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大きな一本の木

第1章 じいちゃん

「きょうはあつかねぇ」
「じいちゃんの写真、いつ頃のやつだったっけ?」
 6月の夕暮れなのに、強い日差しが照りつける。すでにこの街には夏の吐息が色濃く影をさしていた。むっとする熱気を長時間浴びたせいか、いま車の中で交わされている会話も、この日の長かった葬儀も、陽炎のように思えてくる。冬用の礼服しか持っていなかった僕は、吹き出す汗をポケットから取り出したタオルで何度も拭う。汗と一緒に、目にたまった涙も拭き取った。もしかすると、この涙も幻なのだろうか。

 あの日じいちゃんはシワシワに萎んだ身体を、さらに縮こませるかのように丸めて泣いていた。小さくて、皮と骨だけ。かさかさした腕が小刻みに震えていた。

 後部座席に乗っていた僕は黒いネクタイをはぎ取ると、脱ぎ捨てた礼服とともに丸めて背中とシートの間に押し込んだ。運転している父は、僕の横に座っている叔母と、じいちゃんの思い出を語り合っている。葬儀の時は真っ赤に腫れ上がった目を隠そうとしなかった叔母も、しかめっつらで何かを我慢していた父も、じいちゃんの思い出を話すときは、とてもうれしそうだ。
「何でも発明する人やったよね。兄ちゃん覚えとる? とうちゃんが自分で自転車作ったことあったろうが」
「ああ、あったね。家の横にしばらく置いてあった。なんかフランス映画に出てくるようなオシャレな形やったよね」
「そうそう。後輪が小さくて前輪がすごく大きいやつ。なんでそういうの作ったとやろうね。テレビで見たとかいね。ああいうハヤリば、よう知っとたよね。20年以上前に、あんな田舎でおしゃれな自転車をもっとったのは、うちだけやったよ」
 僕が赤ちゃんの頃の写真に、父と叔母とともに不思議な自転車が写っていた。サドルはまっすぐに伸びた鉄の棒に支えられていた。後輪が小さく、前輪が後輪の3倍はある。いまだったらファッション誌の広告に使われ、上には金髪の女性が乗っているだろう。自転車としての機能は、たぶん足の長い外国人にしか有効ではない。
「ああ、俺も写真で見たことあるよ」
 僕がそう相づちを打つと、叔母は今度は僕に向けて話はじめた。
「あのアイスの機械も考えたとよ。回転する丸いイスがあったやろ。それをひっくり返したやつ」
 ああ、それは実際のものを覚えている。
「脚の先にクリップをつけてくさ。アイスを溶けたチョコにつけてクリップに挟むでしょ。そして順番に回していくと一周する間にチョコが乾くから、それをはずして袋詰めするとよ。ああいうのも自分で考えて作ったとよねえ、とうちゃんが」
 僕が生まれる前から、じいちゃんは我が一家を率いてアイスクリーム工場を経営していた。経営しているというのは大げさなくらい零細な工場で、2階に一家全員で住んでいた。工場には本当の実権を握っていたばあちゃんと、4人の子供のうち嫁いでいった上の叔母を除く、父と叔父と隣に座っている下の叔母、そして近所のおばさんたちが働いていた。1階には大きな冷蔵庫と広い作業場があり、その作業場にはいろんな機械に混じって、じいちゃんの発明品がいくつかあった。そのひとつがアイスをくくりつけて回す機械だ。
「特許とかとれば儲かったかもしれんね。発明家やったよね。いろいろ作ったもんね」
 叔母の話に父がうれしそうに頷いている。長男の父と、一番下の叔母は仲がいい。僕が7歳の時、婚約者がいたのに東京の人と駆け落ちした叔母を探しに行ったのは、父だった。どうしてもこの人と結婚すると泣きわめいた叔母の希望を聞き入れ、じいちゃんとばあちゃんを説得したのも父だったそうだ。僕もこの叔母が大好きで、小さかったふたりの妹は、父や母と一緒の部屋で寝ていたが、僕は物心ついたときから、叔母と一緒のベッドで寝ていた。叔母が結婚して東京に旅立つ日、僕は嗚咽しながら布団のなかから出ることができなかったことを、今でもはっきりと思い出す。

 夕暮れの日差しが照りつけるなか、僕らは街のはずれの火葬場から自宅へ戻った。
「さあさあ、なんか食べようかね」
 そう独り言のようにつぶやくと、母は台所でやかんに火を付けた。僕はずっと大切に抱えていた遺影を、そっと仏壇に飾った。
 じいちゃんの乾いた匂いが体にまとわりついている。お棺を運んだ時に、最後に見たじいちゃんの顔が思い浮かぶ。じいちゃんは死ぬ瞬間に、自分の人生をどう思ったのだろう。
 海を渡り、見知らぬ国に来て、頼れるのは先に辿り着いていた兄だけ。その兄も結婚してからは離れて暮らし始めた。残された自分は、ここで自分の居場所を作ろうとしたのだろう。結婚したのは広島に移り住んでからだった。知人が連れてきた女性は、初めて会う10歳下のちょっとほっそりとした真っ白い顔の人だった。兄に借りてもらったアパートで暮らし始めた。
 やっと手に入れた家や家族は、自分が思い描いていたとおりのものだったのだろうか。

 アイスクリーム工場に住み、幼稚園に通っていた僕の、じいちゃんに対する一番の思い出は、赤ら顔で漂わせるきつくて甘い匂いだった。
 その日も夏の強烈な日差しが、夕方まで勢いを保っていた。やっとなま暖かい風が吹き始めた黄昏時に、僕はひとりで見慣れた酒屋の店先にいた。ペンキが剥げてしまった鉄製の陳列台には、濁ったプラスチックの仕切りがあり、うっすらと埃のかぶった日本酒の瓶と、汚いビニールで包装されたサキイカやピーナッツが並んでいた。壁にはガラス戸の大きな冷蔵庫が、ビール瓶や見慣れない何かを一杯に詰め込んでハバをきかせている。店の奥には擦り切れてテカテカと光るカウンターがあり、真ん中に一升瓶が一本だけどっかりと置いてあった。たったいま、コップに注いだばかりらしい。カウンターの周りには、大声で怒鳴りあっている大人たちがいた。その中からじいちゃんの姿を探す。
「あれーっ、ぼく、ぼく。じいちゃんならそこにおるぞ」
 僕の姿を見つけた店のおじさんは、そう声をかけると、カウンターのはじっこで崩れ落ちそうにつかまっている丸い背中に、声をかけた。
「ほらあ、かわいい孫が迎えにきたよ。起きんね。ほらあ、もう帰えんなっせ」
「なんか、せ、か、らしかあああ」
 じいちゃんはおじさんの手を振り払うように体を揺すると、むっくりと起きあがりながらわめき散らす。おじさんの反応を見ると、じいちゃんがこんな風にわめくのは、とりたてて珍しいことではないようだ。ウチでも同じだった。酔っているじいちゃんは怖くない。コップ酒をあおった最初の瞬間だけ、僕はちゃぶ台の脚を握りしめる。だって、3回に1回はちゃぶ台をつかんで引っ繰り返そうとするからだ。
 店にはちゃぶ台はない。だから、僕はじいちゃんよりテーブルの上にのっている山盛りのピーナッツのほうが気になって仕方がなかった。
「ほら、ほら、ほら。お孫さんたい。しっかりせんね」
 おじさんに抱きかかえられて体を支えてもらったじいちゃんは、僕のほうにのっそりと身体を向けた。さっきまでぐらぐらと揺れていた体が、僕の顔を見るとぴたりと止まった。顔は真っ赤っかだったが、いつものじいちゃんの鋭い眼差しが目に飛び込んでくる。
「おう、迎えに来たとか。まっとけまっとけ、すぐ帰るけん」
 じいちゃんは、僕の前ではいつも機嫌がよかった。贔屓の力士が負けた時も、珍しく工場で真剣に仕事をしている時も、ばあちゃんと激しく口論している時も、僕の顔を見ると、くしゃくしゃな笑顔で僕の頭をなで回す。
 でも、今日は僕がそばにいるのに、立ち上がったまま何かに向かって怒鳴り始めた。大声を出すのは珍しいことではなかったので、やっぱり僕は怖くはなかったが、じいちゃんの目線の向こうに誰もいないのが不思議だった。
「わかっとるとか! いうたろが! わかっとるとか!」
「ねえ、ねえ、じいちゃん。はよいこ」
 そう言って背中をつついたのだが、じいちゃんは気が付かなかったようで、また何かに向かって怒鳴っている。怒鳴りちらしたあと、酒屋を出るときに、最後におやじに向かってわめき散らした。
「こら、おまえはわかっとらん。○○××。ぜんぜん俺の話がわかっとらん!」
 これはいつものじいちゃんだ。途中で話した言葉は、いつもの僕にはわからないものだった。学校の先生も僕の友達もテレビに映る偉い人でも、こんな奇妙な言語で話すのを聞いたことがないのに、なぜか僕の耳には不思議な旋律の歌のように聞こえた。どこか懐かしい響きだと、当時、自分でも気が付いていたのかもしれない。
 ふらふら歩くじいちゃんを一生懸命に支えて歩き、たどり着いた自宅の開けっ放しの玄関をくぐる。するとそこには、ばあちゃんが腕組みをして立っていた。
「ありがとね。あんたはあっちいっときなっせ」
 そう言うと、厳しい顔をしたばあちゃんが、僕をじいちゃんから引き離して、居間へ上がるようにうながした。玄関から入ってすぐの家の入り口には、広いコンクリートの土間があり、居間に行くには土間を横切って靴を脱がなければならない。背中でばあちゃんの叫ぶ声が聞こえるが、いつものように何もわからないふりをして靴を脱ぎ始める。僕はじいちゃんもばあちゃんも大好きだったが、二人がケンカするのは嫌いだった。二人とも僕には優しいのに、顔を合わせるといつも口論になる。こういうときには、テレビのアニメやさっき読んだ漫画のことを思い浮かべることで、また二人を好きでいられたのだ。

