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祖母と私は夢のなかで繋がっている【祖父と家族の旅日記】

私が3歳にも満たない年齢で妻(祖母)を亡くした祖父は、それから長い月日をひとりきりで過ごしてきた。

「もし良ければだけど、久しぶりに旅行にでも行かないか?」

祖父からの遠慮がちなお誘いをキッカケに(そんなこちらに気を遣わないで、当たり前に楽しみに向かうのだから。)、私と、父と母と、祖父の4人で小旅行をすることが決まった。

車で祖父を迎えに行き、無事合流。
祖父は腰が悪く長くは歩けないので、行き先周辺の土地鑑をつけるように少しだけ辺りを見て回った。

ホテルに到着するとすぐにお土産コーナーへと向かう。
旅行好きの我が家(私、父、母)ではこれがお決まりのパターンなのだが、最も張り切ってレジへと向かっていったのは断トツで祖父だった。(かわいい)

部屋に戻れば、祖父は即座に晩酌の準備を、父もレモンサワー片手に祖父のひとり話に相槌を打つ。
先程買った大量の食料はお土産ではなく酒のツマミだったのかと母と2人で笑ってみる。

その後、私と母は早めに風呂へと向かい、普段は決して浸からない程に熱々の湯船にきゃっきゃはしゃぐのである。

気づけば窓の外から月明かりが漏れ出し、あっという間に過ぎた夕飯の懐石料理は、穏やかな時間が私たちの腹を満たし眠気を誘った。

足早に部屋へと戻り歯磨きを済ませ、ベッドに入れば私はすぐに眠ってしまった。




夢の中では旅人がひとり増えていた。

2桁年も前に亡くなった祖母と過ごす時間に不思議さを覚えないのは、夢の中特有の心地である。

実は夢日記を綴れる程鮮明な記憶でなく、ふわふわと曖昧さが漂うものであるが、祖父と祖母、そして私で向かい合うようにして座っていたことを確かに覚えている。

「私も未だ生きていたかった。」

そっと呟く祖母の言葉を酷く噛み締めるように、祖父と私は俯いてすすり泣く。

私だってずっと一緒に居たかった、

もう帰ってこないと親戚の誰もが知っているのに、これまで溜まりに溜まった悔しさが、祖母本人の口から告げられたことで現実味を帯びた瞬間だった。

夢と現実の狭間をさ迷っているような、その境界線には二度と立ちたくないような、涙の滲むような夢心地を今すぐにでも忘れてしまいたかった。




旅行前日の夜、母と「ちゃっかりばぁばも着いてくるかもね」なんて話してはいたが、当日に備え早めに寝静まったその日の夜の夢に祖母は顔を出すことさえしなかった。

きっと本当に着いてきて、実際は5人で旅をしていて、悪気なく祖母のいる方に目を向けない私たちに少し拗ねるような感情を抱いたのだろうか。

「私も会話に入れてほしい」
寂しさを覚えさせてごめんね。
もっとちゃんと早く気づけば良かったよ。




祖母が亡くなってから長い間、私がどんなに涙を流しても姿を見せずに音沙汰なかった祖母は、きっとこちらの世界に縛り付けられずに済むように、新しい世界で借りる家を探しに行っていたのだろう。

そして新居が決まって、家具や家電がようやく馴染んだ今になって、私たちを思い出し時々存在をアピールするようになった。

私が生活の中で落ち込み元気をなくせば夢に現れて、唐揚げや豚汁を振る舞い活力を分け与えようとしたり、言葉でエールを送ろうとする。

夢の中の祖母は絶対に話さない。
気持ちを伝える時は必ず文字を用いる。
私の中に祖母の声の記憶がないからだ。

人が亡くなった時、生きる人の記憶から真っ先に消えるのは声であると述べた人がいるが、それは本当なのかもしれないと思った。

私が声を覚えていれば、いくらでも会話ができたのに。
もう悔やんでも戻れやしないけれど。




祖母が私の夢にしか出てこないのは、きっと一番心配をかけているから。
一番泣き虫で、一番よわいから。

でもいいの。それでいいの。

一番よわい私だから、夢の中でばぁばと繋がれたんだ。

だから私が泣く度に、会いに来てよ。
絶対に見逃しちゃだめだよ。
私の心を励ましに来てよ。

絶対だよ。約束だからね!!

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