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大人は必ず正しいという認知で苦しんだ話

勉強などの答えがあるものや、モラル、マナーなどの望ましい規範があるもの、良好な対人関係を築くための方法など、より良いものを目指す過程で「正しさ」を意識することは必要不可欠だと思います。

ただ、その「正しさ」は第三者から判断しても本当に正しいものでなければ、思い込みでしかありません。

私はこれまで、自分の思う正しさに自信が持てずに間違った判断と知りながら意思を曲げてしまうことが多くあり、そんな自分になってしまった理由をこの年になって考えました。

今回はきっかけになった出来事や、そこに至るまでの私の人格形成を自分なりに振り返ってみようと思います。
少しだらだらと綴ってしまうかもしれませんが、ご覧いただけると嬉しいです。


欲しがらなかった幼少期

幼少期の私は今思うと不思議な子どもでした。
大人になり同世代の友人同士で幼少の頃にハマった遊びの話になったとき、みんなが名前を挙げて盛り上がる漫画やゲーム、アニメやドラマも私はほとんど知りません。

友人の話に入れない疎外感を感じながらも、
「子供の頃の私って何してたんだろう?」
「ゲームやりたいとかアニメ見たいって願望を持たなかったのかな?」
と、自分でも不思議で仕方なく姉や母に後日尋ねたほどでした。

思い出す限り、小学校までは友人の住む団地のエレベーターホールの溝を使った陣取りのような鬼ごっこ(いまだに名称が分からないので団地の子代々受け継ぐ遊びな気がしています。)をしたり、シールやお手紙交換をして過ごしていました。

確かに友人は多い方ではありませんでしたが、遊ぶ人がいなかったわけではなく、純粋にお金のかかる道具を使った遊びや決まった時間を拘束される遊びをしてこなかったのだ思います。

大人になって聞いた話では、私はもともと執着心のない子どもだったようで、習いごとでテレビが見られなくても気にならず、ゲームも楽しいとは知っていても「買って」とねだったこともなかったようでした。

私の場合、「楽しいもの→羨ましい→手に入れたい」という気持ちの流れがあまりなく、友人の持つゲームや漫画に羨ましさはあっても私の家にはないものという認識が強く、だからといって手に入れたいと思うこともなく、家では読んだことのある古い本を読み返したり、飽きれば祖父に遊んでもらっていました。

姉は近所の子に読み終わった漫画を借りていたようで、これが小学生のコミュニケーション能力の明暗を分けたような気がします。


従順な子どもでいた期間

子どもとして成長していくほどにコミュニケーションに使う話題は増え、その中のウエイトを多く占めるのはホビー、カルチャーの話でした。

現代的遊び道具を持たずに過ごしていた私は、当然ながら複数の友人と遊んでもゲームは弱く漫画やテレビの話は聞き役になるので、どこにいてもイニシアチブを取られることには慣れていました。
(そもそも鈍感だった私は主導権という認識や概念はなく、そんなものだと思っていた気もします)

そんなこんなで提供できる話題に乏しい私は、人との関わりの中でも自分を表現することができず「穏やかでおとなしい子」として捉えられ、そして大人の目には「従順な子ども」として映り、良くも悪くも扱いやすい子どもとして認識されていくのでした。


深く突き刺さった言葉

良くいえば素直で物分かりがよく、悪くいえば自己主張のなかった私は学校生活のすべてにおいて従順でした。

社会を知らない子どもに生きていくための必要な知識を授けてくれるのが学校であると思っていたし、そこにいる先生たちの言うことはいつも常識的で模範的であったために私の中で「大人の言うことはいつも正しい」という絶対的認識がありました。

小学6年のころ、周りのクラスメイトの中では暴言や強い表現でのいじりのような発言をよく耳にするようになりました。
今思えば深い意味はなく、当人たちはネタや冗談のつもりであっただろうと思いますが、私にとっては恐怖の言葉でしかありませんでした。

その過激な言葉の流れは間もなく私に向けられ、望まないあだ名を勝手につけられたり、私の机に触れて感染する菌をうつし合う鬼ごっこが繰り広げられたり(当時はショックでしたが、派生ルールで保菌者が床にタッチすると床を伝って感染するのでジャンプで避けるというテクニックがあり、今思うと感染力的にはバイオテロだし、感染対策は今の生活様式を見習ってほしいですね。)と、言葉や遊びからなるものから、靴箱にゴミや画鋲を入れられたりという嫌がらせ的なものまで及びました。

そのような日常にも慣れかかっていた頃、一人の同級生から「死ね」という言葉を浴びせられます。
当時の私は嫌がらせのような出来事には鈍感であまり動じることがなく、悪意すらも感じ取ることがありませんでしたが、その分だけ向けられた言葉に対しての感受性が高かったのか、ここでようやく深く傷つき我慢の限界を迎えました。