 この日もいつものように、二人の声がすぐに甲高い怒号に変わった。すると、じいちゃんは靴を脱いだばかりの僕をふらふらと避けながら居間へ飛び込んだ。
「うらーーー」
 そして呆然と見ている僕を尻目に、土間へ駆け下りてきた。右手には新聞紙の塊を握りしめている。ただならぬ気配を察知したのか、居間から母が飛び出てきて、僕を抱え込むように土間の隅に連れて行く。じいちゃんは突然、ポケットから取り出したマッチを震える手で擦ると、新聞紙の塊を頭上に抱え上げ、これに火をつけた。
「きゃー」
 悲鳴を上げたのはきっと母だったと思う。悲鳴と同時に、土間に火の塊が投げ落とされた。火の塊がころころと転がり回る。母の腕の中で、じいちゃんが、
「こんな家なんかいらん」
 と叫ぶのがはっきりと聞こえた。
「やめんね、やめんね。なんばすっとね」
 あわてて出てきた叔母が、どこからかアルミ製のボウルを手に飛び出してきて、転がる火に中の水をかけようとした。叔母と同時に居間から出てきた父が、ばあちゃんと一緒に、じいちゃんを羽交い締めにして居間へ引きずり込もうともがいている。転がる火の塊は、ボウルの水でいとも簡単に消えてしまった。じいちゃんはふらふらとよろめきながら、父に羽交い締めにされたまま何かを叫んでいる。アルミボウルで火を消した叔母は、
「うあーー」
 と泣きだした。ぶすぶすと塊がくすぶっている。
 僕と母は煙を出す黒こげの塊を呆然と見つめていた。ばあちゃんと父に抑えつけられていたはずのじいちゃんは、すぐに二人の手をふりほどいて、土間を横切り大声を上げながら玄関から飛び出していった。

 そのあと何がどうなったのか、僕はぼんやりとしか思い出せない。ただひとつだけ、あの日の記憶を探るたびに、頭の中にこだまする言葉がある。じいちゃんが新聞の塊に火をつけた瞬間、彼は「あちあち」と呟いたのだ。本当はじいちゃんは、火をつけるつもりはなかったのではないか。火がついてしまって自分も驚いたのではないか。父とばあちゃんに羽交い締めにされ、その腕を振り払ったあと、いたたまれなくなったのではないか。僕は母がそばにいたせいか、怖いとは感じなかった。いや、母がいなくとも怖いと感じなかっただろう。土間を転がる火の塊が、とっても小さく見えたからだ。そんな火じゃ、家は燃えないよ、じいちゃん。水をかけられてぶすぶすとくすぶる小さな黒い塊が、彼の気持ちを現していたような気がした。
(この家は誰のモノなのだろう?)

 大学生になると、僕は年に2回、盆と正月に帰省していた。実家へ帰る前に、僕はばあちゃんの所にまず顔を出した。ばあちゃんは相変わらず我が一族を牛耳っていて、みんなの情報がすぐに手に入ったし、東京にいる叔母の話をしてあげるとすごく喜んでくれたからだ。もちろん、ちょっと多めにくれる小遣いも嬉しかった。
 じいちゃんは別の街でひとりで部屋を借り、一族とは離れて暮らしていた。体調がすぐれない時期もあって、入院していたこともあったらしい。大学2年生になったある夏の日、母からじいちゃんが、僕の生まれた田舎の町でひとり暮らしをしていることを聞いた。会いに行ったらとすすめられて、免許取り立ての僕は車に飛び乗った。じいちゃんとは、もう5年は会っていなかったと思う。

 車を飛ばして夕暮れに着いた故郷の田舎町では、歩いている人をなかなか見かけなかった。唯一、市内を縦断する国道だけは、ひっきりなしに車が行き交い、交差点には買い物かごを抱えたおばちゃんや、学生服の中学生らしき二人組が立っていた。角を曲がり、国道と並行するように走る幹線道路へと進む。ここは僕が市営バスに乗って毎日学校へ通った道だ。がたがたと揺れながら走る赤いバスは、その幹線道路を進み、列車の線路を横切る立体交差へと続く。カーブを描きながらその頂点に進むと、真正面には潮の香りが鮮烈に漂う海が広がっている。その向こうには、何十年後に噴火する火山が、立ちはだかるようにそびえ立っていた。遠浅の海の潮が引いた海面には、夕暮れが映りこんで一面オレンジ色に染まる。中学生の僕は、そのオレンジのきらめきを見ながらバスに揺られて家路についたものだが、大学生になって見た今日の橙色の光は、いままでじいちゃんに会わなかった僕を、咎めるかのようだ。

 赤くて痛い夕日が差し込む海岸沿いの小さな小屋に、じいちゃんはひとりで住んでいた。幹線道路から砂利道に入り、空き地に車を止める。ドアを開けると、海風が夏の暑さを少しだけ和らげてくれる。砂浜を踏みしめて歩くと、砂の切れ目に小さな家が立っていた。漁師が網をしまうような掘っ立て小屋だ。煤けた木戸を開けると、じいちゃんは薄暗い部屋の中で、背中を丸めてテレビを見ていた。
「おお、よう来たな。入れ入れ」
 この家には電話がない。僕が来ることは、近くに住む知人から伝言を聞いていたらしい。土間をあがると3畳ほどの台所と、その奥に6畳ぐらいの小さな部屋があり、家具といえるのは妙に立派なタンスと、小さな折り畳み式のテーブル、ブーンと音がする小さな冷蔵庫、チャンネルをガチャガチャと回すテレビだけだった。部屋を照らす電気は薄暗かったが、中学生の時以来に会ったじいちゃんは、腕相撲をしても勝てなかったその時のままに、元気そうに見えた。
「腹はへっとらんとか? 元気にしとったか? いまなんばしよっとや?」
 矢継ぎ早に聞いてくる質問にかいつまんで答えたあと、東京でときどき会っている叔母の話をしてあげると、楽しそうに聞いてくれた。そのうちに僕の子供の頃に、いっしょにすぐそばの海で遊んだ話を懐かしそうに話してくれた。そうだ、このそばの海で、小さかった僕は、じいちゃんのブリーフをはいて波打ち際を走り回ったことがある。遠浅の潮だまりにはたくさんの小魚や蟹や海老が飛び跳ねていて、夢中になって追いかけた。小屋の隙間から漂ってくる潮の香りが、その時の記憶を蘇らせてくれる。

