見出し画像

2人で自由と孤独を手に入れること

↑こちらも



わたしにとって、「自由」はとても大切なものだなと思う。

自分の好きなことや考えや欲求、そういったものを否定されないこと。制限されないこと。

考えてみると、わたしは運がとても良くて、できた両親と祖父母に育ててもらったから、自由を奪われた経験がこれといってない。

なんというか、子供的な(弱者的な)扱いを受けた経験が少ない気がする。例え相手が親であっても、「大人(強者)」と「子供(弱者)」ではなくて、対等な「ひとり」と「ひとり」だった。

勉強しなさいとか、こういう風になりなさいとか、そんなことは一度も言われたことがなく、いつもいつも「あなたはどう思うの?」と聞かれて、「こう思う」と答えればそれは全て肯定されてきたし、「自分で決めなさい」「好きにしなさい」って、そうやって、放任主義の英才教育を受けてきた。

(いやいや、いいように書きすぎでしょ、頑固すぎてあなたの選択を否定したところで生意気すぎて意味ないから肯定するしかなかったんですけど…?という親のツッコミが聞こえてきます…。そうですよね、ごめんって。笑)


放任主義の英才教育(と書きますが単に頑固なだけっぽい)が何をもたらしたかというと、まずは自由。

それから孤独である。

自由の条件は、孤独を受け入れられることだと思う。この孤独とは、疎外感や寂しさではなくて、「ひとりでいるという状態」のこと。

例えば、わたしは家族ととても仲が良いと思っているけれど、家族の中で自分だけ経験していないスポーツがあったり、逆に自分だけピアノをやっていたり勉強が好きだったり、家族との共通点が全然ない。だからあまり話が噛み合わない。

「ひとりでいられるかどうか」は、自由と引き換えの条件だと思う。


自由が好きで、ひとりでいる状態も問題ないわたしは、友人関係や、恋人関係にもそれを求めて、それなりに失敗もしてきたと思う。

高校生の頃、集団の中で生じる派閥がとても苦手で、何かと「どっちつかずの人」「どっちの人とも仲の良い人」でいたら「あなたはどっち派なの!?」となぜか片方のグループの女子に嫌われたこともある。

(理不尽すぎていまだにムカつく)

複数人のグループだとしても、常にマンツーマンの「あなた」と「わたし」との人間関係でいたいのに、だめなのか…と落ち込んだりもしたけれど、結局どっちかのグループに所属したとしても、片方だけと仲良くするなんてできなかった。

恋人関係も、恋人関係の「自由」とは色々あるんだなと学んだ。相手に自分の自由を差し出して、お互いに相手の自由な時間を奪うことこそ、愛情だと考える人もいる。

不自由さと愛情は、わたしには結びつかなかった。

そんな人間関係の失敗も経て、やっぱり、わたしにとって「自由」はとても大切なものだなと思う。


ここまで読んでいただいて、すでにお察しかと思うのですがわたしはかなり自己中心的な人間だ。どうすれば自分が心地よく生きられるかばかり考えている。

でもね、これまで書いたように、自由と孤独は、集団行動や協調性を諦めて良いとかではない。(むしろわたしはそういうものを大事にしない人に結構厳しい。)

そして、同時に「大切な人が心地よく生きていること」も必要で、大切な人の自由と孤独もまたわたしにとって大切なので、まっ、どうか嫌わないで。笑


誰かに会った時、その人の何をみるかなあと考えてみると「ひとりでいられる人かどうか」を見ているかもしれない。

自由を持つ人との関わりは、何も奪われないし、無理に何かを与えないといけないこともないから怖くない。

それに、そういう人は正直。

自分の感情や考えをちゃんと知っていて、相手によって変えたりもしないし、正直に話してくれるから、安心。

好きなんです。

ただ、そういう人と仲良くなりたいなと思い、また相手も同じように思ってくれている時、その先に進むには、冒頭の記事に戻るけれど、言葉が必要だと強く感じるのです。

自分の感情や考えをちゃんと知っていて、それを言葉にすること。

いつも自分だけが味わっている自由と孤独を一方向ではなくて双方向に育てないといけないのだから。

1人で自由と孤独を手に入れるのは簡単。だけど、2人で自由と孤独を手に入れることは、本当に努力のいることだ、と、今日そう思いました。

今日もお疲れ様でした♩

この記事が参加している募集

自己紹介

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?