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「もしかすると自分って…」と認めることが、自分を守る第一歩なのかも。

私は、自分のことが全然分かりません。

自己分析できているつもりで、全然自分のことが分かっていない。
自己理解が深い人って、本当にすごいと思います。

ここ数年、「HSP」という特徴を抱える人が、自分の性格や性質との付き合い方について発信しているのをよく見かけます。

その内容には、共感できることが多々ありつつも、「でも私、病院で診断受けたわけでもないし」と、自分には当てはまらない話だと思っていました。


うーん、違うな。

正確にいうと、当てはめてはいけない、と思っていました。


病院で診断を受けたわけでもない。
そういった類の専門知識を持っているわけでもない。

そんな私が「HSPかもしれない」なんて思うのは、本当にHSPと診断されている人や、私よりもっと大変な思いをしている人に失礼なんじゃないかって。

だから私は、人よりちょっと気にしぃなだけ。
そう思うようにしていました。

どうして急にこんな話をするかというと、ここ最近本当に嫌なことが続いていまして。
っていう話は前回のnoteにも書いたのですが。

ほかの人なら寝れば忘れちゃう、もしくはそこまでクヨクヨ悩まないような小さなことが、私には気になって仕方ない。

人のちょっとした表情や声色の変化とか、いつもとなんとなく違うように感じるLINEの文面とか。

さすがに相手の気持ちが全部分かるほどではないけど、「あ、なんかいつもと違うな」「怒ってんのかな」と思ってしまうと止まらない。
それがただの思い込みなのか、本当にそうなのかは分からないけれど。

特定の音や匂いも、気になり始めるとイライラしてしまって、なにも手につかないことも昔からよくあります。

爪のささくれをいつまでも捲ってしまうのと同じように、一度気になると、心のささくれをいつまでもツンツンするのをやめられないのです。

思えば、私がなにも気がかりなことを抱えていなかった瞬間なんて、これまでの人生でゼロに近いんじゃないだろうか?

それって、もしかするとやっぱり所謂「普通」ではないのかも??

そう思って、ここ2日くらい、セルフではありますが「HSP診断」なるものを初めてやってみました。

4〜5種類の診断を試したところ、どのWebサイトでも「HSPの可能性が高いです」と。

まあ、いうてこれもセルフ診断だし、本当にそうなのかは今もよく分かりません。

でも、もし違ったとしても、私が自分自身を「HSPという(もしくはそれに似た)性質なんだ」と捉えることで、自分を守ることもできるんじゃないか?と思ったのです。

最近は、HSPに関する発信をしている人がたくさんいます。

今までは「でも、多分私は違うから」と見過ごしてきたことを、自分のこととして捉えていけば、対処法が分かるかもしれない。

「もっと苦しんでいる人に失礼なんじゃ?」と思ってしまう気持ちもやっぱりあるけれど、そもそも苦しさは人と比べるものではないですよね。

「あの人の方が苦しいから、私が苦しいと言ってはいけない」なんてことはないんです。

自分のことを守れるのは、結局自分だけ。

自分の性格や性質をもっと理解して、もっとしっかり自分を守っていけるといいな。

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