 じいちゃんは饒舌だった。そういう空気が嬉しかった。
「そんなら風呂に行こうか? そしてついでに晩飯を買ってこよう」
 そう促されると、一緒に銭湯まで歩いていくことにした。じいちゃんは石けんとシャンプーとタオルが入った洗面器を手に持ち、僕に一枚のタオルを手渡すと、すり切れた雪駄を履いて家を出た。鍵は小さな南京錠。暗くなると目が見えなくていかんとぼやくじいちゃんの代わりに、僕が鍵を掛けてそのまま持ち歩く。
 信号の少ない幹線道路の横断歩道を歩き、小さな踏切を渡る。線路を越えると、そこからは田圃のあぜ道だ。蛙の鳴き声があちこちで響いている。突き当たりの道路はデコボコの舗装ではあったが少しだけ広く、10mずつに電柱が立っていた。薄暗い外灯と、ぽつりぽつりと差し込む家屋の明かり以外、その道を照らす光はない。ちょうどそのとき、いま通ってきた線路を汽車が走り、ライトが田圃の上を流れていくのが見えた。まだ陽が落ちたばかりのはずなのに、このあたりを照らす光は、これだけしかない。
 銭湯の灯りがやっと近づいてきた。次第に強くなるお湯の匂いを一気に吸い込んで、ガラガラとドアを開けた。
 銭湯で、じいちゃんの背中を流す。子供の頃に一緒に入ったときには、こんなにシミはなかった気がする。こすると肌までぐにゃりとゆがむ。
「おお、気持ちよかねえ。お前も流してやろうか?」
「よかよ、自分でするけん」
「まあ、いいたい」
 向きを変えて背中を洗ってもらう。想像していた以上に力がある。なんだか嬉しかった。
 銭湯の帰り道に小さな商店に立ち寄る。ここで1リットル入りのコーラと、晩飯用の赤い魚の切り身を買う。お菓子もカップ麺も魚の切り身も売っているこの店は、しゃがれ声のおばあさんが店番をしていた。きっとじいちゃんはここでよく買い物をしているのだろうが、おばあさんは特に愛想を振りまくこともない。
 暗い道を引き返す。電柱の外灯はいまにも消え入りそうだ。空に浮かぶ月の光のほうが明るい。月明かりの下に浮かび上がったじいちゃんの、深いしわが刻み込まれた横顔と小さく丸まっていた背中を、僕は何となく見つめながら歩いていた。 自分だけはじいちゃんの味方だーー。そんな勝手な思いこみで悦に入っていた自分に、ちょっとだけ覚えた違和感が、このときチクリと僕の心を突き刺した。
 赤い魚と味噌汁とご飯で夕食をすませた僕らは、いつもじいちゃんが寝るという時間帯に、床につくことにした。押し入れから二組の布団を出して、6畳間に並べて敷く。少し新しく見えるほうが僕のもので、押しつぶされたようなせんべい布団がじいちゃんのものだ。きっとお隣から借りたに違いない。
「布団、大丈夫や?」
「うん」
 いつもの時間より早いので、なかなか寝付けない僕は、近くに聞こえる波の音で気を紛らわせていた。気が付くと、真っ暗だと思ってた部屋の中に、壁の隙間から月の光が差し込んでいる。その光は銭湯の帰り道に見たじいちゃんのしわくちゃな横顔を、同じように照らしていた。

 それから2年ほど過ぎた日のこと。東京にいた叔母が夜中、僕のアパートに電話してきたので、少しびっくりしたことを覚えている。
「じいちゃんが入院したらしいよ。病気という訳じゃないらしいけど、すごく弱っとるって。ねえ、一緒に会いに帰らんね」
 叔母の第一声は涙まじりだったので、僕はえっ、えっ、えっと、三度受話器に聞き返す。が、命には別状がないことがわかってほっとした。週末に帰る約束をして電話を切る。すぐに実家に電話すると、母が事情を説明してくれた。
「ひとりで暮らしていたけど、倒れて救急車で運ばれて入院したらしいとよ。検査したら何の病気とかいうより、栄養失調らしいと。週末には面会できるやろうし、もしかしたら退院さすかもしれん。だから週末には帰ってきたほうがいいかもしれんね」
 週末、僕らは空港からばあちゃんの家に直行した。じいちゃんが退院して、ばあちゃんが面倒をみることになったからだ。あれだけ仲が悪かったはずの二人が一緒に住むこと自体が驚きだが、とにかく叔母と僕は、早くじいちゃんの顔を見たかった。
 ばあちゃんは自分が切り盛りしている焼肉店の横に、小さなプレハブ部屋をつくって住んでいた。駆けつけた僕らの顔を見ると、「ああっ」と声を漏らしたまま、叔母の手を取った。叔母はもう泣き出している。涙を流すまいと我慢しているかのように神妙な顔のばあちゃんは、僕らを居住用の部屋に案内した。ドアを開けると、じいちゃんは布団に横たわっていた。いや、転がっていたというのが正しいのかもしれない。しわしわになった顔をくしゃくしゃに歪めると、
「ああああ」
 と小さくうめいたまま、涙をこぼした。その手は僕の手よりも遙かに細く短く、脚も腰も腹も肩もすべてがしわくちゃで、雑巾を絞った後のように縮んでいた。顎も頬も目もくぼんでいて、髪はほとんど抜け落ちている。身長は僕の半分ぐらい、体重は想像もできないくらい少なくなっていた。人生の希望を力いっぱいねじって絞り出し、小さく小さく押しつぶして、それでも生きている人の形をしたもの。じいちゃんの目から、大粒の雫がこぼれていた。

 一族の中で誰よりも泣き虫で、誰よりもじいちゃん事が好きだった叔母は、それからずっとじいちゃんの横に座り込んだまま、動かなくなってしまった。自分の体より小さく縮んでしまった父親の体を抱きかかえたまま。僕はといえば、涙が頬を伝ってはいるが、何が起きたか、まだ理解できていなかった。中学生だった僕を腕相撲で負かした腕の筋肉も、僕のために魚に包丁を入れてご飯をつくってくれた手も、そこにはなかった。どうしていいかわからなくなった僕は、そっと部屋を出て顔を洗いに洗面所に行った。そして部屋の外に出て表通りをすたすたと歩いていく。いま僕に何が起きているのか理解したかったからだ。10分ほど歩いて部屋に戻ってみると、叔母がじいちゃんに何か話しかけながら、手や脚や腰をていねいにていねいにさすっていた。
「たいへんだったね。きつかったろう? もうだいじょうぶだけん。もうだいじょうぶだけん」
 耳元でそう声をかけるたびに、じいちゃんは「あああ」「あああ」と呻きながら、大粒の涙をこぼしている。
「ほら、あんたもさすってあげて」
 目を真っ赤に腫らした叔母に促され、腕をゆっくりとなでてみた。皮の下は骨である。柔らかみも暖かみもまったく感じられない骨と皮の棒であった。いや、ほんのかすかに、本当にかすかに生きているぬくもりが感じられる腕だった。また涙があふれそうになりながら、今度はぐっと我慢する。
「なんでああなったと?」
 いつのまにか部屋に入ってきたばあちゃんに、そう聞いてみた。叔母はまだ枕元にいて、ずっとじいちゃんの全身をていねいにさすっている。
「老人ホームにおったとやけど、ここ1ヶ月くらい、なんも食べんかったらしい」
 そうやって言葉を濁す、ばあちゃん。え、えっ、老人ホームにいたの? その言葉を飲み込む。以前いたことは聞いていたが、その後ホームを出て一人暮らしをしていたはずなのに。じいちゃんのことは、誰も教えてくれなかったから、僕は知らなかった。いや、本当は違う。東京にいた僕は、知ろうとしなかったのだ。
「なんでそうしたか、わからんとよ。私が行った時には、もうこんな感じで、よくしゃべられんかったし・・」
 叔母がじいちゃんの身体をさすりながら、こっちへ振り向いた。
「きっと、なんか考えたとだろうね。とうちゃんのことだけん、なんか考えたとよ。そうよ、そう」
 そして自分に言い聞かせるかのように、じいちゃんに顔を近づけて囁いた。
「寂しかったとよね。ごめんね・・」
 泣き出してしまった叔母を見ていると、僕もまた涙があふれてきた。でも、その涙は?
「さびしかったとよ・・・・」
 僕の頭の中で、その言葉がぐるぐると回った。また、顔を洗いにその場を立つ。じいちゃんのこの姿を目に焼き付けておかねばなるまい。それがきっと僕の役目なのだ。

