パニック障害、薬漬けから減薬まで。

祖母の介護が終わり元住んでいた家に戻ってきてからは、
またAクリニックにお世話になることにした。

四週間に一度通院していたのだが、
通院するたびに薬が増えていった。

  • 薬漬け。

  • デイケア。

  • セカンドオピニオン。

  • 減薬。

  • 減薬後。

  • 追伸。

薬漬け。

診察で状態を訊かれ、良くないというと、処方される薬が増えていった。

一つの薬が一日に服用できる量がMAXになったら、
それプラス別の薬が処方された。
その薬も徐々に増えていき、
この薬も一日に服用できる量がMAXになったら、
それプラスまた別の薬が処方される、この繰り返しだ。

そうして、多種多量の精神安定剤、抗うつ剤、
睡眠薬が処方されるようになり、薬漬けにされてしまった。

僕は先生を疑うことなく、
先生は病気を治す手助けをしてくれていると思い、
素直に処方される薬を服用し続けた。

デイケア。

薬漬けにされてからデイケアを進められた。

最初のうちはデイケアを断っていたのだが、
進められるうちに、試しに参加してみてもいいだろうと思い、
何度かデイケアに参加した。

デイケアには違和感を覚えた。

やることと言えば小学生低学年レベルのこと、
そして、デイケアスタッフとの関係性。
先生はデイケアには十年選手もいると言っていたが、
こんなところに十年もいることはできないと思った。

そして、症状が一向に良くなることもなく、何かがおかしいと思い、
セカンドオピニオンを考えた。

セカンドオピニオン。

ネットで心療内科を探し出し、
先生にセカンドオピニオンを受けたいので
診断書を書いてほしい旨を伝えたら、
Aクリニックから追い出される形にもっていかれた。

Aクリニックから追い出されてしまってから、
ネットで探し出した心療内科(以下、Dクリニック)に
予約を取って行った。
最初の診察では一時間ほど時間を割いてくれた。
先生は診断書をみて非常に驚いていた。
何だ、この薬の量は、と。
そして、先生は言った。減薬から始める、と。

減薬。

しかし減薬は簡単にはいかなかった。

少し薬の量を減らし、数週間状態を診て、
何もなかったらまた少し薬の量を減らし、
状態が悪化したら(離脱症状が現れたら)、
減らした薬の量を元に戻し、
状態が落ち着いたら、また少し薬の量を減らし……、
これを繰り返した。

結果、減薬まで十一年掛かった。

長い間多種多量の薬を服用し続けていたので、
離脱症状は頻繁に出た。

薬漬けにされてから減薬が進むまで、
一日中意識が朦朧としていたので、
あまり記憶が無いのだが、
非常に辛かったことは覚えている。

中でも最後に取りかかったパキシルの減薬が辛かった。

突如、後頭部で枝が折れるような音、パキッと音がした直後、
脳に電流が走った感覚に襲われ意識が飛びそうなる。
意識が飛びそうになるのを踏ん張って耐える。
これが一日中頻繁に起こる。

時間が経つにつれ、後頭部で聞こえる枝が折れるような音は小さくなり、
脳に電流が走った感覚は弱まっていき、回数も減っていった。
離脱症状が無くなるまで数ヶ月掛かった。

減薬が進むにつれ、意識がクリアーになり、体重も減っていった。
九十三キロまで増えた体重(メンタル系の薬は太る)は
六十三キロまで落ちた。

Aクリニックでは、次から次に薬を増やしていく、足し算しかしなかった。
Dクリニックでは、この薬が効かなかったらこの薬をやめて、
別の薬にしましょう、と足し算と引き算を同時にした。真っ当だ。

減薬後。

処方される薬がゼロになったわけではないが、随分減った。
意識がクリアーになるにつれて不安が強くなっていった。
将来の不安だ。

薬漬けにされて五年。減薬に十一年。
三十歳だった年齢は四十六歳になった。
薬漬けにされていなければ減薬に掛かった十一年も必要なかった。
僕は十六年間も無駄にしてしまった。

先生曰く、不安を感じるのはいいことだと。
今まではそういったことが考えられなかったのに、
考えられるようになったのはいいことだと。

失ったのは時間だけではない。

薬漬けにされてから減薬が進むまで一日中意識が朦朧としていた。

四週間に一度の診察だったのだが、
診察の日が来たら、意識が朦朧としている中、
お風呂に入らなきゃ、歯を磨かなきゃ、と思い、
入浴するのも四週間に一度。
歯を磨くのも四週間に一度。

そうして健康な歯も随分痛んでしまった。

失ったものが大きすぎる。

不安だけが強くなり一年が過ぎようとしている。

現在、四十七歳。
友達無し、彼女無し(未婚)、職歴無し(バイト経験のみ)。
どうしたらいいのだろうか。分からない。

僕ほど人生詰んだ人もなかなかいないだろうと思う。

追伸。

失われた十六年。
気持ちは三十一歳だが年齢は四十七歳。
この隔たりというか、溝というか、
隔たりを取っ払っていかなければ、
溝を埋めていかなければならない。


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