見出し画像

コンパスの針は 幸せ取説 を指す

noteで人の投稿やつぶやきを読んだりしたあと、
Twitterでをのぞくのがルーティンになっている。

コレ完全に変態だな、と一応思えている。


Twitterは驚異的破壊力と魅力をもつ。

目を背けたくなるような
赤裸々すぎるリアルが、オンタイムで流れ
喜怒哀楽がまんま、言葉になって排出される。


素晴らしい


日本のTwitterは使い方がおかしい、と
本国のお墨付きすらあるようだが
これぞまさに、ザ人間、という感じを受ける。


表はショールームなのに裏が屠殺場のような
落差がとんでもない二極世界が、近すぎる。


素晴らしい(2回目)


ドラクエのコマンドがあれば
躊躇なく もっと吐いてぐちゃっていこうぜ!
選ぶだろうほど、
毒と闇が好物で食糧なわたしは
おそらく本当に1日に1回闇を補給している。


あまりに幸せすぎると
どうしたらいいのかわからないのだろう。

幸せを噛み締めてる時間は、手持ち無沙汰なのだ。


中身は小3男子
年相応に、そのような高度なメンタル技術は
持ち合わせていない。
だいたい3つのプロセスで幸せを過ごしている。


第1に、幸せすぎると、ものが考えられなくなる。
それが怖い。
思考で緯度と経度を掴んでいないと
どうやって立ったらいいかわからなくなる。

ええと、この場合は、、、喜んでいいのか。喜んだあとってそれどう処理するんだっけ。あーうれしー、、、ゆーるーむー、、、あ、ねむい…


第2に、幸せすぎると、眠くなる。
それが困る。
眠くなったら寝るしかないではないか。
寝てしまって見逃したらマズイじゃないか。
危機を!迫り来るクライシスに臨戦できぬ!

ねむい、ねてしまいそうだねてしまったらもったいない目を開けて見てたい!!!前を!!そうだ目を閉じてはいけない!!、、、いや、わたしはどこの戦線にいるのだ。


第3に、幸せすぎると、不安になる。
それが凹む。
急にどこか知らない場所に落とされた気になる。
ここでの過ごし方をよくわからない。
よくわからない自分に、ちょっと凹む。

幸せ終了


そうやって、自分の知ってる範囲に自分を
取り戻していくのだ。


Twitterを見ると闇が自分を取り巻く。
飲まれることはない。

闇の先が可能性に満ちてることを知っているし
どれほど深い闇があろうと、
乗り越えるだけの力が必ずあるとおもっている。

闇とタイマン張る必要もないし
ばいばーいと手を振って一目散に逃げたっていい。
乗り越えるとは、生き抜けるということだとおもう。

ときおり、そこに、ふぁいと!の意を送る。


闇からの幸せパターン
けっこうな量をこなしてきたし
公文式にガシガシ生きる流れにいた。

しかしにここにきて、
幸せからの闇パターンに陥っている。


望んだはずの幸せなのに
なぜ闇を取り戻してしまうのか。

これが35年で培ってきた土壌なのであれば
この次はリバースタイムになるのだろうとおもう。

そこにしか未踏の地が見当たらないから
そこにいきたい。


ド級主観ド全開のこの言葉たちは
わたしのGPSそのものだ。

じぶんらしさの上で、
茶をのみ くつろぎながら
次を示す方位磁針の針を眺めている。