 トイレに向かった叔母と入れ替わりに部屋に入ると、じいちゃんは目を閉じていた。僕はじいちゃんの寝ている布団の横に正座し、痩せ細った腕を二本の指でそっと撫で回す。黒い染みがくっきりと残ったすりこぎ棒のような腕は、カサカサに乾いていた。今度はふくらはぎへ指を移動した。肉のふくらみはどこにもなく、指で押すとかすかにはじき返しはするが、硬い骨と血管らしきコリコリとした感触が指先に生々しく感じられる。その指を自分の腕に戻してそって動かしてみると、本物の肉の感触が感じられてほっとする。じいちゃんのこの腕と脚は、いったい何でできているのだろうか。
「やせたよねえ」
 部屋に戻ってきた叔母が、泣いているのか笑っているのかわからない顔で話しかけてきた。僕は心の中を見透かされたみたいで、ドギマギしながら生返事をする。
「う、うん」
「いっぱいさすってあげると、元気になるような気がしてね・・・」
 今度は明らかに涙をこぼしながら、そう話す叔母。また涙があふれそうになって、目をそらした。

 僕はその日のうちに実家に帰った。出迎えてくれた母にじいちゃんの話を報告する。母は悲しそうな顔をして頷きながら聞いていた。その後ろに立っていた父は苦虫をかみつぶしたような顔をしている。なぜこんなことになってしまったのだろう? その言葉をいま口にしてはいけない気がして、すぐに2階にある自分の部屋に上がった。
 それからも、毎日のように、じいちゃんのところへ様子を見に行った。その日から叔母は、じいちゃんの横に泊まり込み、ばあちゃんと交代で、ご飯を食べさせたりオムツを替えたり、身体をさすったりして過ごしていた。
「今日はね、笑ったとよ。すごかでしょ」
 笑いながら教えてくれた叔母の目の下には、たくさんの涙のせいでできたクマが、はっきりと見てとれた。
 
 実家での滞在中は、高校時代の友人と久しぶりに会ったり、妹とドライブしたりして過ごした。いつもの地元での過ごし方だった。
 そして5日目の暑い日、東京に帰ることになった僕は、朝からじいちゃんのところに顔を出した。寝てることも多く、叔母の報告を聞いて寝顔を見て帰ることもあったが、この日はちょうど起きていた。その目はぼーっと天井を見つめている。
「とうちゃん、今日帰るけん、挨拶に来たよ」
 叔母がそう声をかける。布団の横に座っている僕に、じいちゃんがゆっくりと顔を向けた。小さくなった頭がゆりかごのように小さく揺れながら、僕のほうに向いた。
「じいちゃん、今日で帰るけん。元気で頑張ってね。ね、ね」
 僕と目が合うと、じいちゃんはゆるゆると両手をあげて僕のほうへ差し出した。その手をつかむと、僕はもう一度話しかけた。
「大丈夫ね? 大丈夫ね?」
 ゆっくりと首を縦に振りながら、手を握りしめてくる。小さくシワシワになった手だが、見た目からは想像も付かないしっかりした力で握りかえしてきた。すでに涙ぐみながら、枕元で見守っていた叔母が、
「なんか言いたいとよ。なんか・・」
 と言いながら、僕に顔を近づけるように促す。口元に耳を近づけた僕に向かって、じいちゃんは絞り出すように声を発した。
「あああ、あああ、あああ」
 そしてまた、ぎゅっと手を握りかえしてきた。目の前がぼやけて、握りしめた手の上に涙が落ちたとき、じいちゃんの目にも涙があふれていることに気が付いた。あふれるように流れ、干涸らびた頬の上を流れ落ちてゆく。そのときじいちゃんの口から、こう聞こえた気がした。
「あ・り・が・と」
 飛行場に向かおうとして、ばあちゃんと叔母に別れを告げる。東京へ戻った時に僕にお願いしたいことを伝えた叔母が、最後にこう言った。
「あんた、そぎゃん、早よ帰えらんでも、よかやんね」
「うん、そうね」
 そうとしか答えられずに、バス停のほうに歩いて行く。僕はそんなに強くないから。
 
 叔母は1ヶ月を田舎で過ごし、たくさんの、ほんとにたくさんの涙を流して、東京へ戻ってきた。ほとんど毎日、じいちゃんと一緒に寝ていたらしい。叔母だって強くない。たった1ヶ月だが一緒にいることで、彼女なりに自分の気持ちを整理しようとしたのだろうと思う。駆け落ちし、年に1回あるかないかの帰郷で顔を出すだけの、親不孝だった自分の気持ちを。

 それから2ヶ月後、じいちゃんは入院した。そして10日もしないうちに、息を引き取った。見舞いに帰ろうと、叔母と話していた矢先のことで、僕らはじいちゃんの最後には間に合わなかった。
 葬儀でみたじいちゃんの顔は、僕が見たときのようなしわしわではなく、不自然にふっくらとしていた。棺桶を運ぶため、男4人で抱えたとき、僕と反対の角を持っていた父が、ぽつりと呟いた。
「軽かねえ」

第2章 大きな木になりたい

 叔母の家を訪ねたのは、2ヶ月ぶりのことだった。じいちゃんが死んで8年がすぎていた。その間に僕は、名の通った会社に運良く就職していた。5年も働いていると、毎日、担当の仕事に振り回され、休みは友人や彼女と過ごすようになる。
「あんた、ご飯はたべよっとね?」
 叔母は僕と話す時は方言丸出しになる。
「それより、どうだった検査の結果。やっぱり手術するの?」
 久しぶりに来たのは、叔母の身体に異常が見つかったためだ。心配そうに聞く僕に、叔母は明るく答えた。
「先生と相談したら、そのほうがいいでしょうって。まあ、しょんなかね」
 叔母の肝臓に腫瘍が見つかったのは、半年ほど前のことだった。もともと肝炎を患っていた彼女は、定期的に検査をしていたのだが、そのとき見てもらっていた主治医のミスで、発見が遅れたのだ。他の臓器に隠れていたためと言い訳されたときには、腫瘍は5ミリほどになっていたらしい。抗ガン剤を使うか、手術にするか。僕の知り合いに頼み込んで大学病院を紹介して貰い、検査した結果、手術をすることに決めた。
「本当に腹立つね、その医者。俺が文句言ってやろうか!」
「私も腹立ったけど、手術すれば大丈夫だって言うし」
「そんならよかけど。で、大学病院でやっぱり手術するの?」
「そう。ありがとうね、紹介してくれて」
 僕の友人に紹介してもらった大学病院で、本当に手術したほうがいい結果が出るのか、僕自身迷っていた。なぜなら叔母は、顔がつやつやして血色もよく、とても肝臓に腫瘍があるようには見えなかったからだ。でも、僕のススメに素直に従って大学病院へ行き、進められるがままに手術することを受け入れた。このとき、まだまだ40代で働き盛りの叔母は、独学で宅地検定士の資格を取っていた。受験したのは30代の後半のことである。
「まだまだ私も頑張らんとね」
「そうたい、そうたい」
 二人で笑ったこの時には、手術なんて簡単だと思っていた。そして、まだまだ彼女の人生には、楽しい出来事がたくさんあると信じていた。

