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サブカル大蔵経1004長田弘『読書からはじまる』『すべてきみに宛てた手紙』(ともにちくま文庫)


「本の文化」を深くしてきたものは、読まない本をどれだけ持っているかということです。p.9

読書エッセイなのに読まないことの意義。

読書のためにいちばん必要なのが何かと言えば、それは椅子です。p.40

読み漁ろうとするこちらを、その言葉で、やんわりとたしなめてくれる。

逆説かつ根源的な言葉で、こちらの発想が転換されていく。

なぜか初めて長田さんが偉そうに思えた。

ことごとく「正しい」から悔しくなっているのだろうか。

本に関するエッセイのひとつの到達点か。

本を読むということは、その内容や考えを検索し、要約するというようなこととはちがいます。p.7

いきなりこの二年間noteでしてきたことを全否定されたようで、びくっとしました。
でも、YouTubeで見かける「書籍の要約」というのが、何か「ずれている」と感じていたので、的を得た言葉だと思いました。

読んで忘れた本に再読のチャンスを自分であたえること、p.34

そしてすぐこのnoteでしてきたことを全肯定してくれました。

また、本書は章ごとの小見出しがひとつの詩篇になっているように思うのですが、この項の【再読は友情の証】(p.32)が立ち読みで目に入った時、その言葉を手に入れるために、購入を決意いたしました。

まず言葉があって、自分があって、そして人がいる。/人の表情は言葉のかたちをもたない言葉です。p.144.154

人は、言葉でできているが、言葉にならない言葉も携えている両義性。

言葉で言えない、かたちはとりにくいけれども、はっきりそこにあると感じられる問題というものを、一つずつ自分の心のなかに発見してゆくということが、ひとが成長すること、歳をとるということだろうというふうに、わたしは思っています。p.185

昨年父が亡くなってから、このようなことを感じていました。言葉に出会えました。

そして、もう一冊、長田さんの言葉を浴びたくなりました。

はじまりというのは、何かをはじめるということよりも、つねに何かをやめるということが、いつも何かのはじまりだと思えるからです。p.9

この二年間毎日、noteを埋めてきて、ひと段落した今の心境でもあります。

ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。p.10

やったこと、達成したことが溢れているSNSや講演を見ると、何か違和感を感じるのも、そういうことなのか。
達成という悲しみと、諦めという出発。

記憶が果たすことというのは、「覚えている」ということではなく、みずから「見つけだす」ということです。p.61

この言葉、最近法話で引用しています。命日や法事とは、これが目的なのでは。

戦争の言葉は、三つあります。戦争前と、戦争の間と、戦争後の言葉です。
戦争前の言葉は自己本位を正当化し、意味づけと栄光を求めます。
しかし戦争になるや、言葉は意味を失います。いったん戦争が始まれば、そこにはもう、倒すべき「敵」しか存在しません。p.138

国際状況であり自分自身のことでもある。そして戦争後の言葉は、戦争は解決という正当化。勝者と敗者で真逆になると。

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