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サブカル大蔵経769柳田国男『葬送習俗事典』(河出文庫)

教義よりも大事な言い伝え。

五来重さん以来途絶えていたが、最近少しづつ仏教民俗学の本が出版されてきていると思います。

本書で柳田国男が記載した葬儀に関することも、遠い昔のことの出来事のような。

ということは、今やっていることも10年先はすっかり消え失せてしまうのだろうか。

廃絶と継続。記憶は本の中にしかない。

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【二人使い】一人で行くと死人が後からついて来る。p.18

 近隣の住職の葬儀の手伝いを頼まれた時に、その寺の総代さんと私のコンビで仲間のお寺を一軒ずつ廻って、出勤案内を渡しました。あの時はなぜ二人でと思いましたが、続いている風習だったんだ…。

【オカツゴ】白米二升を携えて檀那寺へ、死者の案内と葬儀の日取りとを告げに行く。(能登の鹿島)p.23

 この時の米をオカツゴというそうです。今はほとんど電話ですが、たまに直接いらしてくれる方もいますね。4年ほど前、北海道全域が停電だった時もそうでした。

【死弁当】善光寺へ参りに行く弁当。(伊予北宇和郡)p.35

 枕飯。とりあえず死後は善光寺。

【耳塞ぎ餅】知人同年の者死去の場合に、白餅を買い求めてこれを我が耳に当てて後、屋根の上に投げ入れる。(伊勢の神都)p.49

 同級生の死は耳に入れたくないのか。

【骨咬み】葬式の日に喪家のご馳走なる事(肥前五島)p.58

 骨しゃぶるとも言うらしい。ハイエナ。

【火の飯】死者の血族だけに別火の食事をさせる。/「ヒ」とは「忌」のことである。故に死亡の通知をも「ヒを告ぐる」という。(壱岐)p.64

 火の峻別。〈ヒ〉は半村良を想起させる。

【紙花(シカバナ)】男鹿半島でも人が死ぬと即時に親戚の者が集まって白紙でシュカバナを作りp.73

 全国区。いろいろな寺葬の手伝いをさせてもらいましたが、シカバナはいつも謎でした。他はほぼ業者から取り寄せるのに、これは自分たちで作るみたいな。

【孫を抱かせる】伯耆の西伯郡大高村では、入棺には或いは蓑を着せ笠を入れる他に、人形をも入れる。藁製で顔に紙を貼り、目と鼻を書き、紙の衣を着せたものである。p.87

 ヒトガタ。お供え。人身御供。殉死。

【泣女(ナキメ)】一つの儀礼形式として哀泣することが必要であったらしい。それが島や海辺の村、ことに南方に多く残っていることは注意さるべきであろう。p.116

 エキゾチック。泣くことの重要性。

【諷経フギン】嫁婿養子など他家から迎えられている者は必ず実家方の檀那寺の住職を招待して参列せしめるが、これをフゲンと謂う(能登鹿島郡)p.121

 私の地域でも、10年前までは諷経も頼むことも呼ばれることもしょっちゅうでしたが、この二、三年でゼロになりました。

【参り墓(マイリバカ)】大阪府豊能郡田尻村では、イケ墓に対するものを参り墓と称し、家近くに戸毎または二三軒毎にあり、石碑はここに建てられている。p.162

 バリ島もたしか、お骨は海に撒いて、家の敷地に祀り墓を建てていました。

【四十九餅】羽後の大曲などでは四十九日の餅を取りに来て下さいと、親戚近隣へ使いを出すことになっているそうである。p.208

 私はほとんどお供えのやり方はおまかせなのですが、法事の時のお餅だけはお供えするようお願いしています。なぜなのか自分でもわかりません。

【とい上げの餅】対馬の阿連では三十三年を最終年回とす。施主がテアゲノ餅というのを作って供える。これがすむと位牌を寺に納めて、もう祀ることをしない。p.224

 区切りをつけるんですね。こちらがしなければならないことは終わったということなのでしょうか。高知のお寺に行ったら、カレンダーに200回忌まで書いてありました。

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