見出し画像

フェミニスト

精神的に病み気味だと、当然、それに類した言葉ばかり浮かぶが、それをそのまま垂れ流すのは、たとえ「ブログ」であったとしてもよろしくないという思いがある。単純にダセえ。
だから、これで一区切りにする。
一連の気持ちの中で、最もトんがっていただろう言葉。

「女性に生まれずに済んでよかった一番の理由は『フェミニスト』にならずに済んだことだな」

——そう、「つぶや」いて終わろうと思っていた。
だが、「140文字」(制限文字数)から零れた文字を、収め切れなかったので、もう少しだけ書く。

この「(ほぼ)つぶやき」に対し、異論や反論、意見表明、批判が、仮にあったとしても応える——だから、書いている。
ただの「つぶやき(予定だった)」であったとしても、だから、書いてる。

特別に煽っているつもりはなく、意見交換したいという人間が現れたら、その後ラリーが続いても「別にいいや」と思っている。

ただ、現実に、そんな適当な人間はあまりいないようで、「メール」が届くことはない。「コメント欄」を開設したくても出来ないので、やりとりにはならない。
だから、キレの悪いびち糞みたいな文章になるが、補足の説明。

まず、自分は男性なので、「男性がフェミニストになる」という観点から、冒頭の感想が漏れている。
だから、「女性の立場でフェミニストになる」ということとは違うかもしれない。いや、違うだろう。
ただ、この場合、正確に言うのなら、“違うかもしれないし、違わないかもしれない”ということになる。

自分は「女性」ではないので、「女性の立場(からの気持ち)」が、100%はわからない。
100%わかっているというのは驕りなわけで、「男性の気持ち」が100%わかっているかと言えば、また当然それも100%(100万人中100万人)ではないのだが、でも、「女性」との間で線を引けるくらいにはわかる——と、確信している。
その上で、「男性フェミニスト」は「男性」=“俺”からすると、楽な生き方。

きつい言い方をすると、「楽な方に“逃げた”生き方」をしている。
果たして、「男性」として「女性」に向き合ったならその生き方になるのかな——?

そんな感覚がある。
そして、自分が「女性」だったら、より“フェミニズム”に傾倒しやすいマインドになっていたのではないかと想像する。

だから、正直、矛盾点はあるのだが、“男性からの目線で、フェミニズムに傾倒しやすい女性に生まれなくてよかった”という気持ちになる——最近、なった瞬間があった。

また、一口に「フェミニスト」「フェミニズム」と言っても濃淡は、相当にあるのだと思う。
感受性の強い人は大きく誤解していそうなので、断りも入れておくと、「フェミニスト」の言い分通り、世の中そうなっていた方が良いと思う考えも普通にある。
だが、より先鋭的な人になると、そこからズレが拡がっていってしまうという印象。

その中で、あえてそんな“尖鋭的な人たち”をイメージしてもたらされた感想ではあるのだが、「フェミニスト」が望むことが100%叶えられた世界は、“聖人(セイント)と社会不適合者の格差が開いた世界”になってしまうように思える。
そして、それを「男性」が推進しているというのが——。

率直に言い、自分は「聖人(セイント)」として生きていく自信が無い。
明らかに「社会不適合者」なのに、その輪郭がより一層濃くなる。

「いっそのこと産まれた瞬間から去勢を義務化して試験管ベイビーでやっていこうや」

と、極論で息継ぎしたくなる。

——なんていう戯れ言を、いちいち言おうとは思っていなかったので、「つぶや」こうと思っていた。肩が凝る。やっぱり単純にダセえ。「ブログ」としての彩りがない。

ついでに。
自分は、「友達」も「恋人(ガールフレンド、セックスフレンドも含む)」もいないが、寛容的であろうと努めている。
ただ、世の中、本当に「寛容性」を求めているのだろうかと疑問に感じる。
単純に、「仲間」が欲しいだけなのではないか——と、気持ちが濁る。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?