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ベストな選択とは 2

前述したように自分の「したいこと」ではなく、「した方が良いこと」を選択し続けた私は、心も頭も疲れ果てうつ病になった。

「『した方が良いこと』をしているのだから間違っていないはずなのになぜこんなに上手くいかないのだろう…?」
「なぜこんなに疲れてしまうのだろう…」
「おかしい。何かがおかしいけど選択は間違えていないはず。じゃあただの私の努力不足だ!」
「ならもっとこうすべきだ!ああするべきだ!こうでなきゃいけない!頑張らないといけない!」
と、お得意の「〜しなくては」「〜するべきなんだ」で、自分で自分の首を締めあげていった。

どんどん苦しくなるが、何が悪いのか全く分かっていないので、頭は置いてきぼりのまま先に心と身体が限界を迎えた。
死なないためにひとまず、自分をそう思わせ追い込んでしまう環境から離れた。

身体が回復すると心に頭が追いついてきて、ようやく何が悪かったのか間違っていたのか整理することができた。

まず1つ目
「した方が良いこと」は絶対的な正解で、それさえ選択すれば全てがうまくいくと思っていたこと
世間のウケや周りの人間のために選んだことなのだから、その中で私が努力さえすれば世間や周りの人間が私に全てを与えてくれると思っていた。
そんな自分の思い描いている理想像と現実とのギャップに苦しんだ。
まさか自分の思い込みがそうさせているとも知らないで。

2つ目
間違いや挫折を恐れたこと
「私は正解を選んだはずだから!いつか上手くいくに違いないから!そのためには努力すべきだから!だって私が選んだんだから!」と、過去の選択を絶対に間違いにしないために今をカバーしまくった。結果、心が折れた。
「こんなに苦しいのだから何かが違うのかもしれない。やり直してみよう」という思考にいけば、ここまでボロボロにならなくて済んだのかもしれない。
間違いや挫折は確かに怖いが、自分を見つめてこれからの道を切り替えられるチャンスだ。過去の自分が全て正しいわけじゃない。正しくしようとしなくてもいい。

それまでの私は特に何かしたいことが強くある訳ではなく、自然とした方が良いこと=したいことになっていたので、挫折も何もないままのほほんと、色々なことに気づけないままここまで来てしまった。
(ここで気づけてよかった)

時が経ち、私にも「したいこと」が生まれていたのに、「した方が良いこと」を選ぶことこそが至高という考えにとらわれ、素直に「したいこと」を選ぶことができなかった。

アドバイスするつもりで書いたわけではないが、これを読んだ人がもし私と同じような思考に囚われていたら、「もう少し自分の心に耳を傾けて、誰かが嬉しいと思う選択じゃなくて自分が嬉しいと思うことを選んで」と言いたい。
その方が心が健康でいられるからだ。

私の場合は、「した方が良いこと」は大学へ進学することで「したいこと」は実は進んでみたい道があり、そのために専門学校へ進学することだった。
たかだか高校3年生17、8年ほどしか生きていない経験値の中で、進路という大きな選択をする時自分の気持ちを挟んじゃっていいのかな……と思っていた。
あほなのか……?自分の人生だ。やりたいことをやるしかないんだよ。その年齢なら特にな。

こうして「したいこと」をしたらいいんだ、していいんだと気づいた私は心の健康を取り戻し、また歩き出している。
これから次々に訪れる様々な選択の場面で、「した方が良いこと」を生み出す「〜するべき」「〜しなくては」という思考は一旦置いといて(というか捨て去って)、本当に「したいこと」を選べるように自分の心は自分が一番分かってあげられるように、自分を大切にして生きていきたい。
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なかなか満足のいく文章を一気に書き進めることができず、思ったように投稿ができなかった。
自分の文章力には少しげんなりしてしまうが、それでも1つ書きたいことがきちんと形として書き出せたことは良かった。
これからも文章量、文章力にこだわって自己満足で終わらないものにしたい。

ここまで読んでくださった人たちありがとう。あなたの時間に少し関われて嬉しいです。

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