 1ヶ月後、叔母は入院する。手術と検査も含め、1ヶ月はここで過ごすことになると言われていた。僕は入院中、一週間おきに叔母の病室を訪ねた。自宅から近かったせいもあるが、やはり手術がうまくいくかどうか心配だったからだ。手術が近づくにつれ、叔母は少し顔付きが丸くなっていた。
「運動あんまりせんしね。でも大丈夫よ」
 それでね、隣の病室の人と仲良くなってね、お前の会社のこと話したら、いい会社に入ったってびっくりしてたよ。そう自慢げに話す叔母。ほら、これ食べな。そういって、みかんを差し出した叔母。病室を出る時に、寂しそうな表情を押し隠すように、今度はいつ来ると聞いてきた叔母。僕は苦笑いをしながら、
「また来るって!」
 といいながら、病室を出た。叔母は僕の後ろをついてくる。エレベーターまで見送ってくれ、扉が閉まるまで手を振り続けた。3日後、手術を受ける日に見舞いに訪れた時も、点滴がぶら下がった金属の器具をがらがらと引きずりながら、あとをついてきて、エレベーターの前に立ち、最後まで小さく手を振っていた。

 医者は手術は成功したと言った。1ヶ月ほどして退院することになった。僕は見舞いになかなかいけなかった。
 明日退院するという日に、久しぶりに病院を訪れた。ベッドの周りはほぼ片付いていて、ミネラルウォーターのペットボトルが、飲みかけのまま置いてある。花瓶にはもう花は飾られていない。
「よかったね、うまくいって」
 表情を隠しながら、叔母にそう語りかける。叔母の顔は、手術前のふっくらしたままで、少し茶色く見えた。本当に成功したのだろうか?
 叔母は苦笑いしながら、
「早く退院したいよ」
 と言う。その言葉に、何も考えないようにする。
「ここじゃなんだけん、下に行こうか?」
「そうね」
 すべてが消毒された匂いのする病室を出て、僕らは近くにあるファミリーレストランに入る。お腹は空いてないが、僕はハンバーグを注文。叔母はアイスクリームを頼んだ。
「どう、体調は?」
「そうね、ちょっと疲れやすくなったかな。あんまり食欲もないし」
「無理せんでもいいのに。ご飯なんか別にいいよ」
「いいからアンタは食べなさい。私はこのアイスクリームでいいけん」
 運ばれてきた半円球の塊を、小さなスプーンで少しずつ削り取りながら、口に運ぶ。ほんの少しスプーンにのせたカケラを舌にのせる叔母を見ながら、僕はハンバーグを頬張った。美味しそうに食べないと、何かに気づかれる気がした。ぐちゃぐちゃと肉の塊を噛みしめる。ソースの味がやけに濃い。この肉はきっと簡単に消化されないだろう。
「はあ、お腹いっぱい。食べてよ、これ」
 そう言って差し出したアイスを、僕は嬉しそうに頬張った。味なんて、いまでも思い出せない。最後のひと口を舌にのせた瞬間、叔母が言った。
「あんたはガンバんなさいよ」
「・・ああ・・うん」
 口の中のアイスクリームは、溶けてすぐになくなった。
 肝臓の半分以上を切り取った叔母は、不動産会社の仕事を休職し、半年ほど休養することにした。40歳を過ぎて、生き甲斐を感じ、熱中していた仕事だった。
「もうすぐ退院するからね」
 レストランから病室に戻るエレベーターの中、叔母は小声で私に囁いた。僕は何度も首を縦に振っていた。

「何ヶ月ぶりね。あんたちゃんと仕事しとっと?」
「ちゃんとしとるよ!」
 久しぶりに会った叔母は、再び入院していた。そこはガン患者の専門病院で、入院している理由はわかっていた。住宅地の中にある建物は、外から吹き込んでくるプラスのイオンを拒否しているかのように、白く涼しい空気を纏っている。5階でエレベーターを降りると、少しだけ和らいだ空気を感じて、初めてほっとする。ほっとする? そして病室のドアをノックし、叔母の寝ているベッドの横に立った。彼女は喉の調子が悪いと断ったうえで、僕に話しかけた。最初の言葉が仕事の話だった。
「で、どうね?」
 僕は叔母に気づかれないように鼻をすすりながら、いつもの挨拶を投げかけた。寝ている叔母の前で、この台詞を何度言ったかわからない。
「ん? そうね、クスリを飲めばちゃんと寝られるよ」
「そう、よかったね」
「ほら、夏休みに会社の軽井沢の保養所に行ってね。1週間くらい、ぼーっとしとったとよ。2階のベランダから、庭の木をずっと眺めとってね。そしたら風が気持ちよくてさ。すーっと風が吹くと、さーっと木が揺れてねえ。木ってすごいねえ。ずっとそこにいて、風とか雨とか受けながら、ずっとこっちをみよる。また見に行きたいねえ」
「行けるよ、退院したら俺も一緒に行くけん。いこうよ」
「いつまであの木は、あそこにたっとるとかねえ。いままでずっと、周りの景色を見てきたとやろうね。建物が建つところもみたとかなあ、もし保養所がなくなったら、それも見るとかねえ」
「保養所が売られたら、木も切られるとじゃないと?」
 ふっと笑顔をもらした叔母は、ちょっと寝るねとつぶやくと、目を閉じた。布団の裾を直しながら、僕は彼女が寝付くのを待ち、静かに部屋を出る。ドアの外には、叔母の夫である叔父が立っていた。
「ああ、寝ちゃいました」
「そう。さっきまでクスリが効いて寝ていたんだけど、君が来たら急に目が覚めたみたいで」
「そうなんですか?」
 叔父の顔が青白い。
「それまではクスリのせいで、意識がもうろうとしてね。うわごとばっかりで・・」
 叔父の顔を直視できない。なんだか取り返しのつかないことになる気がするからだ。
「あ、来週、父が来るというので、一緒に来ます」
「ああ、そう。きっと喜んでくれるよ」
「じゃあまた来ます」
「うん」
 僕は現実から離れていった。