私の気持ちを踏みにじった 先生の涙

傷ついた私は、当人に何度か「やめて」と主張しましたが変化がなく、担任の先生に打ち明けます。
授業が終わった夕方頃、他の生徒が帰った教室でこれまで苦痛だった出来事を話す私に、先生は神妙な顔で相槌を打ちながらしっかり聞いてくれていました。
間違ったことからは必ず先生が守ってくれるだろうという認識の私は、期待を持ちながら先生の言葉を待つと、
「辛かったね、よく話してくれたね」と期待通りのリアクションが返ってきたのですが、その次に続く言葉に言葉が出なくなりました。

「でもね、〇〇君は小さいころにお母さんを亡くして甘えられる相手がいないんだよね。」

「あなたはいつも優しいし、甘えたいんだと思う。」

「だから可哀そうだと思って許してあげて」

 そう涙ながらに訴えてくるのでした。

その子がお母さんを亡くしたことは知っていましたが、先生から改めて知らされた事実と、私の人格を体裁よく押し込められた「あなたは優しい子だから」という言葉、先生の言うことは正しいという認識、そして先生が流した涙の四重苦が、ただでさえ苦しかった私に迫って逃げ場がなくなりました。

私はこのとき泣いておらず、苦しむ私の前で何故か先生が先に泣いてしまったので、「泣きたいのはこっちなのに」という気持ち半分、「大人を泣かせて申し訳ないな」という謎の擁護の気持ちの半分で葛藤し、実際には泣いていない私が泣く泣く先生の言葉を受け入れるのでした。

その後、どう耐えたのかはよく覚えていません。
正しいはずの先生に我慢を強要され、それでも先生は正しいと思わなければ正しい生徒でいられないと思い、誰にも打ち明けないまま時間の経過で誤魔化したのだと思います。

毎年3月の終業式の日には、感謝を言葉にしなさいという母の教えで1年間お世話になった先生に手紙を送っていた私は、先生が自分をほめてくれたときの話などでカムフラージュしながら、気持ちを踏みにじられた事実や苦痛を覆うように手紙を渡しました。

きっとその先生は、その感謝の言葉の裏にあった私の気持ちに気づくことはなかったでしょう。


間違った大人がいるということ

それからしばらくはその出来事を忘れていましたが、初めて信頼できる先生と出会った高校生の頃には「あれはあの先生が間違っていたな」と認識できるようになりました。

私が信頼していた高校時代の先生は、誰が相手でも間違っていることには強い口調で抵抗し、自分の信念を貫くことのできる大人でした。

人に強い言葉や態度で接する先生に当初は若干の怖さを感じていましたが、先生の放つ強い言葉の中にはいつも正しさがあり、強い態度でいるのは世の中の多くの間違った大人から私たちを守るためなのではと考えるようになりました。

私が通っていた私立高校には理事長のことを悪く言う先生が多くいて、私利私欲のために経費をつかっていると言う噂が生徒にまで流れてくるほどでした。
実際のところの真相は知りませんが、教育者としてあまり良い評判はきかなかったのでそういうことなのでしょう。

子どもから見て、大人が大人を悪く言う姿はあまり好ましいものではありませんが、自分の信用する大人が他の大人を悪く言う姿を見たことで、「大人は必ずしも正しい訳ではない」とようやく私は理解し、「誤った大人を信用してはいけない」のだと思いました。


どんな大人も間違える可能性がある、けれどー

先生の言葉に傷ついた日から約15年ほどが経ちます。
鮮明に思い出せる出来事は歳を重ねるごとに少なくなり、この先もどんどん記憶の鮮度は落ちてのだと思いますが、それでも先生の言葉と涙に傷ついた記憶は現在になっても消えていきません。

大人になった自分が改めてあの日の言葉を思い返せば、

「本当に傷ついている当事者の前で、的外れにも "可哀想な彼の境遇を思って流した涙" を見せて 私の気持ちに一切寄り添おうとしなかった先生は、私が遭遇した初めての悪い大人だったな」と振り返ったり、
「不幸話や境遇と引き換えに赦しを乞うのは卑怯だし、加害者からみても第三者に "あの子かわいそうな子だから〜” と言われながら許されるのは失礼な話だよなあ」と客観的に思ったり、
いくらでも言い返せると思えるほどに筋の通っていない一言であったことに気づきました。

大人として社会生活を営むようになり、ただ平日の1日をとって考えてみても、間違いを犯す大人は想像以上に溢れていることを実感します。

通勤電車で横入りをする大人、路上で歩きタバコやポイ捨てをする大人、煽り運転をする大人、社内では情報漏洩、横領、パワハラやセクハラなどのコンプライアンス違反をする大人など、モラルやマナーや規範を外れるようなものは勿論ですが、業務やルールの本質を理解せずに常に従うだけの人、年功序列の名の元に新入社員を必要以上に馬鹿にしたりこき使う人、女性をお茶出し・お土産係や雑用係のように扱う人なども私からすれば全く良い大人とは思えません。

そう思うと、基本的には正しくあろうとしている大人でも、社会の中でのしきたりや同調で流された末に間違った認識を持ち、人を傷つける大人になってしまうこともあるかもしれません。

それでも正しくあろうと思うのなら、自分の意に反する流れに巻き込まれそうでも何も試みずに屈してはならないし、たとえ根は正しくても行動を伴わせることができずに「戦えない同調者」になってはならないと思います。


