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思考の線形性と世界の非線形性とのギャップを認識するということ『技術革新と経済発展』◆読書ログ2020#04◆

2020年の4冊目は、弘岡正明氏の『技術革新と経済発展―非線形ダイナミズムの解明』[2003]です。

人間は線形思考が先に立つ。今日起こったことが明日も起こるだろうと考えて行動する。しかし、数年間続いたことがその先にも同じように起こるとは限らない。世の中は、むしろ次第に変化する非線形な現象に支配されているのに、いつまでも過去から脱却できないで、線形思考で将来を考えて行動するから、えてして判断を誤る。しかし、世の中の動きを仔細に観察すると、その非線形の実態が見えてくる。本書はそのような現象を解明する一つの試みである。

技術と経済の発展をS字型の曲線で記述する

近年、「イノベーション」の重要性が各所で叫ばれる中で、『経済発展の理論』において技術革新が経済発展の原動力であると指摘したシュンペーター[1912,26]が再び注目を集めている。
これまでに、彼の考えを受け継いだネオシュンペーター学派らによって、各種の技術革新がどのように発展し、経済の発展にどのように寄与してきたかが論じられてきた。

製品の普及については、グリリカス[1967]がその軌道をロジスティック方程式(後述)でS字型のシグモイド曲線として表せることを指摘して以来、多くの研究者がその記述法の妥当性や経済発展との相関性を数学的に示そうとしてきた。
一方、その製品の普及の前段階である科学技術自体の発明や開発の段階については、経済学の面から見れば潜伏期間であり、さらに人間の知的活動そのものをいかにして量的に記述するかという問題もあり、具体的な解析はあまり行われてこず、ブラックボックスとして扱われてきた節がある。

こうした背景を受け、本書では、製品の普及のみならず、技術の発展期についてもその普及軌道と同様のS字型の曲線で記述することを試み、そして、それが経済の発展にどのような影響を与えるのかを考察する。

そこで気付かされるのは、我々が陥りやすい線形的な思考と現実世界の非線形的な現象との間にあるギャップなのである。


ロジスティック方程式の導出

本書では、各種の技術革新をロジスティック方程式を用いて記述する。
その主旨を理解するためには、最低限、この式が何を意味するものなのかを知っておく必要があるだろう。

マルサスは、『人口論』[1798]で、人口は等差級数的に増加する、つまり指数関数的に無限に発散する形で増加すると予測した。

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しかし、現実には何らかの物理的な制約を受けるため、人口が無限に増殖することはないだろう。
ケトレー、フーリエ[1835]らは、人口増加率はその増加率の2乗に比例して減少すると主張し、その後、ケトレーの依頼を受けた数学者のベルハルスト[1838]が次のようなロジスティック式を誘導した。

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N について解くと、

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すると、t→∞ で N→K に漸近するS字型の曲線となる。

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本書では、このロジスティック式が技術革新軌道についても適用できるとして、以下のグリリカスのロジスティック方程式を応用して、製品の普及を記述している。

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y は時間 t における製品の需要量であり、y₀ は成熟市場の大きさである。
これを解いて、

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はじめはゆっくりと普及が進み、ある程度時間が経過するとその普及が加速し、そして成熟段階に近付くと頭打ちになる
なんとなく、感覚的に理解ができるのではないだろうか。


技術の発展を知識の伝播現象として捉える

本書ではまず、このロジスティック式で製品の普及が記述できるのかどうかを、いくつかの製品の生産実績のデータを用いて検証する。

その結果、健全な経済状態での製品の普及はロジスティック式に従うものの、例えば石油ショックなどの何らかの外的要因によって不況になると、普及が停滞し、ロジスティック式から偏奇することが分かった。
しかし、経済が正常な状態に戻ると、本来の普及速度を取り戻していた。
以上のことから、それぞれの製品には固有の普及拡散速度があり、製品の普及の動向は、そういった一種の物理現象として記述できることが分かる。

