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「コミュ力」とは、人を楽しませられることではなく、人を不快にさせない気遣いのことなのだと気がついた。

今さらながら、「コミュ障」の定義が分からなくなってきました。

というのも、私、長年「スーパーコミュ障」を名乗っておりましてですね。
コミュ障をネタにしたnoteもたくさん書いてきました。

私自身、自分のことを「コミュ障」だと信じて疑っていないのですが、周りからは「え、どこが????」とわりとガチでいわれます。

「全然見えないよ、嘘だろ」って。

嘘をついているつもりはないものの、どこに行っても「全然コミュ障ちゃうやん」といわれるので、そもそもなぜ私が自分のことをコミュ障だと感じているのか、考えてみました。

①会話を広げられないから
②初対面の人に話しかけられないから
③余計な言っちゃわないか心配すぎて、緊張がヤバいから

ザックリと書き出すと、こんな感じ。

会話のキャッチボールは一応できるものの、相手が受け取りやすいような気の利いたボールは投げられず、振ってくれた話題に対して「へえ〜そうなんですね!すごいですね!」「たしかに!」と月並みな返答しかできません。

もらった話題にリアクションはできるけど、広げられないのがコンプレックス。
相手がペラペラ喋ってくれるタイプだと気持ちがすごくラクなのですが、口数が少ないタイプだと「あ〜へぇ、そうなんですねえ……」のあと漏れなく沈黙が訪れます。それが気まずくて仕方ない。

初対面の人に自分から声を掛けるのも苦手で、スタンディング形式のイベントや交流会では、どうしていいか分からず挙動不審でポツーンとしています。
誰も私なんか見てないって分かってても、なんか恥ずかしい。

「なんか気の利いたこといわなきゃ」「盛り上げなきゃ」と頑張ると余計なこと・的外れなことを言いがちなので、それも怖い。

なので、そんなボロが出ないよう、相手を不快にさせないよう、特に「はじめまして」な人の前に出るときには細心の注意を払っています。

私には謎のポリシー(?)があり、「コミュ障を言い訳に、人に不快な思いをさせてはいけない」と本気で思っているので、いざ人前に出るときは「コミュ障です」といいつつも、そんな素振りは全力で隠しているんです。

だから、疲れちゃうんですけど。

コミュ力のある人って、私が気にしまくっているようなことなんてなーんも気にせず、人との会話を楽しめるんだろうなあ〜と羨ましく思っていたのですが、そんな中ある人からいわれた言葉を思い出しました。

「でも、みきてぃは相手のことめちゃくちゃ気にして、気を遣ってるわけでしょ?
それだけ相手のこと考えてる時点で、もうコミュ障じゃなくない??」

「多分、本気のヤバいコミュ障って、相手のことなんて気にしなくて無意識に失礼なこと言ったりする人のことだと思う」

…………?!?!

たしかに!!!!!

私、ずっとずーーーっと「コミュ力がある人」イコール「人を楽しませられる人」のことだと思っていたんです。

面白いことが言えて、気の利いた返しができて、その場を盛り上げられる人。

それができなくて、すごく苦手だと感じている私は紛れもなく「コミュ障」だって。

けど、実際私は努力の甲斐あってか、特にここ最近は「コミュ障には見えないよ」「いつもすごく気を遣ってくれて助かる」といってもらえると言ってくれる人の方が圧倒的に多くて。

そうか。コミュ力って、なにも「人を楽しませる力」だけではないんだな、と考え方が少し変わりました。

もしかしたら私、コミュ力あるのかもしれないぞ……?

だからといって性格が変わるわけではないので、1回死んで生まれ変わらないと「初対面ウェルカム!」「バチくそに盛り上げ行くぜ〜〜!!」とはならないけれど、私なりの気遣いも十分な「コミュ力」なのだと少し前向きになれました。

その場をパッと明るく彩ることができなくても、相手を気遣う心があれば、もう十分な「コミュ強」なのかもしれません。

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