いぇ〜い!

けいこです。

きょうこの孤軍奮闘ぶり、すごいよね。素晴らしい。そしてやってみたことで見えてくるものもあったようだから、意を決して福井に行ってよかったね。「いぇ〜い!」とエールを送りたい。

本当、片付けるのや〜めた、といったすぐにお掃除始めたところは「もう性分だね」と笑いながら私も読んだ。でも自分の空間ってそれぞれの心地よさの範囲があるから、そこにいる間はきょうこが気持ちよく過ごせるように整えていきたい気持ちもすごくわかる。

それにしても、立派なお家!目がハートになるような私の憧れるところがいっぱい。でも山の中で、古い立派な敷地の家を管理するのは大変だね。私も日本にいたら、こういう生活憧れたと思うけど、実際は難しいと判断したと思う。虫・蛇・害獣と戦い、車なしでは生きていけず、草木も容赦なく蔓延る。。。こういうふうに貴重な日本の古民家が朽ちていくんだよね。残念で仕方ない。

みずほの書き込みも読んだよ。みずほのクエッションマークいっぱいの文章、読んでて面白かった。「なんで?なんで?」って質問したいみずほの顔が浮かんできた笑。そしてみずほの文章は「共感力」に溢れてて好きだ。こちらにも「いぇ〜い」

60歳を迎えて、時間やお金との付き合い方がこれまでとは変わってきているね。それが、きょうこの福井に行って得た貴重な気づきでもあり、みずほが知り合いになった資産家のおじさんの言でもあり、私も退職をすると決めた2〜3年ほど前から考えてきたこととも重なる。

お金があっても時間がなければ有意義な生活にはならないだろうし、反対にお金なくて時間だけあっても、どう安上がりに時間を費やすかは、難しい問題だ。ちょうどいいバランスはその人によって違うだろうし、同じ人の中でも年齢を重ねるごとにそれぞれの比重は変化していくだろうし。

私は、2年ほど前に読んだ「稲垣えみ子」さんのエッセイ本からすごくヒントを得た。以前にも書いたと思うけど。

最近の本「家事か地獄か」では、若い頃、家事を完璧にこなし、あらゆるものを手にいれる豊かな生活を送っていらっしゃったお母さんが認知症になり、こういう利便性を支えてきた様々な家電や着る物、他の持ち物に押しつぶされ、自信をなくしてしまっている、というくだりがあった。

若い人でも、たくさんモノに囲まれ、次々と購買することで本当に幸せになっているのか、という消費社会への提言もある。

そして消費することに生きがいを見出すのではなく、日々の生活(=家事)に手をかけることで、意味ある時間の過ごし方になり、かつお金もほとんど必要ない、と書いてあった。私は彼女のように潔く生きることはできないけど、でもこの生きる方針はすごく参考になってる。まさに時間を有意義に過ごしながらお金も必要ない!ってことだ!

私は今まで、隙間時間に料理・洗濯・掃除をこなしてきた。ここにある背景はこういう家事全般をするくらいだったら、私にはもっと大事なこと(仕事や遊ぶこと)があるべき、という考え方。ある意味「ちゃんと生きること」を疎かにしたり、そういうことを卑下してきたことになる。こういうふうに思って生活する現代人って多いと思う。

でも、そういう家事全般が、私の生きる営みであり、これを慈しみ、ちゃんと直視し、大切にしよう、と気持ちを入れ替えたところで、いろんなことが楽になったよ。今まではある程度必要だった他の人からの社会的な評価も必要ない、と気づいた。こう思うことで、仕事に対する未練や執着も見事に消え去った。

でもあまりにも自分中心の生活に没頭し、自分のことだけを考えるのも良くないと思うので、今日からボランティアに行くことにした。日本の子ども食堂のようなところ。日本人だから包丁さばきなどはこちらの標準からすると上かな?と思い、最初は「お料理のヘルプ」という項目で希望を出したんだけど、(ボランティアなのに)雇ってもらえず苦笑!(ウェブサイトから申し込みするシステム)

それではやり方を変えてみようと、一番下位層の「お皿洗い」で申し込みをしたら、即きてください!という返答だった。それもそうだよね、どこのどんな人かわからないんだから、一番下の仕事から頼みたいよね。「新しい社会・新しい団体」に入れてもらうから、しっかり下から入っていって、認められて、そして少しでも役に立てるようにコミュニティーに入っていきたい。

今日から一歩新しく踏み出す自分にも「いぇ〜い」!




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