本書ではさらに、製品の普及からさらに技術革新を遡って、技術の種が芽生えてからそれが発展していく開発の期間についても、ロジスティック式で「表現」できることを示す。

技術の発展の度合いをどのように「解釈」して、そのロジスティック性を検証するかについてはここでは割愛するが、技術の発展というのは知識の発達であり、人から人へと知識が伝わる関係として捉えることができるため、
y : 知識を持っている人、y₀ : 知識の伝播が完了してすべての人がその知識を共有している状態
とすれば、知識を持っている人が知識を持っていない人に情報を伝える相互作用として、その接触を積の形で表現することができ、やはり以下のようなロジスティック式が適用できると考えられるのである。

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ロジスティック曲線で表現できると何が嬉しいのか

さて、ここからが本題だ。
重要なのは、ロジスティック曲線で表現できたとして、一体それの何が嬉しいのか?ということである。

本書では、技術革新の経緯を記述する手段としてロジスティック曲線を用いたが、それは必ずしもそのロジスティック性を証明することが目的ではない

言ってしまえば、この記述法の厳密性・正確性はさほど重要ではない。
とにかく、ロジスティック曲線を近似的にフィッティングできるのであればそれで十分なのであって、そのシグモイド型(S字型)の成熟曲線の非線形特性から様々な洞察を得ることができるのである。


技術発展の限界と非連続なパラダイムのシフト

ロジスティック曲線で表せるということは、それぞれの技術革新には固有のポテンシャルがあり、それを超えることはなく、一定のタイムスパンの間に非線形で成熟するということを意味する。
直線的に限りなく発展し続けるというものではない。

一つの技術革新が成熟すると、それ以上に発達することはなく、喩えていえばシーラカンスのように、そのままのレベルでとどまるか、または恐竜のように絶滅する。

一方、例えば何か別の新しいエネルギー源の発明とか、新たな物理現象の発見とか、あるいは別の分野の技術との融合とか、そういう何らかのブレイクスルーを起点として、別の技術革新パラダイムが立ち上がることがある。

技術革新の非線形かつ連続的な発展のダイナミズムは、生物の進化でいうところのミクロ進化(ある生物種が気候や食料などの環境に適応していく進化)に対応し、
別の技術革新パラダイムが新たに形成される変遷は、いわゆる(種を超えて新たな系統へと分岐する進化)に対応するといえる。マクロ進化(種を超えて新たな系統へと分岐する進化)に対応するといえる。

重要なのは、後者はドラスティックなジャンプが起こる非連続的な変化であるということである。
そのパラダイムシフトが、それまで市場を支配していた製品を代替したり、既存の社会の仕組みを変えたりするような何らかの「破壊」を伴いながら、経済に大きなインパクトを与えるようになった場合には、我々はその革新を「イノベーション」(シュンペーターの名付けた「新結合」)と呼ぶ
そしてそれは、成熟しつつある科学技術の直線的な延長線上にあるものではない。

したがって、ある技術革新パラダイムの限界はどこにあるのか、それがいつ頃やってくるのかを見極めること、それと同時に、その領域にイノベーションをもたらすようなパラダイムシフトがあるとすればその種は何かを見定めることが肝要になってくるのである。


技術革新の将来の動向の予測

現在、どのような科学技術がいつ頃からどの程度進展しているかを解析し、その軌道を外挿することで、数十年先までの新産業の動向をある程度予測することができるというのも、ロジスティック曲線による記述法の利点である。

本書では、第13章で21世紀における産業展開の予測を行っている。
これが出版されたのが2003年なので、今はそこからおよそ20年弱が経過したことになる。
せっかくなので、その予測をいくつか検証してみることにしよう。

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①ナノエレクトロニクス
「半導体素子の集積度が1.5~2年ごとに2倍になる」というムーアの法則を知っている人は多いだろうが、シリコン半導体素子は、トンネル効果や発熱制御の問題からそう遠くないうちに物理的な限界に達すると言われている。
そこで期待される新パラダイムのひとつに量子コンピュータがあるが、本書では2010年頃には開発軌道へ移行すると予測している。
2011年にカナダのD-Wave Systems社が量子コンピュータ「D-Wave」の建造に成功したと発表し、その後Googleを筆頭に民間企業が開発に着手、2019年にはIBMが商用の量子コンピュータを発表しており、おおむね予測の通りに推移しつつあると考えてよいだろう。

