見出し画像

子宮筋腫 開腹手術の記録 【8/28手術当日】

私が子宮筋腫の手術を受けて早2ヶ月が経ちました。
前回の記事では、入院前の心境や持ち物の準備について、手術前日となる入院初日の緊張感や不安感などの正直な気持ちを記録しました。
手術を翌日に控える不安な夜が明け、今回はいよいよ当日の記録を綴っていこうと思います。

▼前回の記事はこちら
Thanks:持ち物リストや前回の記事について、Twitterやnoteなどで少しずつではありますが、嬉しい反響のお声をいただきました。ありがとうございます。
さまざまな手術に挑まれる方々の気苦労の軽減に少しでもお役立ていただければ幸いです。

A.M. 空腹とソワソワの朝

緊張からか、自然に朝6時ごろに目が覚めました。
昨日の下剤の効きがまだ続いており、腸がギュルギュルと動いている感覚もあって起床直後から数回トイレに駆け込んでいました。
私の入院した病院では、産婦人科のフロアの病室は大部屋がなく元より個室一択だったのですが、下剤によるトイレ駆け込み問題で早速「大部屋じゃなくてよかった」と実感していました。個室料金は病院によってかなり違いがあるようですが、私の場合は5000円/1日でした。個室には点滴を引いて入れる広々としたトイレとシャワールーム(浴室なし)がついていました。

また、小さなソファーとテーブル、その横には冷蔵庫が置かれていて、ゆったりとしたスペースがとられていました。

手術当日の朝の時点で、昨日夜からの絶食と下剤によるお通じの活発さの効果で空腹でしたが、必死で我慢。
朝の早い時間のうちに看護師さんが来て、「術前の飲み物は7時までだから早めに飲んでね」と、アルジネートウォーターという小さな紙パックを支給されました。

この飲み物は、脱水の予防や術中に失われる電解質などを補給したり、術後の治癒に必要なアルギニンや糖分・炭水化物の摂取、さらには手術前のストレスの軽減の効果もあるのだとか。

・・・とても飲みやすい!
昨日の下剤は「悪意を込めて濃く酸っぱく調合されたポカリ」でしたが、アルジネートウォーターは「優しい人が差し入れしてくれたポカリ」でした。

ごくごく飲めて、あっという間に飲み終えて午前7時過ぎ。
絶食に加え、13時半の手術に備えてここから絶飲がスタートしました。

手術中に胃の内容物が残っていると、手術中の血圧低下や気管への挿管の刺激で嘔吐してしまうことがあるそうで、特に麻酔で無意識状態だと嘔吐物が肺に逆流して肺炎にが引き起こされるリスクがあるので、これは手術前の大事なお約束。
・・・分かってはいても、昼過ぎの手術まで空腹で仕方ありませんでした。

お昼前頃には手術着に着替え、弾性ストッキングを履いてスタンバイOK!
いざ着替えると緊張が押し寄せてきて、空腹と心臓のバクバクで気持ちが悪くなりました・・・

P.M. 人生で一番の不安と緊張

当日のみ家族が1名だけ面会できるとの事前説明通り、母が12時から来てくれました。

部屋に母が入ってきた瞬間、今までにないくらいホッとした気持ちになりつつ、ついに手術まであと少しというカウントダウンが始まったような気がしました。

前述の写真に載せたソファに腰掛ける母の前で、

「お腹すいた」

「緊張する」

「怖いなー」

(窓から外を眺めて)「今日遊びに行ってる人はいいなあ」

「まあ、きっとなんとかなるかあ」

「案外余裕に終わる!」
など・・・

目まぐるしく変わる気持ちを吐露していました。

午後からはじっと座ってはいられずに「手術したらしばらく普通に動けないから」と、個室の中でぴょんぴょん飛んだり跳ねたりと無理やりにでも動くことで、気分を落ち着かせました。


13:30 いざ手術へ

ちょうど予定通りの13時半頃、ついに看護師さんから声がかかりました。

手術ではコンタクトNGなので、眼鏡とケースを持って看護師さんの案内で歩いて手術室のフロアへ。
手術室の自動ドアを通ってすぐのところで、名前と生年月日、何の手術を受けるかを改めて確認されて答えました。
そこで持ってきていた眼鏡とケースを看護師さんに預けました。(手術を終えて部屋へ戻ったときにすぐ手の届く場所に置いてくれるようにお願いしていたので、実際手術後とても助かりました・・・)

