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自分の『好き』を守るために、『好き』と言葉で伝えたい。
良いものをきちんと『良い』と発言しないと、なくなってしまいますよ。
いつだったか覚えていませんが、そんな話をテレビで聞いたことがあります。
番組名も出ていたキャストもなーんにも覚えていないけど、強烈に頭に残った話でした。
商品でもサービスでもなんでもそうですが、賞賛の声よりも批判の声の方が圧倒的に相手に届きやすいそうです。
人は『いいな』と思っているときは、特別声をあげないもの。
『これ、けっこう良いよね!』と家族や友人などの内輪で話すことはあると思いますが、企業にわざわざ『御社のこれが良かったです!』ってメールを送ったり、開発者に手紙を送ることってあんまりしないですよね。
愛してやまない推しのアーティストとかにならファンレターを送ることもあるかもしれないけど、ちょっと『あ、いいかも』って思ったぐらいだと大きなアクションは起こさない。
特に不満がないとき、意外と人はそれを口には出しません。
でも心の中ではいいなって思ってる。
心当たりのある人、きっと多いと思います。私もわりとそのタイプです。
対して、不満の声は、意外と簡単に口にするものです。
自分にとって『嫌だな』と不快感を抱いたときにそれを伝えたり、どこかに書き込んだり。
そして常に改善を求めている企業などはそういった『ご意見』を取り入れてどんどん変化していきます。
でもこれって、実はちょっと危険らしいです。
私がテレビで見た内容はこんな感じでした。
とある企業が新しいサービスを開始しました。
『いいね!』と賞賛している人が10人。
『うーん…』と不満がある人が1人。
賞賛派は『良い』と思っているけど発言はしません。
不満派は『良くない』と積極的に発言します。
人数的には賞賛派が圧倒的に多い素晴らしいサービスですが、不満派の声を受けサービスを停止しました。
賞賛派の無言の応援は企業に届かず、『必要のないサービス』と判断されてしまったのです。
どんなに心の中で応援していても、声をあげないと無いものと同じになってしまうこともある。
この例え話も、批判していたのはたったの一割なのに、賞賛派の意見が見えないために、批判派の意見が『ユーザー皆の意見』となってしまった……ということです。
しかも、賞賛派の10人はせっかく気に入っていたものをひとつ失ってしまう不便さ、寂しさも感じることになる……。なんてこった。
すでに完成されている良いものにわざわざ発言する必要はないと思ってしまいますが、自分の好きなもの・良いと思ったものを守るためにも、賞賛の声もあげていかないといけないんだなあ、と衝撃を受けた内容でした。
振り返ってみると、大好きだった商品、すっごく気に入っていたのになくなってしまって悲しかったもの、今までもたくさんありました。
それが全部この例え話に当てはまることなのか……というとまた別の話ですが、もし賞賛派がめちゃくちゃ熱く『好きだ!!!!』と言いまくっていたら、何か違ったのかな?って思ってしまったりもします。
そしてこれ、ものやサービスだけでなく人間に対しても言えることだと気が付きました。
先日こんなnoteを書きました。
ざっくりまとめると、自分の声が嫌いだった私が、周りに誉めて貰えたことで自分の声をちょっと好きになったという、よくある感じの話です。
心の中で『みきてぃの声いいな』って思ってくれていても、それを伝えてくれなかったら、そんな温かい肯定の気持ちを知ることすら出来なかった。
一生自分の声を好きになれなかった可能性もあります。
でも私に『いいね』って伝えてくれた。
そのワンアクションがあったからこそ、私は自分の声に自信を持てるようになったのです。
こんなふうに、『良い』と思う気持ちを言葉にするだけで、誰かが救われることもあるのです。
言葉には思った以上にパワーがあって、人ら社会を変えていくもの。
マイナスを改善していくための『ご意見』も大事ですが、プラスをよりプラスにしていくための明るい『ご意見』も同じくらい必要です。
自分の好きなものを守るために、身近な人の好きなところを守るために、『めっちゃ良いよ!!!』という温かい言葉をたくさん口にしていきたいですね。
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