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サブカル大蔵経129 大隅和雄『日本の文化と思想』(放送大学教育振興会)

日本の文化、カルチャーとは。仏教から西洋まで広く日本の文化のあけぼのを陳述してくれる放送大学テキスト。なんでも源流は知ると面白い。が、見てきたような描写の引用がおおく、どこまで本当なのかよくわからない。

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欧米の文化と言う言葉は、耕すと言う言葉とつながりのある言葉で、英語で言えばカルチャーと言う言葉を文化と訳したわけである。p.10

 文化は耕す。釈尊は人の心を耕すと言ったらしいが…。

基層と外来。稲作文化を日本固有の文化と考えたが、歴史考古学の研究が進むにつれて、それが外来文化であることが明らかになってきた。p.13

 イネも外来。古来・源流とは何かを証明するのは難しく、考えすぎると平田篤胤みたいに面白くなるのかなあ。

日本に伝えられた仏教は、釈迦がインドで説いた時から1000年と言う長い年月を経て様々な民族の間で受け継がれてきたものであった。p.25

 受け継いだのは民衆なんだよなぁ。

日本に伝えられた仏教は、西域に伝えられて変化した仏教が、高度な文化を持つ中国で中国人の仏教として整えられ、さらに百済や高句麗に伝えられて、150年後の間に百済や高句麗の仏教として変化したものであった。p.28

 中国由来ではなく、朝鮮半島由来。

寺院は教学の研鑽を欠かせなかった。初めに成立した学派は三論宗である。龍樹の中論一二門論百論が、鳩摩羅什により5世紀初頭長安で漢訳して以来、盛んに研究されるようになった。日本は高句麗の慧灌によって伝えられた。唯識の法相宗、倶舎論の倶舎宗。華厳宗、律宗、成実宗。南都六宗。p.30

 龍樹が最初の日本仏教。それを忘れた今の日本仏教かな?

宗は北方民族に圧迫されていたため、鎌倉時代の半ば以降相次いで禅僧が来日した。p.54

 この観点は初めて知りました。

平安時代後期には芸能を演ずる人々が大挙して都に流れ込んで歌い踊り狂うことがしばしば起こり、不安定な状態に陥っていた人々に衝撃を与えることも多かった。p.67

 踊ることの不安。踊れない…人ほど、踊った時の解放感はすごいのかも。

宮廷と寺社の芸能は、様々な行事の中に組み込まれ、仏菩薩の面と装束をつけて、幻想的な仏の世界を見出させ、人々の間を練り歩く行道、様々な仮装行列を繰り出して慣習を楽しませる風流などが盛んになった。他方漂泊の芸能者等が集まるようになると境内の広場の門前に舞台桟敷を作って勧進興行にしようとし演目にも様々な工夫が加えられるようになった。踊りと曲芸、歌謡と語り物、操り人形、物真似など様々な芸能が人々を集めたが、田植歌と田の神をもてなす芸能から発達した田楽は、歌と踊りを集成した芸能として大きな流れになり、巧みなものまねで観衆を湧かせる猿楽も趣向を凝らして得意の演題を持つようになってもう1つの流れを形成していた。これが能につながっていく。p.67

 寺こそ芸の舞台。興行の原点。

ペリー来航当時幕府の中で英語に通じていたのは堀達之助1人と言う状態だった。p.99

 蘭学とロシア語はいたが…

日本史教科書を編述したのは考古学者たちだった。p.111

 考古学の存在感。

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