いざ手術台のある部屋に入ると、ドラマで見るような光景そのものでした。
少しびっくりしたのは、陽気なJ-POPが大音量で流されていたことで、普段特に気にも留めていない音楽でしたが、ギラッギラに明るいイメージのその曲が私の緊張緩和にも一役買ってくれたような気がします。


手術台に横たわると、意外と幅が細くて少し驚きました。
先生や看護師さんが両側から覗き込むようにして、準備に取り掛かります。

そして、準備中に麻酔科の先生から「当初予定していた硬膜外麻酔は使わない」ということを聞かされました。

これまで自分より前に手術を受けられた方の多くから硬膜外麻酔を使ったという話を聞いており、その麻酔が術後の痛みを助けてくれるものというイメージが強くあったので思わずうろたえ、「硬膜外麻酔を使わない場合って、痛みに違いはだいぶありますか?」と聞くと、

「硬膜外麻酔に比べると、痛みは感じやすいかもしれないです。」
「ただ、硬膜外麻酔は痛みに対する効果が大きいけど副作用のリスクもあって、今回は安全性も考えて使わないことになりました。」
と、先生のお答え。


どうしよう、私でも耐えられるのかなあ・・・と不安になりながらも、このとき思い出したのは、元タカラジェンヌで同じ手術を受けられた理絵さんのブログ

ちょうどこの日の朝に読んでいたのですが、そのときは「硬膜外麻酔を使わないパターンもあるんだなあ」と、どこか他人事のように思っていたら、まさかの手術台の上で同じケースになるとは。
幸いそのブログでは、その方の経過が写真や文字で丁寧にかつ明るく綴られていたことを思い出し、手術台の上で急に硬膜外麻酔なしを宣言された私にとっても、背中を押されるようで安心した気持ちになりました。

そしていざ、初めての全身麻酔。

数字を数えていて途中で意識が遠のくとか、徐々に天井やライトを見ていた視界がぼやけていくとか、そんなイメージをしていましたが、本当に予兆なく眠ったようで全く記憶にありません。
先生から「数字数えてみて」の一声でもあれば、あと数秒・・・と思いながら多少意識もできたかもしれませんが、全く何も察することもなく意識がなくなっていたようでした。

長い手術と目が覚めた夕方

寝ている自分の両脇にぼんやりと人影が動いているような感覚があって、ぼんやりと目を覚ましました。おそらく17時半頃だったと思います。
主治医の先生の声かけが最初にあったと思いますが、意識がまだぼんやりしていたのか、話した内容や受け答えなどほとんど記憶にありません。
一番お世話になっているはずなのに、今思えばとても薄情ですね・・・仕方ないのかもしれませんが。

少しずつ頭が働き出した頃に、「麻酔がかかった直後に喘息の大発作を起こして大変でしたよ。」と麻酔科の先生から話があり、そのため手術も予定より遅くなり、全体を通して長く時間がかかったのだとか。
その後に呼吸器内科の先生からも優しい声かけがありました。(このあたりもまだ多少ぼんやりしていて、細かく言葉を覚えていないのが悲しいです。)

なんだか自分の知らないところで、自分の体が一時大変な状態になっていて、病院の先生方が必死で動いてくれていたという事実に驚きながらも、まだ十分に頭が回転していない状況と一切発作が出ていない今の自分の状況からしても、どこか信じがたいような気持ちでいました。

その後、母の声かけに応じていると急に吐き気が襲ってきて、用意してもらった器に少しだけ嘔吐しました。
そのとき少し口をゆすがせてもらいましたが、喉のイガイガ・チクチクなどの不快感に気づき、水が飲みたくて仕方がなかったのですが、看護師さんに「20時半くらいまでは水分補給はNG」と言われました。
ここからの水分解禁までの道のりはとてつもなく長く感じました・・・

少しだけ気持ち悪さが落ち着いてから、喉の違和感で上手く声は出なかったですが、少し母と話しました。
麻酔から目覚めた後のことで、はっきり覚えていることはとても少ないですが、母と話したときの気持ちの解れるような安心感はいまだに強く覚えています。
▼ 母がこっそり撮っていた、術後戻ってきたばかりの私の様子です。
なぜか柵を掴みながら寝ています。

