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広島原爆ドームとオッペンハイマー※多少ネタバレあり

映画『オッペンハイマー』を観てきました。

やはり日本人としては複雑な気持ちになるかもな。という内容でした。
年齢でも違うのかも知れませんが。
何が『京都はハネムーンで行ったところだから候補から外しといたよ。いい街だ』じゃないんだよ。ヘラヘラすんな!とか思いながら実際そうやって決めたのか?原爆落とす場所。って思ったらハラワタが軽く沸騰してきて、よくもと思いながら、敗戦国の民として自分は今まで苦労して・・とか思いはじめるものの自分が生まれたのは1982年。むしろ平和な時代に生まれてよかったなぁと気楽に思うぐらいの人間である。
でも映画『オッペンハイマー』をみると何故か胸糞が悪くて。
先祖を通じて遺伝子レベルで腹が立っているのか。

今日本が平和なのは原爆投下があったからなのか?
この先も日本は平和なのか?
世界のどこかで同じあやまちが繰り返されるのか?





広島の平和記念公園行ってきました。

まずは原爆ドームをみて。




上空600メートルでさく裂?爆発?したとの事。


なんとも言えない気分になる。
海外の方もたくさんみえていた。


そして広島平和記念資料館へ。
ここには写真や絵で当時の状況がわかる資料が展示されている。

前情報などで覚悟はしていましたが、
内容はとても悲惨でリアルなものでした。

丸焦げの人たちが映る写真。
皮膚がただれていたり体が炭化してしまっているような写真。
目が飛びだした状態で死んでしまっている人の写真。
原爆が投下された以降で全身に斑点がでて死んでいった人の写真。

これはどれも生々しい戦争を描写した戦争映画でも、
観たことのない人間の姿でした。

原爆の被害はやはり戦争の被害なのだけど、
それともう一つ別枠でも話をしていかないと、
戦争の話でしょ?と片付けていい話ではないんじゃないかなと思わされました。


やはり映画『オッペンハイマー』の原爆描写。
あれでは足りてないんじゃないか?

オッペンハイマーが演説をしていると、
聴衆者の人が強い光があたり皮膚がめくれだす。
そしてオッペンハイマーが自分がやったことに追い詰められていく。


あんな描写で原爆は再現できていない。
原爆の表現だなと伝わりはすると思う。
でもあれでは間違った伝わり方をしてしまう。

あんなもんじゃない。
資料館内は順路を進めば進む程、
どの国の人も共通でどんよりとした空気になっていく。どんな大人でもダメージを受けるだろう。


それなのに映画は後半、責任転嫁へと発展していく。


ふざけんじゃない。


と今書きながら沸々と。




と戦後37年後に生まれた自分でもこれくらいの感情が原爆に対して湧き上がった。



良い映画なのかもな、
と。



間違いなく核兵器はこれからも人々を脅かす。
せめて自分たちが何に怯えているのかくらいは知っておいて何としても同じ被害をどの人種に対しても与えてはいけないということをみんなで考えるべきたと思いました。


唯一の被爆国。
日本が出来ることはすごくあるのではと思ったし、
ずっと発信していかないといけない事だと思いました。


色々な国の人がたくさん広島平和記念公園に訪れていて、世界平和の可能性を感じました。




次回『セルアウトがかならずしもナンパではない』です。

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