お医者さん選び②:NZと日本

前回はこちらの医療制度についてちょっと書いたけど、その後少し変更があったのでこちらも備忘録として残しておきたい。

前回は女医さんを主治医として選んだ、と書いたけどそれを変更した。夫は日本を出る前に、血圧のお薬を3ヶ月分処方してもらってこちらにきたんだけど、それがそろそろ底を突いてきたのでこちらのお医者さんにかかる必要があった。それに加えて、皮膚がん一歩手前のホクロのような物を日本でも定期的に皮膚科のお医者さんに診てもらっていたので、日差しが強いこちらでもそれを継続する必要があったの。

私と同じクリニックに所属するお医者さんだけど、上記の皮膚ガンを専門にする、と書いてあったので、彼はDr. T (中国系の男性)を選択した。1回目の診察の後、夫はこのDr. Tとの相性がとても合って、良いお医者さんだと言うので、今日の2回目の診察に私も同行することにしたの。ちなみに夫の2回目の目的は新しい血圧のお薬が合っているか、を確認するためのもの。皮膚がんは心配ないよ、念の為。

総合的に夫の今までの人間ドックとかの結果とかを聞いたり、家族に特定の病気がないかなどを段取り良く聞いてくれていた。有能な感じがするし、でも冷たい感じもしない。情報をちゃんと整理して聞いてくれて、的確に答えてくれる。日本の医療のシステムについてもご存知のようで人間ドックの結果などもそれを踏まえて彼の見解を聞かせてくれた。

日本と比較しながらNZのシステムを簡単に説明してくれて、NZでは人間ドックのような症状が出る前に予防的に検査をするというシステムではなくて、症状があった場合にそれに応じて検査したり専門医にかかるように推薦したりするシステムだと説明してくれた。そして日本はなるべく早期発見に努めようというシステム。Dr. Tによると、双方とも両極端になると弊害も出てくるから、その中庸が望ましいと考えているとのこと(うん、うん、素人ながらすごく同意する!)。

例えば、今夫の血液検査やエコーなど(私でもいいけど)の検査をしたら、多分、多少なりの異常値が出る。そういうシステムにいると、異常値が出たから、さらに検査をする必要性が出てくる。こういう精密な検査をするとさらに何か出る可能性もある (なんか出る出るって、幽霊みたいね笑)。こんなに検査を重ねるから早期発見に至る場合もあるし、もしかしたら、最終的にはなんでもない可能性もあるってこと。各段階で「なんかはでる」可能性が高いとのこと。ここも素人ながらわかる気がする。

私たちの体って絶えずなんかの数値を一定に保っているべき、って考えるのって過大な期待をしてるような気がする。体温だって多少なり上がったり下がったりするんだろうし、血液中のなんちゃらも上下して当たり前だと思うし、できものが体の中にできたり消えたり残ったりしてるんだろうな、と思う。それだから「生きてる」んだろうし、それだからこそ生命が保たれているような気がする。全くの素人感覚なんだけど。

前にLINEで書いたような気がするけど、ある一定の年齢になったら「なんかかんか」出てくるわけだし(ほとんどの場合、「なんか」は癌を指すんだよね)、それをその度ごとにそれを早めに見つけて入院してお薬で治す、というのがいいのか、あるいは体調もそれほど悪いのでなければ気づかないまま普通の生活を長く送るのがいいのか、迷う。すごく迷う。

長生きをして認知症になるという可能性もある(ウチの父ように)。認知症になりたくないから、だから早死にしたい、というような短絡的なことではないけど、これからの人生をどう生きたいか、ということに医療システムや各自のアプローチはやはり深く関係してくる。

話があちこち行って申し訳ない。結論は、私は夫の付き添いに行って話を聞いただけだけど、Dr. Tの医療のシステムの理解の仕方とか、治療方針の波長が合うなあ、と思い、彼に変更することにした。夫と同じお医者さんだったら何かと便利だというのもあるし。

Dr. Tの診療室に『Being Mortal』という本があり、このお医者さんが大事だと思うことがこの本にあるのかな、と思った。私もずっと前に読んですごく共感したのを思い出し、恥ずかしながら詳細を忘れてしまったので(認知症の初期症状???)、図書館でもう一度、借りて読むことにした。


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