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志高くあれ

 高校1年生のとき、担任の先生が1学期の通知表のコメント欄に書いた一言だ。その当時は、全く意味が分からなかった。恐らく全員同じ言葉だったのだろうと推測する。寧ろ、私のどのあたりを見て、志が低いのだと高を括っていた。ようするに、自惚れていたのかもしれない。しかし、ひすいこたろう著『人生最後の日にガッツポーズして死ねるたった一つの生き方』を筆頭に本を読み続けることで、偉人の在り方を垣間見るようになり、ようやく今頃になって“志”の大切さが分かってきた。この本は、今年の一押しと呼べるほど、我が心に突き刺さった。
 ところで、「使命」をどういう意味で捉えているか。生涯を通して、あなた自身の命を使うことである。では、あなたの命を何のために使うのか。これを自問してみてほしい。志が低く、文句ばかり言って何の努力もしていない生き方をしていたら、魂は磨かれず、魅力のない人であれば、その命を何に生かすことができよう。果たして、それでよいのか。熱・意気・ガリの精神で学んでいる須坂高校生が、それで満足か。これからの人生は、誰かに何かを与えてもらえるのではなく、何かを与えていかねばならない。待っていても何も起きない。そういう意味で、名の知れた“侍”の生き方は凄まじい。
 最近教えてもらった『High Hopes』という歌の中に、“Light up your wildest dreams!”という言葉が出てくる。「夢や目標を持とう」とは、小さい頃から言われているし、私も口を酸っぱくして言ってきた方だが、最近思うのは決して夢や目標を持っていなくてもいいということだ。わざわざ探そうと思って見つけるものでもない。さらに、目標を掲げることで達成したように勘違いしては元も子もない。如何に、それに一所懸命に立ち向かえるかが大切なのだと思う。無論、夢を持っていることは素晴らしいと思う。そして、どんなことでも目の前のことにあるものに一所懸命な人は輝いてみえる。
 テレビ『ドラゴン桜2』第4話を観て、考えさせられた。親は確かに子どもができる、できないという判断や、将来どうなってほしいという期待やらは心のどこかで思う節がある。敢えて言うなら、過去に縛られて、できる、できないと判断したり、この先が不安になって、控えめになったりするのは紛れもなく「自分」だと思う。勿論、不安になったり、迷ったり、悩んだりすることは間違っていない。誰しも初めて生きているのだから、不安に思うのは当然。自然で必然的な「流れ」の中で起きていることは、すべて紛れもなく「事実」だと受け止めることである。「今、不安になっているな」と思うだけでいい。敢えて消し去ろうとしなくていい。どんなことも体験しているのは自分なのであり、すべて自分が望んで起こっていることなのだから、そのまま受け止めればいい。
 先日の授業において、ジェームズ・アレン著『心を新たにする365日の言葉』から、「あなたの目標への歩みを妨害することができるのは、あなたのみである」を読み上げた。たとえば、勉強ができないのは誰のせいか。勿論、自分のせいだ。ということは、あなたが何かを達成したければ、周りの人に惑わされることなく、自分の“志”を信じて、邁進するしかない。

2021.7.9

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