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247:物質的な身体を「クリーン」な抽象的平面に変換する

こども未来館ここにこ「あそびゴコロ開発ラボ2024」で,小鷹研究室asの様々な作品を子どもに混じって体験した.子どもが楽しそうだし,それを眺める親も楽しそうだった.体験したなかから「平面」を感じた二つの作品についての報告.

Slime Hand XR

皮膚がどこまでも伸びるスライムハンドのXRバージョン.XRでしかできない仕掛けがいっぱいあった.まずは手を板の上に置くと,黄色いスライムになっている.この時点で手と黄色い球体のスライムとの対比が面白い.でも,これはリアルのスライムハンドでもある.いや,リアルスライムハンドは鏡を使っているので,手とスライムの位置は違うけど,Slime Hand XRでは手の位置に黄色い球体のスライムがあるのがまず面白い.

黄色いスライムが伸ばされると同時に,手の甲の皮膚が引っ張られる.どこまでも皮膚が伸びていく.そして,ペンツールのアンカーポイントが打たれたようにスライムは空中で伸びる方向を変える.手は板の上にあるのを知っているけど,アンカーポイントを打たれた地点にも手があるような気がする.伸びる方向を変えられたのは皮膚であって,しかも,VRのスライムであって,手そのものは曲げられたポイントにないことも知っているのに,手がアンカーポイントに移動しているような感覚は面白かった.手の位置を示す固有感覚と伸びていって曲げれられた皮膚の感覚とミックスされていく感じ.

VR上で皮膚が何度か曲げられて,今度は手を置いている板が動かされる.板が傾けられるとその上に置いた手,そして,VR上で今まで伸ばされて固定されたスライムとがともに傾く.私は伸ばされた皮膚が途中で曲げられたような強烈な体験をここでは体験しなかった.VRの傾きと手の傾きとが一致しているという当たり前のことを感じていた.

次にモードを変えて,青いスライムの体験となった.青いスライムが伸ばされていってVRにある灰色の球体にくっつけられる.この時点で皮膚ってすごい伸びるんだという体験をしている.この状態で「下の板を持って,板ごと動かしてください」と言われる.板の下に手と元々板に置いていた手とで板を挟んで動かす.そうすると,自分で皮膚を伸び縮みさせているよう感じになる.板を灰色の球体から離れるようにすると皮膚は伸びていき,近づけると縮んでいくような感じ.これは新鮮な感覚だった.リアルスライムハンドでは皮膚の伸縮の主導権はスタッフにあって,私はされるがままであったが,Slime Hand XRのこのモードでは,私に皮膚の伸縮の主導権がある.皮膚が伸びるということが気持ちよくなって,私は何度も板を動かす.スタッフが私の皮膚を摘んでいることは知っているけど,そんなことはどうでもいいくらい板を動かして,自分の皮膚を伸縮させていることが気持ちよかった.

小鷹研の錯覚を体験して駅に向かっているときに,さらに興味深い感覚があった.Slime Hand XRの体験で,板を自分の手で挟んで動かしているときに皮膚が伸びている感覚は思い出せるのだけれど,手のかたちがすっかりと失われていて,手に挟まれた板になっているような感じしか思い出せないのである.板という物質性は両手が挟んでいるから感じている触感からきているので,手自体は本来のかたちの感覚をなくして,板と同じ形状,つまり,平面になっている.手が平面になって,その一点がつままれて,皮膚として伸ばされているという感じが.体験後に思い出されたのが,私にとってとても興味深いことであった.

これを書いている今でも,Slime Hand XRの青スライムモードで板を動かしているときに私の「手」は5本指で存在しないで,平面になっている.手のかたちの感じを失っていると書いてきたけれど,それはリアルスライムハンドでもそうかもしれないと思った.だから,Slime Hand XRで,私にとって強烈だったのは,手のかたちが失われたことではなく,手が板と同化するように平面になっている感じなのだと思う.手が平面になる.抽象的な平面になる.これが重要.その一つの点が伸ばされている.この皮膚が伸ばされていることが,そこに私の手があるということをかろうじて感じさせてくれるのであろう.

facegram

facegramも私の顔をスッパリと平面で切り取ってくれた.私はヒトの顔を見ていると,「顔」と呼んでいる部分はとて薄い感じを抱いていた.正面から見ているとその薄さは感じられないが,斜め横や横から見ていると,顔はほとんどなくて,頭がほとんどを占めているように感じられる.頭の表面に顔となるパーツが接着されている感じ.さらに,頭と顔とのあいだには切断面があって,そこでスッパリと切れると思っている.

このようなことを思っていたので,facegramでモザイクのように他人の顔が貼り付けられて,その奥に頭蓋骨が現れたときに,自分が普段考えていることを具現化してくれたように感じたのであった.顔なんて頭に貼り付けられた薄い表面でしかないのだから,別の顔のシートのようなものを貼り付けることができるという感じと.貼り付け可能なのは顔と頭とを切断できる平面があるからということを,facegramは鮮明に体験させてくれた.

顔が平面なわけではなくて,顔と頭とのあいだに切断面があるという感じ.その切断面はSlime Hand XRで体験を思い返したときに現れる抽象的な平面と同じもののような気がする.実際にはそんな平面はないし,頭と顔の間を切断すると骨や筋肉があってネチャネチャ,ぐちゃぐちゃしていて,「抽象的な平面」という言葉が持つ「クリーン」な感じではないだろう.しかし,そうした具体的な身体=物質から離れたところに顔を頭とを分つ,抽象的な平面があるのではないか.facegramは映像,情報を処理していくことで,物質的な身体を「クリーン」な抽象的平面に変換しているのではないか,ということを考えた.

小鷹研究室の錯覚体験をしていくと,ヒトの身体はもっと抽象化できるのではないかと感じる.「クリーン」な抽象的平面のようなものが物質的身体のなかにはいっぱいあって,それを情報的に操作すると取り出せて体験できるようになる.その体験によって,ヒトはもっと抽象的に自分の身体を考えられるようになり,扱えるようになるのではないだろうか.


私は小鷹研究室asがやっていることに「平面」をよく感じている.過去に書いた記事も「平面」がタイトルに入っていた.

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