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短編小説「春の夕方」
胸が痛む、というのは、本当に胸が痛むわけではない。ただの表現のひとつだ。わたしの胸はちっとも痛んでなんかいない。
ベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を見ながら、栞はそう思った。
胸が痛くて、痛くて、病院に行って先生に診てもらって、ああこれはひどく痛かったでしょう、かわいそうに、なんて哀れんでもらえるならよっぽどよかった。
胸は痛くないのに、胸のあたりからおなかの奥までが、まるで空洞のようで、その空っぽの中で何か嫌なものがうごめいているのを感じる。
時々それは、喉の方までやってきて、声にならない声になる。
遠くから、5時を告げる音楽が響いてきて、栞の小さな部屋にも、ゆっくりと夕闇が忍び寄り始めた。春の昼間は天国のように朗らかで、優しく、陽気なのに、春の夕方は、“胸が痛む”ほど、切ない。
あんなこと、言うんじゃなかった。
栞の中をうごめいていた何かは、喉を震わせ、微かな嗚咽になった。
涙があふれ、部屋はゆっくりと、夕闇に包まれ始める。
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