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甲南女子大学文学部メディア表現学科で教えています.

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  • [インターネット リアリティ マッピング]

    2014年にmakersのための情報発信メディア「DMM.make」でネット/メディアアート周辺の作家を数珠つなぎに紹介していく「インターネット・リアリティ・マッピング」という連載をしていました.今はサーバーすらなくなってしまったので,テキストを転載しました🛠

最近の記事

242:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える08──7章 空間の時間性

脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

    • 241:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える07──6章 過去透視と脳透視

      脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

      • 240:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える06──5章 鏡像論

        脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

        • 239:エキソニモの『Infected Cites』をめくる📖

          エキソニモの『Infected Cites』を読んだときに,面白かった体験.iPadをめくるという感覚を感じたときには,ゾワっとした.iPadはページをいくらめくっても厚みは変わらないけど,『Infected Cites』ではめくるごとにページ一枚分薄なっていく.当たり前だけれど,iPadという視覚情報とめくるという行為の情報が拮抗して,少し変な感じになる. また,本に印刷された手の位置から宇佐美日苗さんと小鷹さんの《あなたは今、しています。A3》に通じる面白さがあった.で

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          238:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える05──4章 「表象」の空転

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          238:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える05──4章 「表象」の空転

          237:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える04──3章 何が見えるのか

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          237:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える04──3章 何が見えるのか

          236:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える03──2章 見えている

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          236:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える03──2章 見えている

          👻:画像とテクスチャー:ポストインターネットにおける2Dと3D

          かつて,3DCGの世界は「空虚」であり「真空」であった.その真空空間は「探索」するための空間であった.今も,そこが「探索」するための空間であることは変わらない.しかし,今では,3DCG空間は雑多なテクスチャーで覆われている. グーグル・ストリートビューは現実世界を実際に走行する自動車から撮影された2D画像をGPSデータに基いて地図にマッピングしていく.膨大な量の画像が3D空間を覆う.いや,画像が空間をつくりだすと言ったほうがより正確であろう.現実世界をモデルとして,そこに世

          👻:画像とテクスチャー:ポストインターネットにおける2Dと3D

          235:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える02──1章 見ることと触れること

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          235:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える02──1章 見ることと触れること

          👻:貧しい画像はリアリティではなく解像度で考えるべきだった

          過去に書いたテキストと追記👻 2007年に書かれたHito Steyerlの「In Defense of the Poor Image」は,高解像度の画像の劣化としての低解像度ではなく,独自の存在となった低解像度画像のことが書かれている.2007年といえば,iPhoneが発表された年であるが,インターフェイスでの大変動ともともに,画像の認識においても大きな変化が起こっていたと考えるべきであろう. 「In Defense of the Poor Image」の出だし一文「T

          👻:貧しい画像はリアリティではなく解像度で考えるべきだった

          👻:視覚言語とガラスをスリスリするという行為との関係

          過去に書いたテキスト👻 チェルフィッチュの岡田利規さんの『遡行』を読んでいる時に,iOS7が「フラットデザイン」を採用したことの意味に考えが及んだ.演劇からiOS,このつながりはおもしろいかもしれない.『遡行』という本全体から考えが及んだということではもちろんなくて,そのなかにある「演劇/演技の,ズレている/ズレてない,について」(『ユリイカ』2005年7月号所収)に書かれた「言葉」と「しぐさ」はほとんど同期しないということから,iOS7が思い浮かんで,「フラットデザイン」

          👻:視覚言語とガラスをスリスリするという行為との関係

          GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界  

          1.はじめに 「GIF」とは「Graphics Interchange Format」の頭文字をとったもので、JPEGと並んで多くのブラウザにサポートされ、インターネットでよく使われている圧縮画像形式のひとつである。フルカラーを表示できるJPEGとは異なり256色しか表示できないGIFだが、「透過」や「アニメーション」といった他の画像形式にはない機能を持つために、ウェブの初期から使われている。  まずGIFの歴史を簡単に振り返ってみたい。1987年5月28日、パソコン通信

          GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界  

          234:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える01──はじめに

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          234:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える01──はじめに

          233:ここ5年くらいで考えていきたいこと🧠📖

          小説とメディアテクノロジーとを絡めて論じるN・キャサリン・ヘイルズは,ヒトとコンピュータとをともに世界を解釈してあらたな意味を生み出していく「認知者(Cognizers)」という存在と捉え,物質や無生物の「非認知者(Noncognizers)」と区別している.そして,認知者は「意識のモード」,「非意識的認知」,「物質的プロセス」という3つの部分で構成されたピラミッド型の「認知のフレームワーク」で世界を認知しているとされる.ピラミッド最上部の「意識のモード」は意識と無意識とで構

          233:ここ5年くらいで考えていきたいこと🧠📖

          232:情報としてエキソニモのことを残したい私

          エキソニモの《On Memory》を見てから一週間が経とうとしている.作品の記憶は落ち着いてきたような感じがする.「落ち着いてきた」というのは,これ以上は忘れることはないだろうということです.今日は本を読んでいるときに会場の情景が,私の意識に現れました.視界は本のテキストでほぼ埋まっていて,その上にとても薄く,会場の情景が被さってくる感じ. このままでは忘れてしまうなということもあったので,この記事を書いている.《On Memory》を見ているときに,この作品とエキソニモの

          232:情報としてエキソニモのことを残したい私

          231:エキソニモ《On Memory》の曇りガラスと存在の濃度と空間の意味

          WAINTINGROOMで,エキソニモ《On Memory》を見る.撮影は禁止されている.メモは禁止されていないが,作品の意図を考えると,展示会場でメモを取るのはやめようと思う.記憶だけを頼りにレビューを書いてみる. エキソニモの《On Memory》のオブジェクトに曇りガラスが使われているのが,良かった.自分の考えに引きつけると,私はエキソニモの作品「Sliced」シリーズを考えているときに,瞼を閉じている状態がとても気になった.瞼を閉じていても,光は網膜に届くわけだから

          231:エキソニモ《On Memory》の曇りガラスと存在の濃度と空間の意味