母と少し話した後、母が自分のスマホで私の婚約者にも電話をかけてくれました。
会話の内容はまったく覚えていないし、少しの時間ではありましたが彼と話せて安心しました。
私の手術前の半年間の不安をいつも支えてくれていたのが彼だったので、電話口の第一声でまずホッとし、無事手術を終えられて本当に良かったと心から思いました。


18時ごろに母が帰って行きました。
コロナ渦の手術だったこともあり、基本は入院期間中は面会禁止の例外として手術当日に限り術後まで少し面会の配慮がありましたが、それも時間の制限が設けられていて、励ましの言葉をかけながらも心配げな表情の母を見送りました。


母が帰ったばかりの18時ごろにはtwitterにこんな投稿をしていました。

実際、目が覚めてこのくらいの時間までは、「意外と手術した下腹部の痛みも全然ないし大丈夫かも?」なんて気楽に考えていましたが、ここから地味に長い夜が始まるのでした。

眠れない一人きりの夜

そこからは、寝たり起きたりの繰り返しを15分間隔くらいで繰り返していました。
ただ言葉で簡単に「寝たり起きたり」と言ってしまえば、辛さも上手く伝わらないのですが、足には弾性ストッキングとフットポンプがつけられ、左親指にはパルスオキシメーター、左手首に点滴、胸元には心電図がつけられていて身動きが取れず寝返りもできない状況なので、身体中の不自由さがストレスだったのか少し寝れてもすぐに目が覚めてしまっていました。

そして、目が覚めているときには吐き気が喉と胸元の境のあたりで定期的にこみ上げてきていたのですが、真上を向いて寝ていると余計に気持ちが悪くて、横を向きたくても体の拘束があって大変でした。
また、何より体勢を変えるには手術したばかりのお腹にも必然的に力が加わるので、恐る恐るベッド脇の柵を掴んで体を寄せたりと、術後すぐの「眠れない・話せない・起き上がれない・水も飲めない」不自由だらけの時間は、ベッドの上でモゾモゾと動いていただけの地味に苦しく長いものでした。

20時が過ぎた頃、部屋に様子を見行きていた看護師さんに「お水はもう飲めますか」「今何時ですか」とかすれた声で必死で質問し、「あと30分で飲めますからね」と言われてからの30分は、2時間くらい待っていたかのような体感時間でした。
そんな長いお預けを経て、20時半ぴったりに看護師さんが持ってきてくれた小さな紙コップに入った冷たいお水は、間違いなくこの夏で一番美味しい飲み物でした。


お水が解禁になってからは、あらかじめ冷蔵庫に準備しておいたストローのキャップをつけたお水を看護師さんに持ってきてもらい、寝たままでも水分補給ができるのが救いでしたが、眠れないのは相変わらずでした。

22時過ぎに彼がもう一度電話をくれて、また少しだけ話しました。
声は上手く出ないものの、眠れずにいた一人の時間に安心できる人と話せたことが何より救いで嬉しかったです。個室で本当に良かったとも思いました。
15分くらい話したところで急に吐き気がこみ上げてきて、「看護師さん呼んで薬もらったら?」と背中を押してもらい、電話を切ってすぐナースコールをプッシュ。

「すぐ薬持って行きまーす」との看護師さんの声のあと、

5分経過・・・
「忙しいのかな?」

10分経過・・・
「もう一回押そうかな?」

15分経過・・・
「さすがに忘れられてる?」
もう一回ポチッ

2回目のプッシュの後はすぐにきてもらえて、さっそく薬を飲みました。
(この後の入院生活でだんだん気づいてはいくことになるのですが、気を遣いすぎたみたいでした。)
薬の効果は即効というものではなく、ゆるやかに眠れないまま日付が変わっていて、苦しい術後の夜にいろんな考えを巡らせながら過ごしました。

「自分の体が不自由で身軽に動けないうちは、自力で難しいことはお願いして力を借りよう。」

「でも、できるだけ頼りきりにはならず、自分で乗り越える力をつけよう。」

「そのためにも、先生や看護師さんにアドバイスをたくさんもらおう。」

と、これからの入院生活のスタンスを心に決めながら深夜2時ごろ、ようやく眠ることができるのでした。


٭ 余談
翌日、起床して飲んだお茶に書かれていた川柳。
眠れかったこの夜を思い出して一人で笑いました。

✏︎ ... ____ ____ ____ ____ ____

次回は入院生活編です。
マイペースな更新ではありますが、是非続きをお待ちください。


みのるん
▶︎ twitter @mminom1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?