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当たり前ではないことを重々承知で

わたしはおそらくずっとピアノを弾き続けるのだと思う。だって、現にもう20年以上弾き続けているわけだし、ピアノを弾いていない自分を想像するとか無理だし。何より純粋に、ピアノを弾くことが大好きだから。

今の所そう思っているけれど、ひとの気持ちは変わりゆくもの。いつ嫌いになるかなんて、分かりません。

(と小学生の頃から思い続けて、嫌いにならないまま社会人になってますけどね)

ピアノに盲目で、「ラブ♡」「ないと死ぬ♡」と思っているけれど、しかしその気持ちに依存しきらない、一歩引いた冷静な自分も同時に存在している。「まあ今後ピアノを弾かなくなる日が来ても、別にそれはそれで」みたいな。

(とてもそうは見えないと思うけれど)

そう思うのは「ピアノをずっと弾き続けられる」というのは奇跡みたいだなあと思う気持ちがあるから。ほんとうに奇跡。

長い長いピアノ人生(なんとも大げさな書き方だ、でも事実)

部活でなかなか練習できなかったり、受験のたびにレッスンをお休みしたり、上京したり、就職したり

と色々な環境の変化があって

それから

とにかくうまくなりたくて本気で練習した時期、ソロより伴奏が楽しくて仕方がなかった時期、クラシックよりjpopの耳コピばかりしていた時期、あんまり弾かないけどとにかくコンサートばかり聴きに行っていた時期

と気分のムラもあって

でもとりあえず「音楽から離れたらいけないよ!」という注意喚起がずっと自分で自分になされていて。笑 それでここまで来ている。

だけど、注意喚起(自分の意思)だけで簡単に続けられるわけがなく、続けられるような偶然が続いてこそ。

たまたまピアノを習い始めた早い段階で祖母が「ちゃんとした」ピアノ(電子ピアノとかではなく)を買ってくれて

たまたま一軒家で周りに家もなかったから騒音問題とは無縁でピアノが弾きたい放題で

たまたま先生との相性が良かったからレッスン嫌いになることもなく

たまたま学年にピアノ弾ける人が少なかったから学校で伴奏の面で重宝されて

上京してひとり暮らしを始めるとき、部屋に置く電子ピアノを「バイト代がたまったら買おう」と思っていたのに、たまたま小中の時の友達が「いらないからあげるよ~てかもらって~」と電子ピアノをくれて

大人になってもピアノにクレイジーなのは自分だけかと思っていたら、ある時わたしなんかよりずいぶんクレイジーな人たちとの繋がりができて

たまたまハードな曲を練習する余力があるくらいにはホワイトな職場でプライベートの時間が多く

今教えて頂いている先生とのレッスンはすごく勉強になってポジティブな気持ちになるし

そんなことの積み重ねで、偶然、今もピアノを弾くことができている。

当たり前の環境に感謝する、という月並みな文章になってしまったけれど、今日もピアノを弾けることがものすごく幸せだなと思うし、音楽から離れてはいけないと、また再認識するのでした。

今日もお疲れさまでした♩


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