 父が東京に来た。空港の到着ロビーで見た父は、疲れも見せず笑みを浮かべていた。仲のいい妹の病気を案じて見舞いに行くという雰囲気ではない。もちろん、それが彼なりの心構えを現しているのだろう。車に乗せて2時間近くかけて病院へ到着する。たった数日しかたってないのに、この建物はさらに白く涼しくなっている。出迎えた叔父に挨拶をすませ、病室に入る。叔母は痛み止めの薬が手放せなくなっていたが、やはり目を覚まして横になっていた。
「なーんか! 大丈夫や?」
「うん、今日はちょっと調子がよかよ。遠くからありがとうね。疲れとらん?」
「おお、東京なんて飛行機で2時間ちょっとで着くけん、そがん遠くなかよ」
 そして二人は、昔、東京で一緒に食べた中華料理の話をし始めた。退院したらいこうと誘う父の言葉に、叔母はかすれた笑顔で頷いている。僕は隣で見舞い品のミカンをいじっていた。父親はめいっぱいの笑顔で、さらにその店の酢豚の旨さについて、叔母に同意を求めている。
「にいちゃん。にいちゃんは、体は大丈夫ね?」
 叔母の問いかけに、父親は腕に力こぶを作りながら答える。
「ほりゃ、これみてみい。鍛えとるけん大丈夫たい」
 そういえば、父親は、毎晩、腕立て伏せをしていたはずだ。
「私も腕立てしようかな。そしたら病気にならんかったかもね」
 叔母の言葉があまりにも寂しげだったので、僕は手に持っていたミカンをぎゅっと握り締めていた。
「おい、寝たとか?」
 きっと薬のせいだろう。叔母は突然、すーっと寝息を立て始めた。その顔をまじまじと見ながら、父親は布団を直した。話すことがなくなると、みんな布団を直すんだね。
「お父さん。おばちゃん寝たけん、もう帰ろうか」
「そうね・・」
 病室を出て、厚めの封筒を叔父の手にねじり込むように握らせると、父はすたすたと廊下を歩いていく。僕は叔父に会釈すると、父と同じエレベーターに駆け込んだ。建物を出て車に乗り込み、また空港へ向かう。そう、父は日帰りで来たのだ。家庭を持っていた僕の家には泊まらず、ホテルを取ることもなく、夜の便で帰ることにしていた。空港に向かう車の中で、ずっと口をへの字に曲げたまま、父は無言だった。飛行機に乗る搭乗ゲートに入る前に、やっと一度だけ口を開く。
「お前は仕事しよっとか?」
「しよるに決まっとろうが! そうじゃないと給料もらえんたい」
「ならよか。頑張れよ」
 すたすたと検査場に入っていく父。その後ろ姿を見送るのは、すぐにやめた。

 目の前の布団で横になっている叔母の顔。キレイに化粧が施され、最後に会ったときより、顔色はいい。線香の煙が、小部屋に充満している。彼女の顔がすこしむくんでいるのは、薬のせいだろう。目の前にいる叔母の娘が、ほつれた叔母の髪を直しながら呟く。
「おかあさん、こんなに小さいとは思わなかったよ」
 二人っきりで叔母の顔を見つめながら、僕たちは深夜にろうそくの炎の見張り役を買って出ていた。この町で生まれ育ったいとこは、叔母のたったひとりの子どもだ。
「おかあさん、こんなにキレイだとは思わなかった」
 不動産会社で毎日遅くまで働いているときは、ほとんどノーメイクだったはずだ。僕の結婚式の時には、着物姿で顔全面を真っ白に塗り、小さく紅を引いていたが、けっして化粧が上手だと言えなかった。でも僕は、子どもの頃に一緒に寝ていたときの、優しさにあふれる寝顔を覚えていたから、いとこの台詞には頷かなかった。そういえば、天井のシミから目をそらしながら、恐ろしい妄想から逃れるために、彼女の寝間着のズボンを引っ張るように抱きついていたことを思いだす。そのぬくもりがあったからこそ、まだ小学校に入ったばかりで母親と引き離されて寝かされていた僕が、なんとか穏やかな眠りを手に入れていたのだ。
「入院するまでは、ずっと喧嘩ばっかりだった。入院してからは家のことしないといけなかったから、あんまりちゃんと話さなかった気がするんだよね。そういえば、私が見舞いに行くたびに、『いつ来るかなあ、いつ来るかな』って言ってたよ。私が病院に行ったときには、結構寝てたりとかしたし」
 僕はその病院には、2回しか見舞いに行ってない。2日ともしっかりと意識があり、ベッドの上で体を起こして座っていた。ハッキリとした声で、いつものように僕のことを聞きたがった。そういえば、2度目の日には、眠くなったと床に潜り込みながら、僕に握手を求めてきたっけ。僕の手のぬくもりは、彼女の穏やかな眠りに役に立ったのだろうか。
「もっといっぱい話せば良かった」
 いとこの目からは、もう涙は出ない。もう一度、叔母の髪を直しながら、いとこは細い息を吐き出すかのように言葉を続けた。
「私のこと、怒ってるかな。あんとき、私、変なこと言っちゃった気がする。謝ってないし、怒られてばっかりだったし。小学校の時は大好きだったのに。ずっと後ろついて行って、ずっと自慢の人だったのに」
 そういえば、最後の病院の一度目の見舞いの時に、いとこのことで言われたっけ。これから就職とかあるから、相談にのって欲しいと。将来のことを悩んだときに、アドバイスしてやって欲しいと。
「ねえ、私のこと、何か言ってた?」
 直接、本人に聞けば良かったじゃないか。そう言い切れずに、慎重に記憶を呼び戻しながら、叔母の言葉を探す。言うことを聞いてくれない娘のことはたしかにいろいろ聞いていた。やれ最近、帰りが遅い、やれ勉強しない、やれ変なダイエットしている・・。
「でも、私のたったひとりの娘だけんね。あの子の子どもの頃は姑がうるさくてあんまり面倒みとらんし、少し大きくなったら仕事ばっかりしてて、寂しい思いをさせたしね。首の所に傷があるやろ? アレは車に乗せたときに私がよそ見しよったけん、ドアが開いて車から落ちて怪我したとよ。本当に悪いことした。おとうさんはあんまり怒らん人やけんね。私ばっかり怒って、ぜんぜん近寄ってこんごとなって、寂しかったときもあったよ。最近は、私がおらんけん、家の事とかよくしてくれるし、料理も洗濯もちゃんとするみたいやけん、本当にありがたいよね。あとはほら、頑固やけん、社会に出たらどうなるかねえ? ちゃんと話してやってね。本当は私が聞いてやりたいけど、あんたはお兄ちゃんみたいなもんやけん、頼んだよ!」
 かいつまんで、いとこに説明してあげた。いとこは、「ふーん」といったあと、「ちょっとトイレ!」と告げて部屋を出て行った。涙はそう簡単には枯れてくれない。

 次の日、母が上京してきた。母は死化粧を施された叔母の顔を見るなり、その場に崩れ落ちてしまった。兄嫁として大家族の面倒を見ていた母は、当時同居していた義理の妹に、家族用のイチゴをこっそり取り分けてつまみ食いさせてた。見合い結婚の父、厳しい舅と姑、同居していた義理の弟夫妻に比べると、天真爛漫で分け隔てなく接してくれた叔母を一番可愛がっていたそうだ。
 床に突っ伏したまま起き上がれない母の肩を抱きかかえると、部屋の外に出た。母は顔を覆ったまま、うめき声を上げている。母をイスに座らせながら、僕は部屋に戻り、叔母の顔を見た。やっぱり笑っているかのように、口元を緩めていた。

 この日、父は東京に来なかった。

 四十九日の法事の席で、叔父が新聞記事を手渡してくれた。
「これ、彼女が軽井沢で書いた詩なんだけど、新聞で特選に選ばれたんだよ。ずっと見せられなかったけど、君に渡しておこうと思って」
 今年1年間で採用された作品のなかから、ナンバーワンが二つ選ばれていた。そのひとつが叔母のものだった。

大きな木
 今度生まれる時
 森の中の一本の木になりたい
 風と太陽厳しいかも
 でも悩まなくていいよ
 太陽に向かって手を伸ばす
 両手を大きく高く高く
 目をとじると
 両手を広げた私という木が見える

