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サブカル大蔵経342中村桂子『ゲノムが語る生命』(集英社新書)

16年前に発刊された本書を再読してみて、昨今のコロナと学術会議問題が繋がっていることを予見されていたような…。

生命科学研究の世界も今や研究成果を科学技術として活用し、薬の開発などにつなげて経済の活性化に役立たせることが最大の目標のようになりつつあり、しかもそこでの経済とは、まさに金融経済であることを考えると、「人間は生き物です」ではなく「人体は株価を上げる宝の入ったお蔵です」ということが当たり前になりかねないという気がするのです。p.8

 この危惧が、えげつないくらいに現実化したのが今の社会かも。

DNAが次のDNAを作るときには必ずどこかで間違えます。間違っても生きていますよとメッセージが失われない形で間違えられるからこそ38億年もの間続いてきたんです。それは、生きていると言う表現が多様な形を取りえるからです。もしこれがとても制限されていて、こうなったらもう生きられない、あれではだめだとなっていたら、こんなに長い間生き物が続くことはできなかったでしょう。p.206

 遺伝子も間違える。間違っても生きていける。それが生命の歴史。大事な言葉だと思いました。

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いろいろな分野の人の考えが「重な」り、それが「生命」を基本にする方向を示すものになっていくことを願っています。p.10

 医療と他分野の学際的志向。そこには現場の看護師や介護士の声も取り入れるべきだと思います。

現代生物学は、地球上の生物はすべて細胞でできており、その中にあるDNAという物質を基本にして生きているという共通点を明らかにしました。これは、生き物はすべて38億年ほど前に生まれた祖先を共有する仲間であると言うことを意味します。/生き物すべての共通な物語が生まれます。そしてそこから人間を考えたい。p.26.236

 冒頭と末尾に語られるゲノムストーリー

ヒトゲノム解析終了後は、研究の終了は生命という視点から離れ、人間を医療と言う記述の対象として見ると言う方向にぐんぐん進んでいます。ゲノム研究を中心にした生命科学研究は、科学技術と経済に吸収されつつあり、このままでは生命を基本にする「知」が生まれ、それを基盤にした社会になるという期待は吹き飛ばされそうです。p.30

 経済至上主義、ここにも登場。ゲノムは医療のひとつのメインになり、さらに経済産業と結びつこうとしています。

生物学が医学、そして医療と直結したと言うことです。これは別の表現をすれば科学技術化したと言うことです。生命とは何かなどのんびりしたことを言っていたのでは弾き飛ばされます(具体的には研究費が得られません)。どう役に立つか。それが研究を評価する判断基準になりました。p.59

 理想と現実。研究とカネの関係。

病気の遺伝子は無い。がん遺伝子は本来細胞の中にある正常な遺伝子の暗号がたった1つ変化しただけのものであることがわかったのです。本来それらはがんのためにあるものではなく通常の細胞増殖を適切に進める働きを持つ遺伝子群の1つです。p.88

 病気とはその因子は本体を病気にしようと働いているわけではない。ウイルスも同じことかもしれない。これ、人間関係や仕事にも適用できる格言では?

現代社会はあらゆることを細分化して成果を上げてきましたが、分けてしまうと"生きる"ということは消えてしまいます。p.107

 科学の世紀から博物と知恵に戻るかなと思い、ずっと話し続けています。

1834年イギリスでが自然哲学者と言う名前を科学者としたのです。それまでは哲学と言う言葉の中に組み込まれていた科学の独立宣言といえます。p.124

 哲学の中の科学。

istはerに比べると狭い。p.125

 専門家と非専門家の対立の問題。コロナ禍でも浮かび上がる専門家と非専門家の関係。対立ではなく協力できないのかな…。

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