見出し画像

引き返しちゃいけないよね、

三寒四温とは良く言ったもので、朝がまだまだ寒かったり夕方が寒かったり、これを繰り返して春を作って夏に向かっていくんだなあと思いながら通勤している日々です。



毎朝、一番に更衣室に着く。
バスの乗り換えがうまくいかないこともあって、これを選択している。
いつからか朝にコンビニでコーヒーを買ってそれをゆっくり味わうことが自分の中でルーティンになった。



先日はボーッとしていてコンビニに寄ることを忘れたため会社の近くの自販機でコーヒーを買おうと思ったら、「つめたい」ドリンクが全てを占めていて、季節が変わったことを感じた。
わたしは夏でもホットコーヒーが大好きなのにな。「あったかい」が一年中あればいいのに。




最近、自分の気持ちを整理することが難しくなってきて、たくさんのコラムや書籍を読み漁った。
一つ、わたしの心を大きく揺らした記事があった。



2019年度東京大学の入学式、上野千鶴子さんの祝辞。わたしは読みながら何度頷いただろう、胸の奥がグッとなった。

「努力 報われない」と検索にかけたら出てきた記事だった。


もしかしたら、いや、もしかしなくても努力って実は報われないんじゃないかと思い始めて、そのような「屈辱的」な出来事に出会って、思考を変えてみる必要があるのかも、と思ったときに出会った記事だった。



「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。


あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」



一部引用。
わたしの思考に新しい風を吹かせてくれた。
「がんばれば報われる」は正しいけど正しくはないということを大学入学生に伝えることの素晴らしさや意義をわたしはとても称賛したい。
この祝辞を生で大学入学時に聞いていたのならわたしはきっと静かに涙しただろう。



そしてこの言葉を一度でも耳にしていたら、目にしていたら、屈辱的な出来事を味わった今、わたしは真っ先に思考から取り出して当てはめて、自分の気持ちをもっと素早く整理できただろうと思う。




こうやってどこかで聞いた誰かの言葉や、
どこかで見た誰かの言葉、
通りすがりの人が言ってくれた言葉、
わたしのことを思ってかけてくれた厳しい言葉、
全てがわたしを形成していて、そのどれもが必要だったからわたしの元に届いているんだと思えた。




確かに、一つ目の昇格をしたとき、わたしの頑張りよりも確実にその時の環境に恵まれていたと思う。
その時も人より昇格が遅れていたけれど、その時、その場所でその人と出会えたから、わたしを推薦して昇格させてもらえたあの環境こそが努力であり、わたし自身の努力そのものより環境の方が要因として大きかったような気がする。
そして、遅れているからこそ、昇格試験に受かるだろうという俗に言うどこから出てくるのか分からない謎の自信があったのも確かで、その自信もきっと環境が作り出したものだったんだろうね。



だから、
「頑張れば報われるときもあるけれど報われない時も多くあって環境で違ってくる」
「頑張っても届けたい人に届かないこともあって、その時は報われない」
ことを覚えて、これから進んでいきたい。



「屈辱」という時間を味わうことがあった先日、わたしは気持ちが揺れた。
今、この時間目を閉じて何もないことにしたいと。
だけど、屈辱という2文字をじっくり味わうには一番最高な時間だったと思う。きっとわたしには与えられるべき時間であり、さあここからわたしの気持ちをどうやって立て直すのか試されているのだと感じた。



わたしはがんばれる人、がんばることが可能な人で良かった。
もし次のステップが来たときには、勝ち抜くためではなく、この経験した感情を含めて寄り添っていけるように、強さよりも弱さを大事にして歩いていけますように。






わたしたちはいつも何かと色んなものに追われて忙しく、小さな傷が毎日刻まれていることよりも、今日や明日の仕事のこと、家族のこと、これからのことを考えることの方が重要に感じてしまう。
そんな焦りのせいで、一体どれくらいの傷を無視して絆創膏を貼ることもせず歩いてきたんだろうね。
そんな無数の傷はきちんと手当してあげないと、どこまでもは引きずって歩き続けられない。





また一つ、感情の処理方法を学んだと、それはある種明るい諦めも含まれているかもしれないけれど、諦めから始まる希望だってあっていい。

もしかしたらわたしは「努力なんて報われないよ」って誰かに言ってほしかったのかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?