繊細人間が慢性うつ病と発達障害の診断を受けるまで①
自分が生まれ持っている気質(先天的)なのか、それとも外的要因の影響(後天的)なのか、はたまたその両方もしくは複数が混じり合って、相乗し合って膨大なものへと変化し、形成されていったのか、ひとりでは抱えきれない”なにか”がわたしの中で間違いなく育っていた。
「いつからですか」
という問いに答えるためには、いつの記憶まで遡ればいいのかわからなかった。
「ずっと前から」とも言えるし、「この数週間の間にひどくなった」とも言えるし、「半年前にきっかけがあった」と言われても頷ける。
10代のころからずっとずっと、漠然とした孤独感と虚無感を抱えていた。
「自分の居場所はどこにあるんだろう」と、どこへ行っても思っていた。小さな希望と小さな絶望が交互にやってきて脳を支配していた。楽しくても哀しかった。大事な人がいても淋しかった。
それは社会に出てから顕著になった。希望を持ってはじめた仕事も長くは続かなかった。職場に馴染めず、仕事にも愛着が湧かなかった。すべて簡単に手放すことができた。そんなわたしのことを、おもしろく思わない人もいた。敵意を向けられるとわたしも相手のことを敵と認識した。攻撃的な感情を持った後に襲ってくる猛烈な虚しさと悔しさに耐えられず、その場を去る決断をした。そうやって心の負債を重ねていった。
仕事に限った話ではない。家族間も、恋愛も、友人関係も、相手にとってはなんでもないことでも、わたしの中に少しずつ少しずつ蓄積していく。それは良いことも悪いこともすべて。良いことだけを記憶して悪いことは忘れる、なんて器用なことができる脳ではない。記憶力だけは長けているせいで、見たことも聞いたことも感じたことも、嬉しいこともネガティブなこともすべて、脳内ハードディスクにごちゃまぜに放り込まれていった。
2022年6月下旬。ここ数週間のうちにいろいろな出来事があり、心と脳が疲弊した。オーバーヒートした脳は再起動不可になった。なにも考えられない。なににも満足できない。不安さえも感じない。
ひとりで抱えきれなくなり、ネットの情報も信じられなくなった。恋人の助言に耳を傾けることは出来ても体が動かない。半信半疑で精神科の門を叩いた。初診は2週間先の予約となった。
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