第3章 みんなの家

 その日は缶ビールを、いつもより一本だけ多く飲んだのだろう。えらく上機嫌だった。久しぶりに実家に帰ってきた孫と遊んだおかげなのは間違いない。将来は何になるかねえ、なんて、まだ想像もつかない先のことを、あれこれ言っては、勝手に想像して楽しんでいた。
「お父さんはあんくらいの小さいときに、遊んでもらったこと覚えてるの?」
「俺んときは生きていくだけで精一杯やったけんなあ。近くの川で弟と水遊びしたのは覚えとるよ」
 なんとなく小さいころの話を聞いてみたら、意外に簡単に話し始めた。これまで一度も教えてくれなかったのに。
「広島の宮島って知ってるか? あそこの山の中に住んどった。電気も何もなくて、狭い小屋みたいな家だったなあ」
「へえ、何歳の時?」
「うーん、よく覚えとらん。でも戦争が終わった年のことだから、5歳にはなってなかった気がする」
 終戦間近には、じいちゃんが炭焼きをしながら、糊口をしのいでいたそうだ。
「終戦の年? じゃあ広島だったら原爆は大丈夫だったの?」
「ちょっと離れているけん、大丈夫だったと思う。ただじいちゃんが2~3日たってから、市内に見に行ったらしい」
「へー、で、どうしたと?」
「さあ、俺は詳しくはきいとらん」
 さあ寝るか、と言って、父は立ち上がった。実は宮島時代の話を、僕はじいちゃんから、昔、聞いていた。ただ、記憶が曖昧だったし、父の思い出も聞いてみたかった。広島で生まれて福岡に移り住み、そして今の町に流れ着いた父は、広島での自分の子供時代のことは、まったく教えてくれなかった。
 たしかじいちゃんは、こんな風に言っていた覚えがある。
「道をあるいとったら市内のほうに真っ黒な煙が見えてくさ。あっちこっちで、もうもうとあがっとったよ。近くにいた人が『新型爆弾が落ちたらしい』っていいよった。それであわてて俺も宮島に戻ったとよ。それで3日くらいたってから、また行くことにしたとたい。そしたら途中で会った人たちに『ひろしまではお化けがでるからいかんほうがええ』ちゅうて。そらあ、恐ろしかったばい」
「市内に入って、途中、川ば見たら真っ黒いものがいっぱい流れてきてね。なんかわからんやったけど、あとで考えれば人だったとやろうね。恐ろしかったねえ」
「それから、とにかく仕事がなかったけん、西のほうへずっと歩いていくことにしたったい。線路に沿ってずっと。何日歩いたか? もう覚えとらん。途中、腹が減ったら畑の芋ば、ちょっともろうてね。泥棒?  なんばいよるか、ちょっと借りただけたい。ハッハッハ」
 そうして福岡で仕事を見つけてきたじいちゃんは、家族を迎えに戻ったそうだ。広島から福岡まで本当に歩いたかどうかはしらないが、とにもかくにも九州で、家族で暮らす家を探して見つけたのだ。
 仕事を探して転々とする性質は、長男の父も受け継いでいたのかもしれない。僕が生まれてこの家に落ち着くまで、十回は引っ越していた。
 父は、最後に自分で建てたこの家をとても気に入っていた。じいちゃんが亡くなった後、ばあちゃんも弱ってしまい、数年後に他界したが、ばあちゃんを看病する部屋もあった。家族みんなが一つ屋根の下で暮らすということを、大切にしたかったのだろう。この家には東京にいる僕の部屋まで用意されていた。
 
 孫が小学校に通うようになり、この日は僕だけが帰郷していた。父の病院に見舞いに行くためだ。
 父はB型肝炎を患っていた。4人の兄弟の中では、亡くなった叔母と父だけ。母子感染である。中学を出てすぐに働き始め、20代半ばで結婚して、すぐに僕が生まれた。
 叔母の葬式の時には、肝炎が悪化していて治療の必要があると医者に告げられていた。だから行けなかったのだと、母が言う。病気のせいではない。同じ病気でガンになった叔母の死を、受け入れることができなかったからだと、母は言った。この日、僕が故郷を訪れたときには、父の闘病生活は1年を超えていた。
「おお、来たか」
「うん、今日は俺だけね」
「ああ。こないだもらった薬、のんどるよ。他にも肝臓に効く漢方薬とかあったら教えてくれ」
「うん、わかった」
 叔母は手術をして悪化したので、父は抗がん剤や漢方薬などに頼っていた。民間治療はいくつも試したし、まじないや心霊治療のようなことも調べていたらしい。
「ほら、腹がパンパンじゃ」
 腹水がたまってふくれあがったお腹を、さすりながら見せてくれた。
「水を抜くんでしょ?」
「ああ、でももう何回目かわからん」
 少し横になると言って、父はベッドに戻っていった。母が「ちょっと」と、僕に耳打ちした。
「先生がまっとらすけん」
 今回は、医師から話があると言われ、僕だけが帰郷したのだ。担当医師は、診察室で簡単に父の病状の説明をした後、とても簡単に僕に告げた。
「あと、3ヶ月です」
 もっと病状や治療法についての説明があった気がしたのだが、この言葉しか覚えていない。
 父の部屋に戻った僕は、横で看病していた母に「何の話だった?」と聞かれた。
「なんか新しい治療法を試すってさ」
「そう。それが効くといいねえ」
「体調はどうなの?」
「やっぱり痛いときがあるみたいで、そんときは痛み止め使うことになっとるけど、お父さんは使いたがらんとたいね」
 父の寝息が、狭い病室内で静かにこだまする。
「なんで?」
「もともと、お父さんはあんまり薬は好きじゃないやろ? できるだけ我慢してたけど、最近はやっぱり我慢できんことが多くなって。昨日も使ったとよ。私は使って欲しいとやけど。あんたから言ってよ。あんたの言うことならきくけん」
 小学生の頃、家の手伝いをサボって、何度も真っ暗な倉庫に閉じ込められた。高校で寮に入る僕の引っ越しの日に、中学の同級生と遊びほうけて、6時間遅刻したときには、こたつを投げつけてきた。缶詰を投げられたこともある。頭を叩かれたのは1000回はくだらないだろう。中学の授業参観でクラスの父兄を前にして、言い放った言葉は、「悪いことをしたら、どんどんぶん殴ってください」。おかげで、クラスでも有名人だった。お前のオヤジは余計なこと言い過ぎると。
 その父が、僕の話を聞くようになったのは成人してからのことだ。ガンに効くという漢方薬の情報をこれから探しても、意味があるのだろうか。

 驚くほど正確に、3ヶ月後、父は危篤になった。前の晩から連絡を受けていた僕たち家族は、早朝の飛行機で向かっていた。早朝に意識を失い、僕らの到着を待つだけの父の様子は、妹から携帯で何度も報告されていた。
「いまどこ?」
「空港だよ!」
「もう早くして!」
「いまからタクシーに乗る!」
 幹線道路は渋滞している。
「まだ? どこ?」
「むかっとるけど渋滞しとっとたい!」
「もう、はよして! はよう!」
 妹はずっと涙声だった。病院に着き、親戚に先導されて、階段を駆け上がる。2階の病室では、家族が全員で父を取り囲んでいた。引っ張られるようにベッドの横に立つと、父はマスクをかけられたまま、両目を固く閉じていた。
「おとうさん、おとうさん、起きて、ほら、にいちゃんが帰ってきたよ」
「お父さん、わかる? お父さん!」
 青っぽい入院服のはだけた胸には、プラスチックの器具が吸い付いている。そして父は、ゆっくりとお腹を起こし始めた。
「お父さん!」
 嗚咽しながら名前を呼び続ける僕たちの前で、父は、何度も何度も腹を持ち上げては、また下げていく。しゅー、しゅごー、しゅー、しゅごー。規則正しく響く空気音が、僕らの叫び声と混じり合って、不思議なリズムを刻んでいた。何度かの上下運動と、遅れてきた僕の何度かの絶叫のあとに、医師は待ち構えたかのように声を発した。
「よろしいでしょうか。ご臨終です」
 この部屋の中で、白衣を着ていない全員の号泣が一斉に始まった。そして医師は、枕元の機械を止めた。父は静かにベッドに収まった。もう上下に動くこともない。
 僕は心のどこかでホッとしていた。