同調圧力が量産する間違った人々

私は以前勤めていた会社でハラスメント被害に遭ったことがあり、上司や同僚に相談もしていましたが、「大変だったね」「気づけなくてごめんね」「○○さんに相談したら?」などの客観的な感想にとどまり、その職場には自ら手を差し伸べてくれる人は一人もいませんでした。

確かに、「自分が証言者になったことを後々加害者に知られて報復に巻き込まれたら・・・」と、今後の仕事への影響を恐れる気持ちはわかりますが、はじめにかけてくれた同情の優しい一言と、何もしてくれない現実とのギャップを突きつけられた私は非常に深いショックを受けました。

ここで見て見ぬふりをして何もしないのは加害者に加担することに等しく、「何もする気がないのなら、見せかけの優しい一言なんていらないのに」と思っていましたが、きっと私を助けるつもりは端からなく、軽く言葉をかけて「表面上良い人」の枠にとどまっていられれば間違いではないという思惑だったのでしょう。

会社のような大きな組織の中で意思を主張することは確かに容易いことではなく、自分のことならともかく他人の問題であれば厄介ごとだと考えて避けたくなる気持ちも分かります。

でも、それが単純明快に善悪の判断がつくものであればあるほどに、解決に力を貸さない人物も同罪とみなされるリスクがあると思います。

もし、一人の正しい主張を 善悪の主張ができない大多数が制止してしまえば、組織ごと間違った道を選ぶこととなり、その組織は今後も正しい一人をねじ伏せて同調するだけの「戦えない弱者」を輩出していくことでしょう。


強く正しくあろうとすること

幼少期の一件からの私は、正しいはずの大人の強い主張に飲まれて意見を曲げてしまう弱い善人でした。

かといって自分の主張に本当に自信がなかったという訳ではなく、
「私の主張の正しさ」VS「年長の大人が言うことの正当性」で戦わせたときに、単純に私が正しいはずでも口車に乗せられ大人の都合の良いように話が進んでいくことは少なからずあり、認知的不協和に陥った私は「私の主張が通らなかったと言うことは、社会を知っている大人がやはり正しい」という新しい認知で自分を押し込めるしかなかったのだと思います。

ただ、大人になった今は自分が正しい大人でさえいれば、あの頃信じてしまった「大人は正しい」「年長者は正しい」という子供騙しの認知を跳ね返すことができます。

これまで長々と書いてきましたが、幼少期から社会人までの経験を振り返ってみて、私の中では間違った道を選択せず、正しい道で戦おうとする人に力を貸せる人こそが一番正しい人間であると思っています。
ただ、そんな正しい大人でありたい一方で、私自身に大きく欠けている要素として「強さ」がありました。
正しく強い大人であれば、自分の意志を曲げずに貫くことは勿論、正しくあろうとする誰かを救うことができます。

私は頭の回転も良い方ではなく、相手の話に飲まれてしまうことも度々あり、これまでの経験でスムーズに私の意思を受け入れてもらえなかったのは、私の弱さが敗因だったと思います。

前述のハラスメントの一件が無事解決へと進んだきっかけは、ひとえにパートナーの強く正しいバックアップのおかげで、私に代わって然るべき機関への相談や依頼を行ってくれたほか、度々弱気になる私に「正しく強く、戦えるようになろう」と鼓舞してくれました。

以来、強く主張しないといけない場面では、会話の中に迷いを見せてしまうと不利な流れに持っていかれてしまうため、意識的に以下を心がけています。

● 相手の同情が本物か見せかけかを見抜くこと
● 同情しながら引き留めにかかる人は敵とみなすこと
● 内容の噛み合わない相手とは話さず、権限のある人物に繋いでもらうこと
● 要望を察してもらおうとせず、端的に言葉で伝えること
● トンデモ理論には「それが通用するならこれもそうですね」と極論で対抗すること
● 曖昧な言葉で濁されたときは、端的に言い換えYesかNoで判断させること

自分の意思を押さえ込むことに慣れてしまっていた私にとっては、初歩的でも意識的でも強い自分になりきることからスタートし、自分を認めてもらう場数を踏んでようやく強い大人になれるのだと思っています。

終わりに

私はこれまで長い時間をかけて「正しさ」と「大人」という問題に葛藤してきました。

「もし幼少期の私が大人に意見できる子どもだったら」
「もし小学生の私の気持ちをあの先生が気づいてくれたら」
「もしパートナーが正しさと強さを教えてくれる人ではなかったら」

もっと早く気付けたかもしれないし、この先ずっと気付けなかったかもしれません。


これまでの人生を経て、ようやく強く正しい人間になろうと思えた今は、私だけでなく正しさを貫くために戦う誰かの役に立てる人間でありたいと思います。

また、将来自分の子どもを育てるときには、幼少期の私のような気持ちをさせることなく、優しさと正しさ、そして強さで守り抜ける大人になりたいです。


ここまで拙い長文をお読みいただいた方、ありがとうございました。

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