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議論は終わるべきでない ①~森喜朗会長の発言について~

2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会での森喜朗会長の「女性蔑視」発言が大きな問題となり批判が広がっている。

そして翌日4日、森会長はこの発言について会見を開き、発言の「撤回」と「謝罪」をしている。

この発言について、怒りとも何とも形容できない感情がどうにもおさまらないので、森会長の発言について今一度考えて、ここに書きたいと思います。

書き始める前に言いたい3つのこと:

1)ジェンダー問題は「女性」だけが考える問題でも、「意識が高い」人だけが考えるものでもなく、すべての人が考えるべき問題であること。

2)それは、ジェンダーや性別に関わらず、すべての人が毎日の生活の中で、何かしらの形でジェンダー規範の形成に加担し、ジェンダー問題に関わっているから。

3)私がこうやって書くのは私のジェンダーや性別が理由ではなく、声を上げるべきだと思ったから、ということ。

*この問題は日本社会の男女二元論をもとにした議論なので、便宜上「男性」「女性」という言葉を使っています。
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森会長の「女性蔑視」発言の内容

最初に、森会長の問題となった発言を見ていこう。

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。      
(中略)
私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。       
     –日刊スポーツ『森会長「私が悪口を言ったと書かれる」/発言全文2』

これが問題になった発言の内容。

ひとつずつ問題点を掘り下げていきたい。

①「女性理事が多くいる理事会」

そもそも、女性理事が4割の理事会は女性が多いのだろうか?男性理事の方が多いのではないか?そして、未だに女性理事4割に達していないのだから、現状として男性理事が理事会の大半を占めている。しかし、それに対して「男性がたくさんいる」と疑問視していない様子がこの発言から見て取れる。

それはなぜか?なぜなら、森会長にとって、そして日本社会において未だに男性は「ふつう」の性だから。「ふつう」でない性が増えるとその性ばかりが注目される。

②「女性は競争意識が強いから、発言したがる。」

まず本来、競争意識にジェンダーも性別も関係がない。「〇〇性だから」競争意識が高い、とかそういうことではない。女性の中には競争意識が高い人もいる、そうでない人もいる。それはどのジェンダーでも同様のはずだ。

そして、なぜ理事会で「発言したがる」のか。それはより良いオリンピックにしたいから。

しかしここで注目すべきは、日本が男性中心社会であるということ。男性があらゆる機会にアクセスしやすいように、男性により多くの特権が与えられるように、男性がより生きやすいように社会ができている。

「いや、自分はそんなことなかった」という方、あなた個人の話をしているのではなく、社会全体がそうできているということだ。

不平等

そして男性中心社会では、女性は女性というだけで不利な立場に置かれることが多い。女性の声は届きにくくなる。男性中心社会では、女性がひとりの人間として能力を認められるには、声を届かせるには、男性以上の努力が必要となってくるはずだ。「男性以上に頑張らなくては。」「かき消されないように声を上げなければ。」という女性の努力を「競争意識」と形容するのであれば、それは社会がそういう状況を作り出しているということを忘れてはいけないと思う。

女性の発言が「多い」と感じるのは、男性を「ふつう」と見ているからでは?現在の男性中心の理事会で主に発言しているのは誰か?それは男性理事だろう。なぜそれは「男性は発言が多い」という認識にならないのか。

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              ......なぜなら、それが「ふつう」だから。

③「女性の数を増やすのなら、時間を規制すべきである。」

「森会長、あなたはジェンダー平等の意味が分かっていますか?」と問いたい。

ジェンダー平等(*日本では基本的に"男女平等"が使われるので"男女平等"という言葉を使わせてね)というのは、単に男女の人数比を等しくすればいいという問題ではない。人数比が等しくて平等が達成できるのであれば、日本社会はとっくに男女平等が達成されていることになる。

男女平等というのは、男女関係なく発言の権利、機会を得る権利、正しく表象される権利が与えられるということ。そして権利がどんな時も守られるということ。これを理解せずに、ただ女性理事の数を増やすというのはただ女性を「お飾り」としか思っていないということではないだろうか。

見せかけの男女平等は男女平等とは呼ばない。それは不平等である。

④「"多く"発言しない女性はわきまえている。」

「多く」発言しない女性、「長く」話さない女性は、わきまえている..?

そうではないだろう。

抑圧的な男性中心社会を「ふつう」として目をつぶり、「発言の少ない女性像=あるべき女性像」として勝手にイメージをつくりだし、押し付け、その勝手な像を根拠にそれに合わない女性を非難しているのである。

つまり男性中心社会の中で、それに対抗しその中で生き延びようとする女性を「わきまえない女性=道理を心得ない女性」として排除しようとすることであり、要するに、男性中心社会を「男性だけのものにしたい」という身勝手で抑圧的な空想のあらわれではないだろうか。

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森会長の発言を聞いてその場で笑った方々、その場の雰囲気に合わせて笑ったのか、面白いと思って笑ったのか。その真意は知らないが、これは面白くもなんともない。

あなた方が笑った瞬間、何人の人を傷つけましたか?


また長くなったので第2弾に続きを書きます!

森会長の「謝罪」会見のこと、オリンピック精神との矛盾、日本のジェンダー問題についてなどなど。









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