「おとうさん、もう帰るの?」
 ハンドルを握る僕に、長男が声をかけてきた。小学生の彼には今日の葬儀は退屈だったらしい。助手席には憔悴しきった母が、父の遺影を抱えて座っていた。
「今日も暑いねえ」
 母がぽつりと言った。
「そうですねえ」
 妻が静かに答える。
 葬儀の後、しばらく実家にいた。その日はなんとなく遺品を整理することになった。父の服はたくさんあって、ほとんどを僕がもらうことになった。
「あれ、こんなのあるよ」
 僕が見つけたのは、父が子供の頃に集めたらしい切手シートだった。6冊ある。その横には、古銭がぎっしり詰まった菓子箱も見つけた。
「子供の頃の趣味やったみたいね。あんたが小さい頃も、記念切手とか硬貨とか買って集めとらしたよ」
 知らなかった。1万円金貨などもある硬貨は、きっと大人になってからだろう。切手のほうは古い冊子ばかりで、どうやら子供の頃から集めていたようだ。パラパラとめくる。一番古そうな冊子の裏表紙に、父の名前と小学五年生とある。いや、正確に言うと、父の帰化前の名前だった。そこには、
「将来の夢 小説家になりたい」
 とあった。現実には全く違う職業に就いていた。僕はその言葉を携帯で写真に撮った。
 東京に帰って、父が集めたモノを鑑定してもらったが、もうすでに価値が下げっているらしい。硬貨は額面のまま、切手はハガキに貼れば、これも額面のまま、今でも使えるそうだ。

第4章 

 この神社に来るのは3度目だった。日本橋のハズレにあり、こぢんまりとした本堂の奥に、大きな顔の仏像が少し横を向いて座っていた。
「横向きなところが特徴でして、謂われがあるんですよ」
 友人の紹介で知り合った住職の神社に、初めてお参りに来たときに、住職自身がそう説明してくれた。父が亡くなって1年が過ぎている。今日はその住職と、酒を酌み交わす約束をしていた。
「知り合いのところに行きましょうか」
 住職につれて行かれた店は、これまたこぢんまりとした飲み屋で、鍋と日本酒が旨いところらしい。湯豆腐をつつきながら、杯を合わせる。
「少しは落ち着かれましたか?」
「ええ。いやどうかな?」
 父が死んだあと、仏教の専門家はいないかと紹介してもらったのが住職で、2度目にあったときに、社務所で話を聞いてくれた。30分ほど話したが、あまり記憶はない。自分の気持ちが整理できていず、うまく質問できなかった僕に、住職が「また落ち着いたら来てください」と、2杯目のお茶を出してくれた。今日お酒でも飲みながら相談したいと持ちかけたのは、僕である。
「そう簡単には落ち着きませんか?」
「いえ、そうではないんです。父の死は受け入れることができましたが、聞きたいことが出てきてしまって」
「お父さんにですか? それは難しいな」
「そうですよね」
 二人、笑いながら杯に口をつけた。
「父のことがあって、僕は死ぬのが怖くなりました。家族もいるし、仕事もやりたいことがある。でも、いつか死が訪れると思うと、眠れなくなるんです」
「それは毎日ですか?」
「そこまでは。酒を飲んで酔っ払えば眠れますから」
「毎日飲んでいる?」
「毎日です」
 湯豆腐を箸で掬おうとすると、ボロリと崩れた。住職は器用に口に運んでいた。
「飲み過ぎは良くないですよね? でも私もひとのことは言えないな」
 と言ってガハハと笑った。
「死ぬのって怖くないですか?」
「私は怖くはないです」
「どうして?」
「うーん、上手く説明できませんけど、必ず来るから、かなあ。私にも娘がいるじゃないですか。京都の学校に行ってますが、こいつの将来がどうなるかは気になりますよね。孫も見たいし、旨いものももっと食いたいし。あはは、こりゃとんだ生臭坊主だな」
 この人の思ったままを言うところに好感を持っていた。
「前回、生きている意味について、聞かれましたよね? 私もあれから考えてみました。あなたが言う『誰もが生きている意味を持っているのか』という疑問については、私は意味があると思っています。しかし、私自身まだ修行中のみですし、寺のことや娘の将来が私の人生の意味かというと、それはわかりません。みんなそれぞれ考えた『自分の人生の意味』について、否定する気もありません」
「住職、それは、、」
「そうです、身も蓋もないですよね。説明が下手だなあ、私。要するに、自分が感じ取るものではないでしょうか」
「答えが出ないこともありますよね?」
「もちろん。それは、もっと考えなさいということだと思いますけどね。一般の人にとって、神の存在って曖昧だったりします。先日お話ししましたが、仏像を巡って散歩する集まりでは、私は参加者の方々に、仏像やお寺の由来をお話しするだけです。参加者からも、あなたのように難しい質問を受けるわけではありません。でも全行程を歩き終わったあとに、ほとんどの方が『心が軽くなりました』とおっしゃいます。お寺で何か感じるというだけでなく、歩いている途中に、いろんなことを考えられるんでしょうね、きっと」
 湯豆腐がなくなり、追加のとっくりとつまみを注文した。
「ですから、皆さん、自分と向き合うことで、何かを整理していらっしゃるのではないでしょうか」
「それはどういう問題でも?」
「そうだと思います。きっと答えは自分の中にあるのでしょう。坊主や医者、カウンセラーみたいなひとに、納得する答えを求めたいのでしょうが、そんなの無理ですから。結局は自分の中の答えを自分で確認するのではないですか」
「そう上手くいけば、坊主も医者もいりませんよ?」
 住職は静かにほほえんだ。
「そんなこともないですよ。医者は患者に、自分の経験で病気の治療法をアドバイスします。なかには強引に決める人もいるでしょうけど、専門家の見解ですから根拠はあるはずです。坊主も同じですよ。答えを出す手伝いはしますが、基本は自分で考えてもらうことが大切なんです」
 外は肌寒いが、湯豆腐のおかげか3本目になった日本酒のせいか、頬が少し火照っていた。
 じいちゃんと叔母と父が、この世にいない。その死は自分のせいもあるのではないかと思い込んでいた。家族から孤立するじいちゃんを、家族の元に返せたのは僕だけではなかったか。叔母のガンが見つかってから、一番近くに住んでいる僕が、なぜ支えてあげられなかったのか。父の病気を知ったあと、その世話を母や妹たちに任せっきりにしてしまったことを後悔していた。正確に言うと、後悔したふりをしていた。それがまた、自分の死を恐れる理由に思えていた。
 死ぬということは、この世から忘れられると言うことだ。身近な愛した人さえも、死んでしまって時がたてば、忘れている時間が増えていく。それは、たまらなく恐ろしい。忘れることも、忘れられることも。
「僕の中に答えがあるということですか?」
「私はそう思っています。こうやって、一緒にお酒を飲んでいながら言うことではないかもしれませんけど。今日会うというのは、その確認ではないでしょうか」
 少し酔ってきた。僕は自分の仕事の話をし始める。満たされてはいないけど、やりがいはある。そういうと、住職は、また静かに笑った。
「それもひとつの答えですね。やりがいがあるのですから、これからも続けていくんでしょ? それとも何か新しいことを?」
 このままでは何も変わらないが、変えようとは思っています。そう伝えると、住職は僕の猪口に酒を注いだ。
「それが答えですよ」
 そう言って、今度はガハハと笑った。

 父の口グセを思い出した。父はよく“のさり”という言葉を使った。人が死んだとき、失敗したとき、成功したとき。
「人には“のさり”があるとたい。仕事もギャンブルも、モテるモテないも。飛行機事故とかあるやろ? たまたま出合ってしまうとも、“のさり”たい。努力も大事やけど、自分の“のさり”も、知っとかんといかん」
 住職と別れ、僕は自宅に向かって歩き出した。1時間はかかるその道のりで、自分の“のさり”を考えてみる。父が書いた「小説家になりたい」という文字が、頭の中に浮かんできた。
「なんね、お父さんも自分の“のさり”が、わからんやったやんね」
 冷たい風が頬に当たる。東京は、もうすぐ冬になる。


雑誌業界で25年近く仕事してきました。書籍も10冊近く作りましたが、次の目標に向かって、幅広いネタを書きためています。面白いと思ったらスキをお願いします。