを、僕の中では結構ガチでやってきたんです。

レゲエをやっている1年半、毎日暇さえあればリリックを書いてみたいな。
そういう日々と、どう生きていくかみたいな自問自答の日々があり、
今のアーティストたちの心理に通ずるなと思っています。

と西村さんはいいます。


母が倒れそうと連絡を受け、帰るまでに、
3週間~4週間いろいろな国をまわってから帰りました。

その時に、訪れたジャマイカの光景がのちに思い出されることになります。


・息子さんの障碍と


倒れそうと連絡を受けた母はとても元気で、
だまされたなーと思いながらも、そのまま母の事業所である、
介護の仕事を始めました。
僕が福祉っていう世界と出会うきっかけです。

そうこうして、結婚して子どもが生まれたタイミングで、
子どもに足の障碍があることがわかります。
「あぁ、いよいよ自分が福祉っていう世界と縁が組まれていくのか」
と思ったりしてました。

息子の足のこと、最初はとてもショックで、喪失感がすごかった。

できないことばっかり頭に浮かんで
登山とかしないのに、息子と山登れないんだとか、
海行くときどうしたらいいんだとか。


でも、一番ショックを受けたのは、
お腹で繋がってた妻なことに気づいて、その横顔を見たときに、
このまま自分が落ち込んでても好転していかないなと思いました。


その時に、頭に浮かんだのがジャマイカで見かけた海でした。


ジャマイカ行ったとき、海をぼーっと眺めていて、
見渡す限りの水平線があって、それを見たときに、
ほんとに空と海の世界が表裏一体を表しているように見えました。


その風景を見ていると、
人間って表裏一体だよな。凹んでいるところがあれば、
その分だけ突き抜けているところがあるんだよな。

と思ったのを思い出して、、、、。


息子は、当時骨が折れてくっつかない病気で
片足で20〜30万人に1人と言われていたのに、
息子の場合は両足にあって、世界的に例がないと言われました。

「世界的に例がないというぐらい
スペシャルなものを持って生まれてきてくれたんだな」
と、思い、楽しみだなと思うようになりました。

それを、彼が証明してくれるかのように、
レゴブロックで面白いものを作ってきてくれたりとか、
マインクラフトとか、熱中する力も半端なくて、
夢中になれることを生かして大人になっていってほしいなと思ったんです。


・凸凹を生かす


息子に凸凹があるように、凸凹の部分を生かすことこそが、
その人が持つ社会的な役割かもしれないなと思いました。

と、同時に、
自分が全然生かせていないことに改めてハッとして、
好きも得意も生かせていない。


ただ、カナダから帰ってきて、介護事業所で働きだして、
それなりに哲学を持ってやっているけど、
挑戦していない、誇れる背中というのを子どもたちに見せれていない。
誇らしい背中を見せれないって、脅迫観念がありました。


自意識であったりとか、脅迫観念。
それが強すぎて、社会と折り合いがつかなくなっていて、
環境とのミスマッチングで生きづらさというものが生じていて、
まさに、死んだように生きているなと思ったんですよ、自分のこと。


自分らしくない、自分みたいなのを、
8年くらい過ごしたような気がしますね。

その時に、やっぱりこれ、挑戦しないと死ねないな。
と決意を新たにします。


・ジーニアスの誕生


介護事業所で働いているときは、
A型事業所からお掃除の方が来てくれていました。

その時は、障碍のある方のお仕事ってこういうことなんだ、
そんなニュアンスで受け止めてたような気がします。


「できることをやる」みたいな。
でも、障碍者の働くということに思いを馳せることもあったりして、
できることをやるって、やれるのは素晴らしいと思うけど、
それができない人も、もちろん多くいるわけだよね。


でもその中には、アートなら輝けるのにって思う人もいるよね。
そう、考えるようになります。


突き抜けた部分を生かすのが、その人の社会的な役割かもしれない。
まだ、生かしきれていない社会的な役割が眠っているかもしれない。


苦手なところは頼ればいいし、
そういう突き抜けた部分を生かせる方がいいって思ったのですが、、、

生かせる環境がない、だったらそういう人たちがアートっていう
自分の土俵で戦える場を作ろうと思ったのが、ジーニアスの始まりです。


■最後に


最後までありがとうございました。

サイボウズもチームという観点から、出来ないことは補いあう、強みを生かすそんなことを発信しています。
ただ、私自身、西村さんくらい、「生きる」ことについて、そして、「生かす」ことについて、考えたことはなとあらためて思います。

次回は、面白さを生かす!そんなお話です。

次回も見てもらえると嬉しいです😊

この記事が参加している募集

私のイチオシ

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?