②ゲノム工学
1975年のシーケンシング法の開発に始まるゲノムの解読法は、1980年代後半から急速に関心が高まり、1990年にはヒトゲノム解析計画が国際プロジェクトへと発展、2000年にセレーラ・ジェノミクス社がヒトゲノムの解析を完了したと発表、以降、開発軌道に移行したとされている。
本書では、2010年頃から普及軌道が立ち上がるものと予測されているが、2014年には1,000ドル程度でヒト全ゲノムを読めるほどに進歩し、数年前から商業展開が本格化した遺伝子検査は、病気や体質に関係することが分かっている特定の部分の解析のみであれば、数千~数万円程度で簡単に行えるようになっており、こちらもほぼ予測通りの軌道を描いているといえる。


景気循環と技術革新との本質的な関係

タイトルが『技術革新と経済発展』であることから分かるように、本書は単に科学技術の動向を解析するだけのものではなく、それが経済の発展にどのように影響するかを論じるものである。

種々の科学技術の軌道を解析した結果、主要な科学技術の普及軌道は景気の大きな上昇期に集中していることが明らかになった。
このことは、経済に高い付加価値を与える技術革新の普及が経済の発展をもたらすという因果関係を示していると考えられる。

また、特に興味深いのは、過去のすべての長期景気波動の頂点で、バブル経済の発生と崩壊、および大恐慌への転換が見られるということである。
この背景には、以下のようなストーリーがあるものと考えられる。

技術革新の普及によって経済・各種産業が活性化し、株価が上昇するので、株の高騰で得た収益を投資に回すエクイティ・ファイナンスによりバブルが膨張する。
一方で、現実には製品の市場は次第に成熟し普及が鈍化するから、バブルの膨張と成熟化による原則との乖離が顕在化したときに、バブルがはじけ、長期的な恐慌へと転換する。

つまりこれは、いつまでも好景気が続くだろうという人間の線形思考と製品普及の成熟化という非線形現象の乖離がもたらす現象として理解できるのだ。

これまでに多くの学者が、恐慌が発生するメカニズムについて活発な議論を繰り広げてきた。
しかし、それぞれの個別の恐慌が発生した原因を特定の事件や政策に見出すだけのものがほとんどで、現在でも共通の見解として一般に認められている基礎的な理論は存在しない。
そういった点において、「人間の線形的思考と現実の非線形的現象とのギャップ」によってその原因を説明する本論は、極めて汎用的かつ本質的な指摘であり、非常に優れた洞察として評価できるものではないかと思う。


僕がこの本を読もうと思った理由

最後に、僕がこの本を手に取った経緯を書いておこう。

残念ながら、僕がロジスティック方程式に出会った最初のきっかけは忘れてしまったが、
2年以上前に、成長と努力の関係性をロジスティック曲線を用いて考察する記事を書いているから、少なくともそれくらいの時期には、既にロジスティック方程式に魅せられていたことになる。

ロジスティック式の魅力は、何といってもその広範な汎用性である。
シンプルでありながら適用範囲の広い数式は、この上なく美しいものだ。

改めて世界を観察してみると、ロジスティック曲線で記述できそうな現象はあちこちに見つけることができる。
少し複雑に見える現象でも、ロジスティック式にいくつかの補正項を加えたり、あるいはそれらを組み合わせたりして拡張すれば、ある程度厳密性の高い記述が可能になることが少なくない。

前述したように、ロジスティック方程式は、人口や生物の個体数の増殖を表すために導出されたが、人間の学習・成長、情報の移転・伝達・拡散などにおいても、ロジスティック性を広く見出すことができる。

例として、日本国内における新型コロナウイルスの累計感染者数の推移(6月4日まで)を見てみよう。

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あるいは、自分や会社の能力や資産の成長についてイメージしてみるのもいいだろう。
成長が加速する前の初期段階で諦めてしまっていないか?
限界に近付いて成熟しつつあるのに、非連続的なパラダイムシフトを起こそうともせずに、従来のやり方に固執してしまっていないか?

私たちは容易に線形的な思考の罠に飲み込まれてしまいがちだが、現実の非線形的な現象を認識し、そのメカニズムや軌道を考えることで新たに見えてくることは多いはずだ。


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