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読書 雷桜 感想

宇江佐作品は江戸市井の人情ものしか読んだことがなかったので、びっくり!素敵な恋愛小説でした。

瀬田村の庄屋の娘・遊は激しい雷雨の夜、何者かに誘拐される。十五年後、狼女と呼ばれる娘となり帰ってくる。両親も兄たちも慈しんでくれるが、山育ちの遊は里に馴染めない。遊の次兄・助次郎は江戸で将軍の御子、清水斉道の家臣となり仕えるなか、気の病で発作を起こしては刀を抜いて暴れる斉道を故郷で療養させる。美しい自然の中で遊と斉道は出会う。二人の孤独な魂が共鳴し惹かれ合う。

雷桜は遊が連れ去られた日の雷が銀杏の木に落ちて折れたところに桜が芽付き育った珍しい木。
斉道は「予と遊のような桜だ」と言う。桜はパッと咲いてパッと散る、散り方が清いと評される。満開の桜は圧巻で、散った場所には花びらの絨毯で別世界を魅せる。そんな事も読後は思う。

たとえ一緒に暮らせなくても、心が通っていれば、お互いに相手を案じていることは、この上もなく貴重で尊いと二人は信じて生きていく。
それでも、「おれはあれと別れたくなかった。殿とおれを繋ぐただ一つの証だ。あれが傍にいるだけでおれは殿との思い出に生きられる。」と助三郎の父を語らない事で手放さない。

手を伸ばせばとんでもない身分を手に入れられると知れば人は過分な期待を持ち翻弄される。斉道と通い合ったという気持ちが助三郎と言う置き土産なのだと思うと遊は大切なものを無くしてしまう怖さと、自分というものの小ささを知り必死で生きる。

誘拐されて、普通の娘として生きる事は出来なかった事が不幸な事だとは遊は思わない。だが、自分の立場が分からないわけでも無い。だから、その内にお傍に行くと榎戸に伝えるのだと思う。

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